1-2 変化
最初の内は、書き溜めた分があるので連投したいと思います。
翌朝、蓮が深い眠りから覚めると、病室のカーテン越しに淡い光が差し込んでいた。
その白さが目にしみて、現実感がどこか遠のいていく。
まるで夢の続きのようだった。
ベッド脇にある棚の上、卓上カレンダーを眺めると、3月の上旬から線が引いてある。
今は高校1年の三学期だったか、その記憶が自分の存在を現実へと引き戻した。
昨日のことが順番に思い出される。
看護師、医師、そして両親、その場にいた全員から掛けられた声の一つひとつが、まるで壊れ物に触れるみたいに慎重だった。
しかし、優しい言葉は不安を孕み、どうしても引っかかりを覚える。
気を使われているような気配が視線から伝わってきた。
静寂の中に、ドアノック音が響いた。
カラカラと音を立ててドアが引かれると、担当看護師の平井が病室へ入る。
平井は簡単な挨拶のあとに、慣れた手つきでバイタルサインを確認していく。
蓮は、その様をぼうっと眺めたあと、ふと手の甲に視線を落とした。
指先が細く尖って、皮膚が透けるように白い。
指を軽く握ると、どこか頼りない感触が返ってくる。
やはり、少し前までの自分の手とは違う感覚がして、その思考の底でじわりと拒絶が生まれる。
だが、その感情に触れることさえ、怖かった。
続いて母の明美と担当医の辻村が病室に入った。
二人の表情は変わらず落ち着いていたが、その微笑みの奥に何か慎重な色があるように見えた。
「よく眠れたかな、佐倉くん」
「……はい。まだ、頭がぼーっとしていますけど」
「そうか。それも無理はないよ」
辻村は椅子を静かに引いて、ベッドのそばに腰を下ろす。
手の甲をさする仕草からは、選ぶように言葉を探している気配がみえた。
そして、ゆっくりと呼吸を整えるようにしてから話し始める。
「早速だけど、今日はね、大事な話をしようと思う。まだ、説明しても混乱するとは思うけど、早いほうが良いことなんだ」
「大事な話ですか?」
蓮がたずねると辻村は軽く頷き、視線をカルテから蓮へと移した。
「佐倉くん。もしかしたら、気づいているかもしれないが、事故のあと、君の体に少し特異な変化が起きているらしい」
蓮は息を飲んだ。
昨日もその変化という言葉を聞いた気がする。
けれど、その意味を知るのが怖くて、昨日は聞けなかった。
「……らしい?」
蓮は、短く疑問を投げかけた。
「いや、すまない。医学では説明が難しい現象でね」
辻村は横に首を振り、そのまま続ける。
「まずはひとつ確認させてほしい。佐倉くん自身は、自分の性別をどう認識している?」
思いがけない問いに、蓮は一瞬まばたきをして「男です」と答えた。
辻村は、静かに頷く。
「そうだね。君の戸籍上の性別も、これまでの医療記録も、すべて男性として記録されている」
「……はい」
「しかし、現在の身体所見は、その記録と一致していないんだ」
蓮の身体の中を、冷たいものが這い上がる。
「今の君の身体は、男性の身体的特徴がみられない」
心が反応する前に、身体の方が先に固まった。
「つまり、君の体は女性そのものなんだ」
喉の奥が詰まり、鼓動の音が、ひとつひとつ間を置いて響く。
「ここに運び込まれてきた時点で、すでにそうだった。少なくとも、我々が初めて診察した時からね」
耳鳴りがして、辻村の声が遠くの霧に消えていく最中で、蓮はようやく、かすれた声を絞り出す。
「……そんなこと……あるんですか?」
辻村は、はっきりと首を横に振った。
「前例はない。少なくとも、私たちの知る限りでは」
「そんな……」
「原因も、経過も、医学的には説明がつかない。ただ、健康状態は安定している。命に関わる問題は見られない。それだけが、今わかっていることだ」
息が浅くなり言葉が続かない。
健康という言葉が、やけに遠くに思えた。
生きているのに、自分が自分でない気がするその矛盾が、胸をじわりと締めつけていく。
「……だから、こんな声に?」
「そうだね。声帯や筋肉の構造まで、おそらくは体のすべてが変化している。まるで元からそうだったようにね」
辻村の言葉に、蓮は無言でシーツを握りしめた。
冷たい指先がかすかに震え、爪の先が布地に食い込むと瞳には涙が滲んだ。
ただ現実が、音もなく蓮の体へと沈んでいく。
これから、どうなってしまうんだろう。
不安の二文字が、どこかで息を潜めている感覚だけが残った。
辻村は、明美に向き直ると言葉を選びながら続ける。
「今後のこともありますので、皆さんで少し相談してみるとよろしいかと思います」
明美が頷くと、心配を滲ませた声で蓮に呼びかけた。
「蓮……驚いたでしょう」
微笑みは揺らいでおらず、落ち着いた温度があった。
「分からないことは多いけど、心配しなくていいからね。まずは、蓮が無事に戻ってきて良かった」
その声には、不思議なほどの安心感があった。
蓮は、その空気に少しだけ勇気づけられたのを感じた。
蓮が明美に向かって問いかける。
「……俺、本当に?」
「……ええ。先生の言う通り、身体が変わっているみたいなの。でもね、大丈夫、大丈夫だから」
母の言葉が胸にスッと広がる。
大丈夫。その響きが、不安を優しく包み込んだ。
「蓮。あなたは、あなたのままよ。何があっても、それは変わらないの」
明美の手がそっと蓮の手の上に重ねられた。
その掌は、じんわりと温かい。
母の手の温もりが、現実とつながる糸のように感じられた。
「これからの事は、ひとつずつみんなで相談しながら決めましょう。時間をかけてもいいから、無理せずに焦らないでいきましょう」
明美の言葉が、遠い波の音のように響く。
蓮は曖昧に頷いた。
受け止めきれないのに、不思議と拒絶もできない。
まばゆい光が病室を照らし、影を薄く溶かしていく。
その光の中で、自分の輪郭がぼやけて淡くなっていくような気がした。
しばらく沈黙があった。
少し間を置いて、明美が静かに言った。
「綾香ちゃんが、あなたに会いたいって。夕方には来てくれると思う」
その名前を聞いた瞬間、身体がわずかに熱を帯びた。
篠原綾香は近くに住む幼馴染で、高校の一学年上の先輩でもある。
まだ見せたくない。
見せてしまったらどうなってしまうんだろう。
そんな気持ちが一瞬、喉の奥で膨らむ。
けれど、きっと彼女は変わらない。
そんな予感が、微かな希望のように胸の奥で光った。
次回、メインキャラの1人が登場します。




