TVIR&GNXR 6
前
りんご教白暦会。以前貰ったパンフレットによれば、この街の駅前ビルに総本山を構えているらしい。意識したことはなかったが、駅の反対側に、真新しい高層ビルが建っていた記憶はあった。確か今年に入ってか、去年の年末か、そのくらいに出来たばかりだったはずだ。
いったん冬樫駅に入り、改札口を見送って、駅の反対側へ出る。若者でにぎわう南とはうって変わって、こちらの北側は落ち着いた雰囲気だ。オフィスビルも多く、サラリーマンが忙しなく足早に歩いているイメージが強い。
りんご教がオフィスを構えるビルもこのあたりだ。確か、ひと際大きい十二階建て、その八階から上の全フロアを、りんご教は保有しているらしかった。
休日なため、人の往来はさほど多くない。それでもスーツ姿の社会人がちらほら歩いているのを見ると、学生の身分としては頭が上がらない。
それぞれがどんな仕事を頑張っているのか、一目で察するのは不可能だ。意欲的に、休む間も惜しんで働いているのか。それともやむを得ず、疲労困憊の中で望まず酷使されているのか。夢を叶えたのか、叶えられなかったのか。
そこに優劣はない。少なくとも、今この時を頑張って働いているという事実に変わりはない。そうであれば、俺が尊敬の念を向け、応援する理由には充分だと言えた。
「……ここか」
そんなことを考えているうちに、パンフレットに記載された住所、冬樫白暦ビルディングに到着した。
いざ見上げてみると、気圧されるものがあった。大きい物体は、ただそこにあるだけで存在感を放つ。その最上階を含む複数のフロアを占有しているというのだから、ただの新興宗教にしては随分と羽振りの良いことだ。表立ってトラブルは起こさない、その代わり知名度はそこそこ。そういった宗教と、このビルは似つかわしくないように思える。
ビルの外から、一階部分だけはガラス越しに中を窺うことができる。見える限り、総合受付と、カフェのような区画、あとはコンビニエンスストアの青い看板が詰め込まれている。全体的にくすんだ白――アイボリーを基調としていて、真新しさと清潔感で好印象だ。
総合受付では、大きなキャリーバッグをひいたサラリーマンが手続きをしている。恐らくは、出張でこの街に来た人なのだろう。そういった客向けのビジネスホテルが、七階から下のエリアとなっている。
つまり、七階から下は、入ろうと思えば入ることは可能だ。しかし、りんご教のオフィスがあるのだろう階には、ある程度の警備がなされていると想像できる。ただビルに入ったところで、りんご教のことは何も分からない。
とりあえずここまで来てみたはいいものの、壁にぶつかって少し冷静になってきた。
何の目算も立っていないのに、何を急いで単身、ここまで来てしまったのだろう。ロアジで待てと言われたのだから、大人しく待っていればよかったのに。
ケータイ画面を確認する。新たな連絡はない。ロアジを出た直後、悠助に居場所を聞いたメールも返信がない。こういうとき、あいつは電話しても出ない。一星は、そういえば連絡先を交換していなかった。というか、携帯電話を使っている姿を見たこともない。今日び未所持なんてことはないとは思うが。
十二月に入ってからの天気は良好だった。冬らしい澄んだ青空で、強い風が吹かなければ過ごしやすい気候だった。
けれど、乾いた空気は呼吸に不快感を伴わせる。道行く人々も足早で、まるでこの場からいち早く逃げ出そうとしているかのよう。――落ち着かない。クリスマスが、あるいは年の暮れが近づき、浮き足だった気持ちも内外に転がっている。
俺も早く移動しないと。もしかしたら次の瞬間にも、一星から怒りの電話を着信しないとも限らない。そうして踵を返そうとした、そのとき。
「何をしているの?」
背後から、つい先ほど聞いたばかりの声が聞こえた。
後
「よりにもよって、貴方とここで会うなんてね」
りんご教のビル、一階の喫茶店に対面で座り、藤枝先輩は溜息混じりにそう言った。
「まさか、入信でもしにきたの? りんご教に興味が?」
「いえ、そういうわけではなく」
はっきりとしない俺の返答に、先輩はますます訝しげに、首を傾げながらこちらを見つめてくる。
俺はと言うと、目を逸らしたい気持ちでいっぱいなのに、先輩から視線を外せないでいた。これはこれで、職業病と言えるのかもしれない。
改めて見ても、美人である。ダッフルコートを脱いだ今はリブニットの赤いセーターで、先輩の黒い長髪によく似合っていた。スタイルも良いのだし、モデルの仕事でも立派に務まりそうである。が、その手のスカウトはたいてい、その目を直視して回れ右するのが関の山だろう。
「先輩は、どうしてここに? 確かさっき、駅前で用事があるって」
「このあと、ボランティア活動があってね。駅前公園の落ち葉拾い。りんご教って、そういうのによく参加するのよ」
思わず、固まってしまった。相づち一つできず、次の句に詰まった。
「別に、教義に賛同してるわけじゃないわ」
俺の反応を見てか、先輩は困ったように微笑んで言った。
「二世信者とかでもない。たぶん、りんご教に対しても、宗教全般に対しても、貴方と私でスタンスはそんなに違わないと思うわ」
「じゃあ、なぜ?」
先輩はコーヒーカップに一度口を付けてから、唇を離して吹き冷ました。カップからは未だ湯気が立ち上り、見るからに熱そうだった。
「立場上、と言えばいいかしら。うちの生徒でも、入信している人が多いらしくて。いかがわしい活動をしているのなら、見過ごすわけにはいかないと思ったの」
なるほど、と。ようやくまともな呼吸ができた。
風紀委員長、藤枝 舞子先輩。就任後の彼女はまさに、風紀委員の鑑として活動してきたが。まさかそれが学外でも、そしてここまで徹底しているとは思わなかった。おそらくは、誰に頼まれたわけでもないのだろう。その行動力は、さすが先輩だなどと、もてはやすことすら憚られる。
「結果としては、悪くなかったんですね?」
「そうね。来る者拒まず去る者追わず。無理な勧誘も寄付の強制もないし、あらゆる活動が任意参加。面白半分で名前だけ加入して、一度も活動に参加しない人も多いみたい。私が心配してた子たちも、だいたいそんな感じよ」
先輩はそこまで言ってから、カップの上でたゆたう湯気をじっと見つめ、一拍置いた。
よかったですね、と同意しながら、今度はこちらから話を振ってみる。
「寄付というかお布施というか、そういうのは厳しい印象ですけどね。一応、経営していかないといけないわけですし」
「自ら進んで入金する人もいるみたいね。熱心な人はどこにでもいるでしょう。ただ、主な収入源はほかにあるのよ」
「たとえば?」
「このビル下層のホテルの収益。物件やオフィスの貸し借りなんかでも利益を得ているみたいね。それから、いくつかの介護施設の運営と、来期末には幼児保育施設も始めるらしいわ」
「は……」
思わず、口をあんぐりと開けてしまった。
とんでもない優良企業である。それに、つまりこのビルはまるごと、りんご教ないしその関係者の持ち物ということだ。どんな大富豪が携わっているのか知らないが、それなら後ろ暗いことなどせずとも、十全に経営していけるだろう。どうしてりんご教なんて宗教団体にしたのか、それだけが本当に分からないが。
「教主の道楽ではないかしら?」
疑問をぶつけると、藤枝先輩は真顔で返してきた。どうもこの街は、道楽で成り立っているらしい。
「ともあれ、半年ほど見ていたけれど、活動そのものに怪しいところは見つからなかったわ。こんなこともあるものね。もっと酷い、叩けば埃の出る集団を予想していたから。拍子抜けというか、少し申し訳ない気がして」
「ああ、それでボランティアを……」
なるほど確かに、俺と藤枝先輩の姿勢にそう違いはないと思った。俺も今まさに、そのボランティアに参加したい気分になっているからだ。悠助たちのことがなければ、連れて行ってほしいと願い出ていたところだろう。
「なんというか、すみません。誤解してしまって」
「私に謝られてもね。第一、あんな名前にしたのが一番の原因なのよ。こればかりは正直、何を考えているかさっぱりだわ」
うんうんと頷いてしまう。いかに名前というものが大切かという話だ。いや、こうして注目を浴びているという点で、知名度を得るという目的は達成しているのかもしれないが。
そもそも、不思議な名前の新興宗教というだけで、変な想像をしてしまっていた。それ自体、偏見に過ぎないと怒られても、否定しようがない。
要するに、何も知らないのだ。この場所に本拠を構えていることも、どんな活動をしているかも、知らなかった。誰が始め、どんな思いで続けているのかも、俺は知らない。何も知らないくせに、周辺情報だけで決めつけて、勝手に警戒していた。それはある意味、相手をコケにするような行為ではなかったか。
こういうのは本当に、意識してもなかなか止められない。意識的ではない、根付いた価値観、文化や習慣。当たり前にあるものだから、疑うこと自体が難しい。そのせいで先入観を抱え込み、そのたびに判断を誤る。そうして衝突してしまうことだって、よくある話だ。知らず知らずのうちに、相手の大切にしているものを、踏みにじっているかもしれないのだ。
「ああ、でも」
思い出したように、先輩は言った。そして、ようやくカップに口を付け、中身をすすった。
「一応、宗教らしいところもあるのよ」
見てみる? と。先輩は少し屈み気味に、覗き込むようにして俺を見た。
流石に、天を仰ぎ見た。白暦ビル一階の天井は、思った以上に高かった。




