TVIR&GNXR 5
集合場所をロアジにしたのには、いくつか理由があったが、最たるものは人の寄り付かなさだ。
休日ですら、ほとんど店内に客がいない。駅前とはいえ裏通りの地下店舗、開いているのかどうかも分からない外観。商売をする気があるとはとても思えず、オーナーの道楽で営業しているという噂も信ぴょう性が高い。
普通の喫茶店では、どんなにいい席でも、周りの様子を窺う必要がある。取り上げる話題が話題なだけに、理想は秘密基地のような場所だった。ロアジはその理想にかなり近いと言えた。
もちろん、まったくの無警戒というわけでもないが。そこは臨機応変にやっていくしかなかった。一星曰く、どこに誰の耳があるかも分からないのだから。
地下への狭い階段を下り、昼間でも薄暗い店内へと足を踏み入れる。ぱっと見渡して、客は一人だけ。前回もいた小柄な少年が、ノートパソコンに向かっているだけだった。
「いらっしゃいませ」
例の仮面の店員に挨拶され、会釈で応じる。制服なのか私服なのか、黒いジレベストに赤い蝶ネクタイという服装は変わらない。
もう一度店内を見渡す。やはり客は少年だけで、悠助たちの姿は見当たらない。二人してトイレにでも入っているのかと、店の奥へ向かおうとすると、
「失礼ですが、野宮様でいらっしゃいますか?」
俺がきょろきょろしていたのを見てか、仮面の店員が話しかけてきた。カウンターから出て、俺の前へと並ぶ。長身であることは見て分かっていたが、俺よりも目線一つ分くらい上背のようだった。
「はい、野宮ですが」
「ああ、それはよかった。お待ち申し上げておりました」
恭しく礼をしてから、店員は続ける。
「申し遅れました。わたくし、当店のオーナー兼店長を務める、食満と申します。実は、お連れ様から言伝を預かっております」
「ええと、電信柱みたいな丸眼鏡の男?」
「はい、あと小柄なポニーテールのお嬢さんから」
間違いなく、悠助と一星のようだ。俺の反応を見てか、相手も口元を緩めた。
「少しの間ここを離れるが、待っていてほしい、とのことです」
「待つ?」
「はい。コーヒー一杯分の代金も頂いておりますので、お席でどうぞおくつろぎください」
そう言って、仮面の店員はメニューを渡し、以前座った席へと促してくる。そんなサービスのある喫茶店などあるのだろうか、と一瞬疑ったが。個人経営ならそれくらいの融通は利くのかもしれない。
「どこへ行く、とか言ってました?」
「いえ、伝言は以上でございます」
「出てく直前に、どういう会話してたとかは?」
「申し訳ございません。そういった内容はお伝えしかねます」
それはそうか、と諦める。後を追おうにも、手がかり無しじゃ話にならない。
席について、メニューに視線を落とす。だが、内容はあまり頭に入ってこない。
「ふん」
なんとなく、もやもやした。
いや、俺の到着が遅れたせいだ。派出所に寄る件は、そういえば二人には連絡していなかった。大した寄り道じゃないし、悠助ならそれくらいは許容するだろうという経験から、無意識に手間を嫌った。
だが、今回は一星もいたんだ。一星がそこまでせっかちという印象もなかったが、念のため確認を入れておくべきだったかもしれない。
でも。それは逆のことも言えるんじゃないか。
店員に注文を伝え、天井を見る。
鈍色のシーリングファンが六機、歯車のように整然と回転していた。地下の店内だから、空調設備には気を使っているのだろう。大型のプロペラだが、駆動音はいっさい耳に入らない。
俺は今、どこにいるのだろうか。
この感覚は、なにも初めてというわけじゃない。それどころかいつだって、頭の片隅にあった凝りだった。
応援席が俺の戦場だ。そこには誇りすら持っている。声援が選手たちとの繋がりとなり、俺も一緒に戦っているのだと。そう思っていたし、そこに嘘偽りはなかった。
あるいは、選手の一人であるように。仲間の一人であるように。そういう気持ちで応援していたし、そのための準備で手を抜くことだってしなかった。恥じることなく、並び立って戦いたかったから。
だけど。
だけど、俺たちは。
「お待たせいたしました」
仮面の店員が、コーヒーカップの乗ったトレーを目の前に置いた。どうも、と会釈して、スティックシュガーに手を伸ばす。
と、視界の端で何か、ふわりと舞ったように見えた。
店員の背後、足下だ。彼が歩くことで、床に落ちていたゴミが浮き上がったのか。その影をぼんやりと目で追うと、破かれた一枚の紙切れが見つかった。手のひら大ほどのサイズで、無視するにはちょっと目立ちすぎた。
「すみません、そこにゴミが」
店員を呼び止めながら、立ち上がって紙切れを拾う。
「――!」
裏返して、そこに書いてあった内容に、心臓を捕まれたような錯覚に陥った。
「ああ、申し訳ございません」
店員にそれを手渡しながら、俺は荷物を手に出口へと向かっていた。呼び止める声は聞こえていたが、もう止まれなかった。
『――には、近づかないように』
『――とは、一体なんだ?』
あのとき、鬼贄さんに言われたことを思い出す。
あのとき、一星が言った言葉を思い出す。
もっと明言すべきだったかもしれない。明確に、一星を止めておくべきだったのかもしれない。
悠助はあてにならない。俺の抱く危機感を、アイツは共有できていない。せめて一度、鬼贄さんたちと会話する機会を設けられていたら良かったのだが。
一星と悠助――二人が揃って、解決できない問題はそうはない。下手をすれば、勾玉を奪い合うすべてのゲームで、勝利を収められるのではないかとすら思う。
でも、勝てばすべてを手に入れられる、というわけじゃない。
間違っていると言われるかもしれない。外野が何を口出しするのかと、叱られることなのかもしれない。一番の望みは勝利で、選手が一番欲しい物は勝利で、そのための行動を阻む理由なんてないかもしれない。
それでも、まだ早い。まだそこを目指す段階ではない。明確な理由は答えられないが、決して無視してはいけないという警笛が鳴る。
紙切れに書かれていた単語――筆跡から、それが悠助の文字であることはすぐに分かった。
基本的に達筆なのに、ひらがなの『り』の払いが垂直になる癖を、本人は矯正するつもりもないようだった。
紙切れには、四文字、こう書かれていた。
『りんご教』




