TVIR&GNXR 4
『一内さんが呼んでたんだった。顔を出してあげてもらえるかな?』
と、バスから途中下車する会長は、すっと真顔になってそう言い残した。
駅前より一つ前のバス停で下車し、来た道を戻る形で街路を進む。時刻は昼食には少し早い午前十時半。行き交う車は疎らだが、休日を楽しむ人たちで歩道はそこそこに混んでいた。
間もなく、大きめの公園が見えてくる。正式には冬樫樹林公園という名前だが、冬樫公園とか駅前公園とか呼ばれることが多い。駅前の歓楽街と住宅街の境界に位置していて、遠目に電車が見えることもあり、家族連れに人気のあるスポットだ。広い芝生スペースを囲んで一周する道があり、俺も休日のウォーキングコースとして使わせてもらったことがある。
公園の敷地に入ってすぐの位置に交番がある。冬樫の駅前が今の規模まで拡張される前からある交番で、当時からの名前で『冬樫公園前派出所』と親しまれている。広い分迷子が出やすい公園だから、ここのお巡りさんに世話になった記憶を持つ人間は意外と多い。
朝早くから遊んでいるのだろう元気な子どもたちを見ながら、俺はまっすぐ派出所の方へ歩いていった。
「失礼します。一内さん、いらっしゃいますか」
正面から入り、事務所然とした四畳半の空間には誰もおらず、少し声を張った。すると奥から、角刈りの四角い顔がのっそりと顔を出した。
「おう、格の字か。相変わらず馬鹿でかい声してるな」
「どうも。ああ、一星はいませんよ。俺一人です」
一内さんはギョロギョロと目だけで周囲を窺っていたが、俺の言葉を聞いて、あからさまにホッとしたようにため息をついた。
「そんな、鬼か何かみたいに」
「苦手なんだよ、あの刺々しい感じ。鬼贄の嬢ちゃんも素はアレだけど、八剣の嬢ちゃんは抑える気ゼロだからな。やだね、いいとこのお嬢様ってのは。いい女ってのは撫子ちゃんみたいな……おい格の字、いつまで突っ立ってる。射場さんもちょうど出払っててな、さっさとこっち入ってきな」
ひょいひょいと、一内さんは無骨な手で手招きをしている。事務所に誰もいないのはどうなのかと思いつつ、「お邪魔します」と中へ踏み込んだ。
事務所スペースを突っ切って通路に入り、トイレの扉に突き当って左へ曲がる。正面からは死角になっていて見えないが、その先に休憩所があることはみんな知っている。
事務所と同じくらいの広さの一室で、およそ正方形になっている。入ってすぐは土間で、左に向かえば給湯スペースがある。そして靴を脱いで、正面の段差を上がれば、やや年季の入った座敷がある。
「おう、まあ座れや」
座敷の上、昔ながらのこたつの向こう側で顔だけ出して、一内さんが促してくる。
「いや、このままで。長居はしませんから」
「堅っ苦しいなあ。そこで立たれてるとこっちが居心地悪いんだが」
まあいいか、と一内さんはぞんざいに言って、さらに深くこたつに身体をうずめた。この人、えらくくつろいでいるが、勤務時間中じゃないのだろうか。こたつ机の上には、篭いっぱいに積まれた蜜柑の山と、花弁のように開かれた蜜柑の皮が並んでいる。
「いや、一足早い実家の正月風景。仕事はどうしたんです、国家公務員」
「地方公務員な。安心しろ、給料分の仕事はしてる」
「前、給料が安いとかぼやいてたのに……」
要はやる気がないのだ、この警察官。ほかに楽して稼げる方法があるのなら、即座に辞めてしまうだろうと確信できる、それはもう立派な不良警官だった。
「昇進でもすれば給料も上がるでしょうに。それを目指すなら応援もできるんですが」
「結構だよ、そんな応援は」
うるさそうだからな、と言ってから、一内さんは一つ咳払いをした。
「まずは初戦突破おめでとう、と言っておくか?」
蜜柑を一個ひょいと手に取り、もそもそと皮を剥きながら一内さんは切り出した。
「俺の忠告も聞かねぇで、しっかり手柄まで立てたらしいじゃねぇの。言ったよな、今のうちに手を引けと。もう手遅れだぜ。お前はもう、連中と完全に敵対した」
「それは」
蜜柑の皮を剥きながらも、一内さんの視線は冷ややかにこちらを向いていた。
「覚悟の上です。一星を応援するのに中立だなんて、そんな半端なことはできません」
「お前もクソ真面目だね、まったく。頑固っつーか、ただのバカね。生きづらいぞ、この先」
一内さんは盛大に溜息を吐きながら、蜜柑の粒を口に放り込んだ。
「卑怯者よりはいいと思います」
「自分の身が守れるようになってから吐けよ、そういう台詞は」
正論だった。
一星には『見込みがある』と言われたが、所詮俺は一般人だ。あの戦いで生き残ったのだって、ほとんどまぐれだとしか言いようがない。
恐らく、次はない。同じ状況にもう一度追い込まれたら、俺は死ぬだろう。
でも。そうだとしても。
「卑怯で何がいけない。生き物は生きるから生き物ってんだ。死んでも守り抜く覚悟だ? 約束だ? は、命惜しさに逃げ隠れするのがそんなにダサいかね。もうガキじゃねぇんだから、コミックでも読んで晴らしておけよ、そういうヒーロー願望は」
一内さんの言うとおりだと思う。
弱いことは悪じゃない。
逃げることは卑怯じゃない。
物語の主人公のような生き方が、誰しもできればいいけれど。そんなことができるのは、一握りの人間だけ。少なくとも俺は、そんな生き方を選べるほど強くない。ずるくても、格好悪くても、生きるために最善を尽くす。それがきっと、弱者による弱者らしい身の振り方なんだろう。
「はい。でももう、決めたんで」
「てめぇ。それ親の前でも言えるのかよ」
「言えます。誰の前でも言えます」
バカでいい。親不孝でもいい。それで誰に恨まれようと構わない。
ほかのことならいい。ただ一つ、一度応援すると決めたのだから。それだけは絶対、この命が尽きるまで貫き通す。
「揃いも揃って、バカ兄弟がよ。そんなに言うならもう知らねぇ」
「ありがとうございます。心配していただいて」
「礼なんか言ってんじゃねぇよ。お前の親が気の毒すぎるってだけだ」
「兄さんにも、そう言ってくれたんでしょう?」
「挙げ句死にやがったがな、あの大バカ野郎は! 殺しても死なないようなツラしておいて、あんな三下に殺されやがって」
クソッタレが、などと毒づいて、一内さんは残った蜜柑を丸ごと飲み込んだ。案の定喉に詰まらせて、蛙が潰れたような声を漏らして机を叩く。
「……まさかだが、お前」
駆け寄ろうとする俺を制止して、一内さんは間もなく回復した。そしてうんざりするような顔で俺を見る。
「復讐なんて考えちゃいねぇだろうな」
「はい」
「即答とは見上げたもんだ。じゃあこう聞いてやろうか」
一内さんは身を乗り出して、静かに問いを投げてくる。
「そいつが今にも死にそうで、殺せてしまえそうなとき。お前はそいつを助けられるか?」
「…………」
あのヨアヒムが、目の前で、今にも死にそうなとき。それを脳裏に思い描いて、そして分からなくなる。
俺はその問いに、なんて答えればいい?
積極的に人を殺すのも、消極的に人を殺すのも、同じ殺人だ。自らの手で殺すのも、死にゆく人を助けないのも、同じ罪だ。
「はっきり言って、お前が今いる世界は異常だ。だが、だからと言ってお前まで異常になる必要はない。線引きはしっかりしておけ。そうでないと、どこかで踏み外す」
「……俺が、人を殺すと?」
「それくらいで済めばいい方だ」
事実は小説より奇なりだ、なんて。週刊誌の見出しを読むような調子で、一内さんはぼやいた。
言いたいことは分かる。事前に想定し得る『最悪の状況』なんてものは、実は全然『最悪』じゃない。今この状況すら、たった半月前には想定していなかった事態なのだから。
「はい。肝に銘じておきます」
「ああ。まあ、そんなところだ」
歯切れ悪くそう言って、一内さんは気だるげに天井を仰いだ。その視線の先には磨りガラスがあって、ぼんやりとした光が差し込んでいた。
「お前、これからどうするんだ?」
要る? と差し出された蜜柑を断ってから、
「駅前の喫茶店に。一星と悠助を待たせていますから」
「そうか、時間を取らせて悪かったな」
などと言いつつ、一内さんは追い払うような仕草で手をひらひらさせた。休憩の邪魔だ、と言わんばかりだが、職務に復帰する様子が皆無なのは、一般市民として突っ込むべきことなんだろうか。
そんなことを考えながら、退室しようとして、確認事項を一つ思い出した。
「そうだ。一内さんから預かった、一星の勾玉の件ですけど」
「おう。封印は解けたか?」
「いえ、まだ」
最初に会ったとき。一内さんから、唯一確保できた物だと言って、八握剣の勾玉を一つ預かっていた。だが今なお、刀に宿すことはできていない。
「こっちでも調べてるが、進展はないな。八握剣の勾玉を封印するなんて芸当、そう誰にでもできることじゃないとは思うが」
一内さんも当初は、正当な所有者である一星ならば解けると踏んでいたそうだ。それが叶わなかった以上、現段階ではどうしようもないというのが現実だ。一星の歯噛みする顔が目に浮かぶ。
「分かりました。一星にも伝えておきます」
「あんまり、俺のせいみたく言うなよ。多分俺、あの子からの第一印象すんげぇ悪かったろうから」
「自分にできないことを、誰かのせいになんかしませんよ、一星は」
そう。このどうしようもない状況を、一星は誰より分かっている。俺はそう確信しているからこそ、一内さんや鬼贄さんとの間に立ち続けている。いつか必ず、和解しなくてはならない時が来るから。
そんなことを思いながら、俺は派出所を後にして、一星たちの待つロアジへと急いだ。




