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第3話:試作第一号「コンテナ」

石造りの廊下に僕の悲鳴とシルヴィアの怒鳴り声が響き渡ってから、数日が経過した 。


 僕は執務室のソファーで、額に冷たい氷嚢ひのうを当ててぐったりとしていた 。


「……痛い。まだ痛い。シルヴィア、あんな分厚い百科事典の角で叩かなくてもよかったじゃないか」


「自業自得よ、バカリオン。数日経っても治らないのは、貴方の普段の不摂生が原因に決まっているわ」


デスクで書類を捌いているシルヴィアは、こっちを見向きもしない 。

 そして僕の額には、いたずらの代償として立派な「たんこぶ」が鎮座していた 。



 そんな敗北感が漂う静寂の中、扉が静かに開いた 。


「失礼いたします。リオン様、試作の準備が整いました」


戻ってきたのは、数日間姿を消していたハンスだった 。

 彼は部屋に入るなり、まず僕の額の氷嚢に目を留め、実に不思議そうな顔をした 。


「……リオン様。その、頭はどうなされたのですか? 私が離れていた数日の間に、どこぞの暗殺者にでも襲われましたか?」


「いや……まあ、暗殺者より恐ろしい『乙女の逆鱗』に触れたというか。芸術の爆発というか……」


僕が言葉を濁すと、ハンスは眼鏡の位置を直し、「左様でございますか」と、それ以上追求するのをやめた 。

 有能な事務官は、時として真実を追わない勇気も必要だと知っているのだ 。


「それでハンス、例のものは?」


「はい。言葉で説明するより、実際に見ていただいた方が早いかと。……裏の搬入口へご案内いたします」



 秋の涼しい風が吹き抜ける、王城の裏搬入口 。

 いつもなら、荷下ろしの順番を待つ馬車が列をなし、人夫たちの怒号と荷物のぶつかる音が絶え間なく響いている場所だ 。


「……あそこです」


 ハンスが指差した先。

 王城の門をくぐり、一台の馬車が滑り込んできた 。

 その荷台にはバラバラの袋や木箱ではなく、頑丈な木材で組まれた「巨大な四角い箱」が二つ、隙間なく整然と収まっている 。


「……あれが、例の箱?」


「はい。試作第一号の『コンテナ』です」


馬車が止まると同時に、備え付けの大きな滑車クレーンが動いた 。


 ――ギギギ……ガチッ 。


 フックが箱を捉え、巨大な「箱」が宙に浮く 。

 そのまま倉庫の床へ向かってスライドし、重厚な音を立てて接地した 。


「……えっ、もう終わり?」


「いいえ、リオン様。ここからが真骨頂です。……おい、次の箱だッ!」


ハンスの合図で、今度は倉庫に待機していた別の「規格箱」が吊り上げられた 。

 その中には、城から運び出す予定の洗濯物や廃棄物が予め詰め込まれている 。


 クレーンがその箱をひょいと馬車の荷台に乗せると、作業員がカチリと固定具を嵌めた 。


「これで完了です。あとは馬車を出すだけ。……見ての通り、積み込みも予めコンテナに詰め込んでおけば、こうして乗せるだけで終わります」


ハンスが時計を指差す 。

 本来なら、十人がかりで重い袋を一つずつ担いで下ろし、また別の荷物を一つずつ隙間なく詰め込むという、数時間はかかる重労働が―― 。


 ただ箱を「入れ替える」という動作だけで、わずか数分で完結してしまったのである 。


「……すごいよ、ハンス。ありがとう! これなら、日中のうちに全ての作業が終わるね。リーゼもこれで安心だ」


僕は喜び、最高の解決策を提示したつもりでこう言った。


「よし。早速、このコンテナを(王城に入ってくる馬車に)導入しようか」


僕としては、「まずは王城の騒音対策として、出入りの業者だけがこの箱を使ってくれればいい」という、極めて局所的なルールのつもりだった 。


 だが 。


「……『導入』。……『導入』でございますね、リオン様」


ハンスの眼鏡が、不気味なほど鋭く光った 。

 彼は猛烈な勢いで手帳を取り出すと、何やら恐ろしい速さでペンを走らせ始めた 。


(……え? なにその、魂を削るようなメモの取り方。ちょっと怖いんだけど)


「リオン様のご英断、承知いたしました……! 早急に手配いたします!」


ハンスはそう言いながら、その内側で――。


(……国内のあらゆる流通ルートに、このコンテナを導入いたしますッ! すべての流通をこの『箱』の奴隷にする……!)


――などという、恐ろしい野望を燃やしていた 。


「うん。助かるよ、ハンス。じゃあ、頼むよ。期待してるからね」


僕は「王城に出入りするルートが便利になるんだな」と思い込み、爽やかな笑顔でハンスの肩を叩いた 。


「はっ! このハンス、命に代えましてもやり遂げて見せましょう!」


ハンスは僕の全幅の信頼に感極まった様子で、深々と一礼した 。

 そのまま、青白い情熱のオーラを纏って風のように去っていく 。


 嵐の去ったような搬入口に、シルヴィアの冷ややかな声が響いた 。


「……ねぇ、リオン。たぶんなんだけど」


「ん? なに、シルヴィア」


「ハンスのあの目は、絶対にあなたの意図を誤解しているわよ。またなんかとんでもないことになる気がするの」


「あははは、まさか。ハンスに限ってそんなことないって。あいつ、真面目すぎるだけで分別はあるし、僕の言いたいことなんて全部お見通しだよ」


僕は百科事典で叩かれた額をさすりながら、お気楽に笑った 。


「まあ、でもこれでやっと夜も静かになって、リーゼも僕も、朝までぐっすり眠れるようになると思えばよかったよ。安眠こそが正義、安眠こそが平和なんだから」


「……そう。あなたがそう言うならいいけれど……」


シルヴィアはどこか遠い目をして、ハンスが消えていった廊下の先を見つめていた 。


「さぁ、リーゼにも今日から夜は静かに寝れるよって、伝えに行こう」


そう呑気なことを考えていたが、搬入口に訪れた記録的な効率化の裏側で、ハンスによる「国家規格化計画」という名の巨大な嵐が、今まさに産声を上げたのだ 。


 僕の「静かに二度寝したい」という私欲は、ハンスという名の最速で最狂のブースターを得て、王国すべての物理的な標準を『四角い箱』へと変化させ、前代未聞の物流戦争へと突入したのである 。

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