第2話:ハンス、規格の美学に感動する
「荷物をバラバラに運ぶから時間がかかるんだ。だったら、最初から行き先別に『大きな箱』に荷物を全部詰め込んでおいて、箱ごと積み替えちゃえばいいんだ。下ろすのは一度。静かで、早くて、ミスも減る」
僕が窓の外を指差しながら熱弁すると、シルヴィアは少し考え込むように指先を顎に当てた 。
「面白いアイデアね。私の書類箱を行き先ごとに分けて、そのまま馬車に乗せるようなイメージかしら。確かに、目的ごとに箱が分かれていれば、中身をひっくり返して探す手間は省けるでしょうけれど……」
「流石はシルヴィア、飲み込みが早いね。そう、まさにそのイメージだよ」
事務処理が得意なシルヴィア、この「規格化」の利便性を、直感的に理解してくれたらしい 。
「よし、あいつを呼ぼう。……ハンス! ちょっと来てくれ!」
僕が声をかけると、待機していたかのような速度で扉が開いた 。
「失礼いたします。リオン様、お呼びでしょうか」
入ってきたハンスは、いつものように隙のない一礼をした。だが、顔を上げた瞬間――彼の視線が、僕の隣に座るシルヴィアの顔でピタリと止まった 。
「…………?」
ハンスの眼鏡の奥で、その瞳が微かに揺れる。困惑というか、何とも言えない「怪訝なものを見る目」で、じっとシルヴィアの頬を見つめている 。
「……? 何かしら、ハンス。私の顔に、何かついているの?」
シルヴィアは不思議そうに小首を傾げた 。ハンスは一瞬、何かを言いかけ―― 。
「……いえ。何でもございません。私の気のせいです」
即座に視線を逸らした。有能な彼は、「顔に猫のヒゲが描いてある」という現実は、自分の脳が疲れているせいで見た幻覚だと処理することに決めたらしい 。
その時だった。さっきまで僕の膝に縋り付いていたリーゼが、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めた 。
「あ……。リーゼ、寝ちゃったな」
よほど寝不足だったんだろう。何やら難しい仕事の話が始まって、安心感と退屈さで限界が来たらしい 。
「仕方ないわね。……風邪をひかせては大変だわ」
シルヴィア(猫)がそっと立ち上がった 。彼女は、さっきまで僕にかけてくれていたあの温かなブランケットを手に取ると、スヤスヤと眠るリーゼの肩へ、慈しむように優しく掛けてあげた 。
その光景を見て、僕の胸がチクッと痛んだ 。
わざわざ僕のためにブランケットを用意し、膝枕まで(無自覚とはいえ)させてくれた彼女。その優しさの証であるブランケットを、今は寝不足の妹のために差し出している 。
そんな彼女の美しい頬には、僕が描いた三本のヒゲ。
……ちょっと心も痛むけれど……なんだかんだ言って猫バージョンも可愛い 。
僕は無理やり平静を装って話を切り出した 。
「……コホン。えー、ハンス。実は相談があるんだ。シルヴィアの書類整理術をヒントにした『巨大な箱』――つまり『コンテナ』を作りたいんだ」
僕は罪悪感を振り払うように、一気にアイデアを伝えた。荷物を個別に運ぶのではなく、一定のサイズに規格化した箱に入れ、その箱ごと積み替え、馬車も船もその箱に合わせるという仕組みだ 。
話を聞き終えた瞬間。ハンスの眼鏡の奥で、先ほどの困惑を吹き飛ばすほどの閃光が走った 。
「……リオン様。今のお話、確認させてください。つまり(国中のあらゆる輸送インフラを)共通した箱のサイズで運ばせるということでよろしいですね?」
「え? ああ、うん。大体そんな感じ……」
「承知いたしました……! まずは、リーゼ様の安眠を妨害する城内の馬車から始めましょう」
ハンスが猛烈な勢いで手帳を取り出し、ペンを走らせ始めた 。
(次は街道の幅、その次は主要な町と港に積み込むためのクレーン……。すべてがその規格に従って一本化される。無駄な積み込み作業は消え失せ、管理コストは劇的に低下する……。これはもはや、単なる改善ではありません。『物流の革命』です!)
「ハンス、なんか僕が説明した以上のこと書き込んでない? ちょっと落ち着いて……」
「リオン様、わかっております。わかっておりますとも! リーゼ様の安眠のため! 流石はリオン様、愛ゆえの創造的破壊ですな。想像するだけで、事務官としての血が沸騰しそうです!」
ハンスの背後に、青白い炎のようなオーラが見える気がした。……あ、これ、絶対あいつ今夜一睡もしないで書類作るやつだ 。
「すぐに試作機の設計と、制度通達の草案を作成してまいります。……では」
ハンスは立ち去る直前、思い出したようにシルヴィアの方を向いた。そして、自分の頬を三本の指で軽く叩くような仕草を見せ、懃懃に一礼した。
「シルヴィア様。その……実に『愛らしい』装いですな。……失礼いたします!」
「えっ……? 愛らしい……?」
シルヴィアが呆然とする中、ハンスは風のように去っていった 。
静寂が戻った執務室で、シルヴィアが首を傾げた。
「……ハンスが珍しいわね。何かしら、今の。私、何か変な格好してた?」
「い、いやぁ。ハンスも疲れてるんじゃないかな……あは、あははは……」
僕はシルヴィアの頬で誇らしげに揺れる猫のヒゲから必死に目を逸らしながら、罪滅ぼしのように、彼女の冷めた紅茶にそっと新しいお湯を注いだ 。
しかし、シルヴィアの疑念は晴れなかったらしい。彼女はふと、手元にあった手鏡を取り出した。
「ハンスがわざわざ言うなんて、やっぱり何か……」
鏡を覗き込んだ瞬間。
シルヴィアの動きが、彫像のように固まった。
数秒の、凍り付くような沈黙。
「…………あら?」
彼女は震える指先で、自分の頬に描かれた「三本の黒い線」をなぞった。それが汚れではなく、明らかにインクで描かれた『ヒゲ』であることを理解するのに、時間はかからなかった。
そして。
ゆっくりと、こちらを振り向いた。その瞳の中には、ハンスのオーラよりも何倍も恐ろしい「紅蓮の炎」が渦巻いている。
「…………リ、オ、ン…………?」
「あ、いや、これはだね! 君があまりに気持ちよさそうに寝てたから、ついインスピレーションが……ッ!!」
「待ちなさい、このバカリオン!!!」
石造りの執務室に、皇女の絶叫がこだました。
「待って! 話せばわかる! あとリーゼが起きてしまう!」
「うるさい! 逃げるなーーー!!」
僕の「静かに二度寝したい」という私欲は、ハンスという名の最速ブースターを得て、巨大な物流激震へと変わりつつあったが ――その前に、提案者の命が絶体絶命の危機に瀕していた。




