70本目:新たなる邪神の登場
「うっ、ぐすっ・・・」
「大丈夫、もう怖いのは居ないから」
「ぅぅ・・・」
流々は中々悲しいが収まらず、護に抱き着き頭をぐりぐりと擦り付けている。
護はその様子を見て、ただ抱き締めて優しく撫で続けていた。
クトーもこのまま流々が泣き止むのを待つつもりでいた、しかし状況がそれを許さない。
突如グラグラとダンジョンが揺れる。
「──っ、なに!?」
『ダンジョンが崩れるぞ、早く脱出せねば』
振動は徐々に大きくなり、あっという間に護も立っていられない状態になった。
よく見れば足元の海水が上がってきている。
「此処って常設型ダンジョンじゃなかったのっ!?」
『どうやら、あの者がダンジョンマスターだったようだな。常設型というのも、今迄あ奴が出てこなかったが為に起きた勘違いだろう』
ダンジョン崩壊に巻き込まれれば、何が起こるか分からない。最悪閉じ込められたままダンジョンが休眠し、一生出られなくなる可能性すらある。
護とクトーの焦った姿に、流石の流々も涙が引っ込んだ。
「早く出ないとっ! くっ・・・この揺れ、鬱陶しいわね」
「お姉ちゃんっ、僕にしっかり掴まって!」
「ありがとう、流々」
流々の言葉に甘えて、護は流々に抱き着き姿勢を維持する。流々はこの揺れからは考えられないほど、微動だにしていない。強力な吸盤で床に張り付く流々にとって、振動などあってないようなものだからだ。
しかしこのままでは移動も出来ない。一難去ってまた一難な状況に、護は悪態をつくことしか出来なかった。
そしてダンジョンは揺れが収まるのを待たず崩壊し始める。
通路の奥、上階から流れてきた海水の水鉄砲が、流々と護の体を叩いた。
いくら超人的な力を持つ護といえど自然の力には敵わず、その手を離してしまう。
「流々っ──ごぼっ」
「お姉ちゃ──」
『護っ!?』
護は水中で錐揉みしながら勢いよく流されていく。
流々の姿はあっという間に見えなくなり、自分も何処へ流されているのか分からない。
周囲では大きな岩が崩れて、暗い海の底へと沈んでいくのが見える。その影響で水流が乱れ、護は乱気流の中を飛ぶ鳥のように流れに弄ばれ続けた。
そして何よりも護を苦しめたのは、『呼吸』。
護がいくらどれだけ人間離れした能力を持っていようと、人間である以上呼吸しなければ生きていけない。人間は水中で生きていけるようには出来ていないのだ。
「がぼぼっ・・・(ぐっ、息が・・・早く海面に。どっちが上? 流々を探さないとっ。でも息がっ──)」
自分は今何処に居るのか。
海面までの距離はどれ程か。
あとのどのくらい息が持つのか。
そもそも、上下左右どちらが海面なのか。
流々は無事なのか。
何処へ行ったのか。
分からない、何一つ分からない。
流々を見つけたい、でもそんな余裕がない。
通常、訓練していない人間が息を止めていられるのは二分が良い所である。護であれば十五分は持つかもしれないが、そんなものは気休めにもならなかった。
「(肺が・・・痛いっ)」
酸欠で意識が薄れる。
次第に手足を動かす事すら出来なくなり、瞼を必死に開いているのが限界であった。
そんな護の視界に何かが映る。
それはまだ遠く、ぼんやりとしか見えていないが護に向かって近付いていた。
「(人・・・魚?)」
否、それは人魚ではなく、八本の蛸足で水を掻いて泳ぐ流々であった。
よくやく視認出来るところまで近付いた流々を見て、護は無事を喜び、そのまま意識が落ちる。
意識を失い海底に向かって沈んでいく護を流々が抱き留め、本日二度目となる口付けをした。
実は水中で呼吸ができた流々は、沈みながら人工呼吸を敢行、数秒後には護はハッと意識を取り戻す。
流々がキスをしてきた事に嬉し恥ずかしで目を白黒させていた護だが、次第に落ち着きキスの意味を理解する。
肺いっぱいに空気を確保出来た護は、流々がちょいちょいと指差す方向に視線を向けた。どうやらそちらが海面らしい。
流々が護を抱えて、ジェット噴射泳法で一気に護を海面に引き上げる。キラキラと光る海面が目前に迫り、そして二人は十数時間振りとなる懐かしの太陽の光を浴びることができた。
護は海面に出てすぐ周囲を見渡す。詳しい時間は分からないが、どうやら朝方らしい。
かなり遠い所に港のような物が見え、人が集まっているらしい事が分かる。
あれが何処の港だかはさっぱり判断のつかないが、それと共にモザイク観覧車が見えるということは、どうやらあそこは流々達が校外学習で来ていた神戸港らしい。
それを見て護は、「随分と沖に流されたみたいね」と呟いた。
「やっと帰れるわ。ほら、よく見えないけど友達も流々を待ってるわよ。・・・流々?」
護は反応の返ってこなかった流々に視線を向けると、流々が護の腕の中でぐったりしていた。
「流々っ!?」
「お姉ちゃん・・・おなか、すいた。もぅ、ダメ(ぶくぶくぶく・・・)」
「待ってっ、もうちょっと頑張って! 流々っ、沈んじゃうからっ」
護、本日何度目か分からないピンチを迎える。
気絶した人間は水に沈む、すなわち体重が100キロを超える流々はとんでもなく沈む。護は流々に引かれ、あっという間に海に引きずり込まれてしまった。
このままでは先程の状況に逆戻りだ。せっかく流々が引き上げてくれたのにと、歯噛みする護と焦りを見せるクトー。
そんな彼女達に接近するものがいた。
それは水しぶきを上げ、神戸港とは違う方向から途轍もない速度で流々達に近付いてくる。
ズババババと左右に波を掻き分ける様子は、一見水上スキーかモーターボートのように思えた。だが近付くにつれ、それではないことが分かる。
掻き分ける波の上に何も見えず、水面からは細い何かが出たり入ったり。そしてそれは流々達の沈んだ所に到着すると潜水。そして驚いた事に、二人を抱えるとバタ足のみで一気に水面へと引き上げた。
「ごほっ、ごほ・・・」
「大丈夫ッスか? 肺に水が残ると大変ッスから、可能な限り吐いちゃって下さいッス!」
先程のモーターボートが如き勢いでやってきたのは、人間であった。
長い黒髪をポニーテールに纏め、健康的に日焼けをした褐色の肌に競泳水着を着た、二十代頃の女性。彼女は人当たりの良い笑顔を流々達に向けると、こう挨拶をした。
「初めましてっ、アタシは田近 海音。和歌山探索者協会のダイバーッス! クトゥルフ船長、お久しぶりッス。副官補佐『ダゴン』、再び着任致しましたッス!」
その後流々達は彼女に抱えられて、またもモーターボートが如き速度で神戸港へと送り届けられる。
クラスメイトや協会関係者は、海音の登場に驚きつつも流々達の無事を喜び、しばらくした後ダンジョン消滅の調査を始めた。
どうやら流々達も聴取されるらしいが、全員がただの被害者であり疲弊していること、何より流々が完全にダウンしている事からそれは後日ということになった。
流々達は残っていた探索者学院生徒と共にハーバーランドを後にする。
送迎のバスの中では護が流々を決して離さず、絶対死守の構えで抱き締め眠る様子を、三バカトリオが微笑ましそうに見ていたという。
こうしてただの校外学習から始まった騒動の終わりは無事終息し、予想外な新たな邪神の登場で締め括られるのだった。
やっと終わった、長かった・・・。
全く、誰のせいだ!(自業自得)




