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佐倉蓮の変わらない日常  作者: 八千三百
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3/13

1-3 再会

メインキャラクター登場です。



 夕方、蓮はベッドに身を預け、ぼんやりと自分の手を見つめていた。


 椅子に腰掛けて書類を確認していた明美が、ふと顔を上げて蓮を見る。


「そろそろ、綾香ちゃんが来る頃かしらね」


 高校生になった今でも慕っていて、信頼を寄せている幼馴染。

 中学生くらいまでは、同学年の男友達よりも長く遊んでいたくらい仲のよい親友と言える存在。

 そんな彼女に対しても、今の自分を見せることにはためらいが生まれ、蓮の心に影を落としていた。


 会って話したいけど、不安もある。でも、希望もある。

 そんな、蓮の定まらない思考を遮るように、コンコン、と軽いノックの音が響いた。


 その音を聞いて、椅子に腰かけていた母が「どうぞ」と答える。

 ドアが開き、その隙間から綾香が顔をのぞかせた。

 綾香は、一歩病室に入ると明美に向かって丁寧に頭を下げ、二人が「こんにちは」と挨拶を交わす。


 薄いベージュのコートの下からのぞく制服姿。

 黒髪を低い位置でひとつに結い、頬は外気でわずかに赤い。

 化粧っ気のない、控えめで素朴な顔立ちや、少し遠慮がちに伏せられた視線からは、内気で大人しそうな印象を周囲に与える。

 しかし、無駄のない所作は、同年代よりずっと大人びて見える。

 その姿に、蓮は昔から憧れを抱いていた。


 綾香は、ゆっくりと蓮の方に体を向き直すと、小さく名前を呼ぶ。


「……蓮くん」


 囁くように息の混じった声が病室に響く。

 蓮は、緊張で顔が熱を帯びるのを感じた。


「来てくれて、ありがとう」


 蓮は声を詰まらせながらも丁寧に言葉を選んだ。


「うん。……明美さんから蓮くんの目が覚めたって聞いたら、いてもたってもいられなくなっちゃって」


 昨日、蓮が目を覚ました直後に、連絡を入れたのだろう。

 親同士が旧知の仲で、家が近所ということもあってか、互いの両親は、一歳違いの二人を姉弟のように扱ってきた。

 その関係が、高校生になった今も続いていることは、二人にとって自然で、心地よいものだった。


 互いに互いのことを、昔からよく知っている存在。

 だからこそ、今の姿を見せることに、蓮は余計にためらいを覚えていたのも事実だった。


 そんな蓮の心情を感じ取った綾香は、遠慮と親しみの境目のような距離で立っていた。

 近づきすぎず、離れすぎず。その在り方が、今の蓮にはありがたかった。


 綾香は持ってきた紙袋を、そっと棚に置く。


「クッキー、渡しておくね」


 淡い色合いの包みから、ほのかに甘い匂いが漂った。


 明美が蓮と綾香に視線を向ける。


「綾香ちゃん、学校も忙しいだろうに、毎日のようにお見舞いに来てくれてたのよね」


「蓮くんが入院しているんですから、当然ですよ。無事で、本当に良かったです」


 綾香がそう返す。

 明美は微笑み「いろいろお話ししてあげてくれ?」と綾香に言うと、病室を出ていく。


 ドアが閉まり、部屋には蓮と綾香の二人だけになった。

 視線を交差させる二人の間に、短い沈黙が流れる。

 その沈黙が、二人の空気を落ち着かせた。


 蓮は「ごめんね、心配かけて」と視線を落とす。


 けれど綾香はすぐに首を横に振った。


「ううん……また蓮くんと話せて嬉しい」


 声は、わずかに震えていた。

 ようやく会えたと、安堵が滲むその表情には、久しぶりの再会を心から喜ぶ気持ちがあふれていた。


「身体の痛みとかは大丈夫?」


「うん、大丈夫みたい。変な感じはするけど、痛みはほとんどないんだ。先生も、経過は良好だって」


「よかった……」


 綾香は胸に手を当て、ほっと息をついた。

 その仕草から、どれほど心配していたのかが伝わってくる。

 ついさっきまでは、どう見られるかばかりが怖かった。

 それなのに、いざ綾香と言葉を交わすと、その恐れが少しずつ薄れていく。


「……俺、変わっちゃったよね」


 蓮がぽつりと呟いた言葉に、綾香はじっと顔を見つめると、一拍置いてから柔らかく微笑んだ。


「どうかな。聞いたときは……ううん、今もまだちょっと驚いているけど……変わってないところもあるんじゃない?」


「……え?」


「顔つきとか声の高さとか、いろいろ違うけどね。でも、全体の雰囲気とか、話し方とか……ちゃんと蓮くんだよ」


 綾香が一歩、距離を縮める。


「私、最初に見てすぐに、ああ、やっぱり蓮くんだって思ったよ」


「……そんなに、わかるものかな?」


「うん。……たぶん、昔からずっと見てたからかな」


 彼女の瞳はまっすぐで、曇りがない。

 そこには、決して揺らぐことのない肯定があった。


 それを見た蓮は、思わず息を呑む。

 脳裏に張りついていた冷たさが、どんどんと溶けていく。


 綾香は、瞳を潤ませながら蓮を見つめると、言葉を選ぶように言った。


「……正直に言うと、ずっと不安だったの。でも、絶対に元気になるって信じてたから、大丈夫だったよ」


 精一杯の強がり。

 けれど弱さを隠しきれていない、彼女らしい表情だった。

 その仕草が、あまりにも蓮の知る綾香らしく思えて、蓮は笑みが漏れた。


 蓮の顔を見た綾香は目を細める。


「また強がってるって言うんでしょ」


「違った?」と蓮がたずねる。


「……違わないけど」


 綾香は、頬を膨らませた後、ほっとしたように細く息を吐いた。

 先ほどまでの戸惑いは、もう彼女の中には見当たらない。


 視線にも、不安の色はほとんど残っていなかった。

 会話は自然と以前の調子を取り戻し、穏やかな時間が流れる。

 綾香の家のこと、友人のこと、高校で二人が在籍する放送部のことなど、他愛もない話に花を咲かせた。


 やがて会話がひと区切りつくと静けさが戻る。

 綾香は時計に目をやると、名残り惜しさを振り払うように、ゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、また来るね」


「もちろん、またね」


「うん」


 立ち上がり、マフラーを巻き直した綾香は、ドアの前で振り返る。


「今度は一之瀬くんもお見舞いに来るって言ってたよ」


「うん、分かった」


「じゃあね」


 扉が閉まると再び静寂が戻る。

 蓮は、窓の外を見つめて目を細めると、綾香との会話を何度も心の中で反芻する。

 自分の居場所に戻ってこられたのだと、実感していた。


 その安堵の奥で、気の置けない親友の騒がしい声が思い浮かんだ。


 あいつは、きっと何も考えずに病室へ入ってきて、変わらない調子で話しかけてくるだろう。

 思わず笑みがこぼれた。

次回、更にメインキャラが登場します。

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