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佐倉蓮の変わらない日常  作者: 八千三百
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1-6 変わっていく輪郭

評価、ブックマーク、リアクションありがとうございます。

 翌朝、蓮は小さく欠伸をすると、目をこすりながら昨日のことを思い出した。


 戸惑いながらも、何とか自分自身と向き合った。

 けれど、それで気持ちが楽になったわけではない。

 むしろ、自分が変わってしまったことを改めて意識しただけだった。


 なんで、こんなことになってしまったのか。

 もう、元には戻れないのか。

 事故にさえ遭わなければ。


 考えれば考えるほど、後悔ばかりが浮かんでくる。

 朝からそんなことばかり考えているせいか、表情にも暗い影が落ちていた。

 今の蓮には、病棟の窓から差し込む朝の光さえ、少し眩しすぎた。


 緩慢な動きで朝食を済ませたあとも、蓮はぼんやりとしていた。

 しばらくして、両親が連れ立って病室を訪れた。


 明美はベッドのそばまで歩み寄ると、蓮の顔を覗き込む。


 「まだ先のことだけど、退院の準備も考え始めないとね」


 その言葉に続いて、博人も口を開いた。


「十日後くらいになるそうだ。……学校のことは焦らなくていい。先生と話しておいた」


「ありがとう」


 蓮が短くそう答えると、博人は頷いて更に続ける。


「急ぐ必要はない。お前はお前だ。自分自身がどうしたいか、それを一番大事にしろ」


 少し堅苦しい言い方だった。

 けれど、その言葉の奥にある優しさは、蓮にも伝わってきた。


 それだけで気持ちが晴れたわけではない。

 不安が消えたわけでもない。


 それでも、今なら、胸の中に溜め込んでいたことを話してもいいのかもしれない。

 蓮はそう思った。

 

 蓮は、ペットボトルの水で口を潤してから切り出す。


「ねえ、お母さん」


「なに?」


「なんで……こんなことになっちゃったんだろうね」


 声が震えた。


「俺、何か悪いことしたのかな」


 明美の表情が苦しそうに歪む。


 けれど、蓮の口から溢れ始めた言葉は止まらなかった。


「もう……元には戻れないのかな」


「蓮……」


 明美が名前を呼ぶ。


 その声を聞いた瞬間、蓮の胸の奥に張りつめていたものが揺らいだ。


「俺さ……声も、ずいぶん変わったよね」


「うん。少し高くなったね」


 明美は少し考えるようにしてから、微笑んだ。


「でも、いい声よ」


「そうかな……」


 蓮は自分の喉元にそっと触れる。


「昔から、自分の声ってあんまり気に入ってなかったんだ。男にしては、ちょっと高かったっていうか……」


 以前から、明美は蓮の声を褒めることがあった。

 けれど蓮自身は、どこか好きになれなかった。

 男らしくない。

 そう感じていたからだ。


 それなのに今は、その「男らしさ」そのものが、自分の中のどこにあるのか分からなくなっている。


「……でも今は、前の声がどんなだったのか、少しずつ思い出せなくなってきてるんだ。まだ何日も経ってないのに」


 明美は何も言わなかった。

 ただ、蓮の言葉を遮らずに聞いていた。


「それが……ちょっと怖い」


 ぽつりとこぼした言葉に、博人が静かに口を開いた。


「……そうだよな。怖いよな」


「……うん」


「俺にも、どうすればいいのか分からない」


 その言葉に、蓮は顔を上げた。


「お父さんにも?」


「ああ。こんなこと、簡単に答えを出せるものじゃないだろ」


 蓮はしばらく黙っていた。

 両親にも答えがない。

 それが少し寂しくて、それでも不思議と安心した。

 だったら、自分だって今すぐ答えを出さなくていいのかもしれない。


「……そっか」


 明美が蓮の手をそっと握る。


「でもね。声が変わっても、身体が変わっても、蓮は蓮よ」


「……本当に?」


「ええ。お母さんが知ってる蓮よ」


「……ありがとう」


 不安が消えたわけではない。

 それでも、今は立ち止まる余裕ができただけで充分だった。


 しばらくして、両親は病室を後にした。


 それから少し経った頃、廊下から話し声が聞こえてきた。

 蓮は、何となく扉の方へ目を向ける。

 もうすっかり聞き慣れた平井の声と、もう一人、聞き覚えのない青年の声がした。


「ほら、早く行きなさい」


「怪我人に向かって酷くない?」


「くだらないこと言ってないで、仕事の邪魔」


 砕けた口調から、二人の関係性がうかがえる。


 ほどなくして、平井が病室へ入ってきた。


「そろそろリハビリの時間ですよ」


「うん」


 蓮は車椅子に座り、平井に押されながら病室を出た。

 リハビリ室に向かう道すがら、先程のことを聞いてみることにした。


「ねえ、平井さん」


「はい?」


「さっき話してた人って……」


「ああ、聞こえちゃってました?」


「楽しそうでしたね」


「佐倉さんより少し前から入院してるんです。それに、入院前からちょっとした知り合いで」


「なるほど……」


 蓮はそれだけ聞くと、廊下の先へ目を向けた。

 先ほど聞こえてきた、少し軽い声を思い出す。


「……元カレ?」


「まさか!でも、悪い人ではないですよ」


平井はそう言って笑った。


 リハビリ室に入ると、日差しがさらに明るく床を照らしていた。


 昨日の運動を軽くなぞると、今度は歩行訓練のコースに案内される。

 床に貼られたラインをたどりながらすり足で歩くと、自分の歩幅の変化がはっきり分かった。


 以前より一歩が小さく、脚の返し方がなめらかだ。

 上体の揺れも違う。

 肩が自然に前へ傾き、重心が低く感じる。

 その気づきを、冷静に受け止めている自分がいることを感じ取っていた。


 療法士が説明する声に導かれるように、蓮は自分の体の癖をひとつひとつ探す。


 平行棒を伝い歩くとき、無意識に揺れる腰の動き。

 汗を拭い息を整えるため、深呼吸すると上下する肩。

 一歩を踏み出すたび、身体の感覚を掴むために意識を集中させた。


 疲れを称えつつ何歩か進んで、窓の外に目を向ける。


 外の木々には、昨日よりもはっきりと小さな芽が見えていた。

予想外に長くなりました。

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