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佐倉蓮の変わらない日常  作者: 八千三百
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2/12

1-2 変化

最初の内は、書き溜めた分があるので連投したいと思います。

 翌朝、蓮が深い眠りから覚めると、病室のカーテン越しに淡い光が差し込んでいた。

 その白さが目にしみて、現実感がどこか遠のいていく。

 まるで夢の続きのようだった。


 ベッド脇にある棚の上、卓上カレンダーを眺めると、3月の上旬から線が引いてある。

 今は高校1年の三学期だったか、その記憶が自分の存在を現実へと引き戻した。


 昨日のことが順番に思い出される。

 看護師、医師、そして両親、その場にいた全員から掛けられた声の一つひとつが、まるで壊れ物に触れるみたいに慎重だった。

 しかし、優しい言葉は不安を孕み、どうしても引っかかりを覚える。

 気を使われているような気配が視線から伝わってきた。


 静寂の中に、ドアノック音が響いた。

 カラカラと音を立ててドアが引かれると、担当看護師の平井が病室へ入る。

 平井は簡単な挨拶のあとに、慣れた手つきでバイタルサインを確認していく。


 蓮は、その様をぼうっと眺めたあと、ふと手の甲に視線を落とした。

 指先が細く尖って、皮膚が透けるように白い。

 指を軽く握ると、どこか頼りない感触が返ってくる。

 やはり、少し前までの自分の手とは違う感覚がして、その思考の底でじわりと拒絶が生まれる。

 だが、その感情に触れることさえ、怖かった。


 続いて母の明美と担当医の辻村が病室に入った。

 二人の表情は変わらず落ち着いていたが、その微笑みの奥に何か慎重な色があるように見えた。


「よく眠れたかな、佐倉くん」


「……はい。まだ、頭がぼーっとしていますけど」


「そうか。それも無理はないよ」 


 辻村は椅子を静かに引いて、ベッドのそばに腰を下ろす。

 手の甲をさする仕草からは、選ぶように言葉を探している気配がみえた。

 そして、ゆっくりと呼吸を整えるようにしてから話し始める。


「早速だけど、今日はね、大事な話をしようと思う。まだ、説明しても混乱するとは思うけど、早いほうが良いことなんだ」


「大事な話ですか?」


 蓮がたずねると辻村は軽く頷き、視線をカルテから蓮へと移した。


「佐倉くん。もしかしたら、気づいているかもしれないが、事故のあと、君の体に少し特異な変化が起きているらしい」


 蓮は息を飲んだ。


 昨日もその変化という言葉を聞いた気がする。

 けれど、その意味を知るのが怖くて、昨日は聞けなかった。


「……らしい?」


蓮は、短く疑問を投げかけた。


「いや、すまない。医学では説明が難しい現象でね」


 辻村は横に首を振り、そのまま続ける。


「まずはひとつ確認させてほしい。佐倉くん自身は、自分の性別をどう認識している?」


 思いがけない問いに、蓮は一瞬まばたきをして「男です」と答えた。


 辻村は、静かに頷く。


「そうだね。君の戸籍上の性別も、これまでの医療記録も、すべて男性として記録されている」


「……はい」


「しかし、現在の身体所見は、その記録と一致していないんだ」


 蓮の身体の中を、冷たいものが這い上がる。


「今の君の身体は、男性の身体的特徴がみられない」


 心が反応する前に、身体の方が先に固まった。


「つまり、君の体は女性そのものなんだ」


 喉の奥が詰まり、鼓動の音が、ひとつひとつ間を置いて響く。


「ここに運び込まれてきた時点で、すでにそうだった。少なくとも、我々が初めて診察した時からね」


 耳鳴りがして、辻村の声が遠くの霧に消えていく最中で、蓮はようやく、かすれた声を絞り出す。


「……そんなこと……あるんですか?」


 辻村は、はっきりと首を横に振った。


「前例はない。少なくとも、私たちの知る限りでは」


「そんな……」


「原因も、経過も、医学的には説明がつかない。ただ、健康状態は安定している。命に関わる問題は見られない。それだけが、今わかっていることだ」


 息が浅くなり言葉が続かない。

 健康という言葉が、やけに遠くに思えた。


 生きているのに、自分が自分でない気がするその矛盾が、胸をじわりと締めつけていく。


「……だから、こんな声に?」


「そうだね。声帯や筋肉の構造まで、おそらくは体のすべてが変化している。まるで元からそうだったようにね」


 辻村の言葉に、蓮は無言でシーツを握りしめた。

 冷たい指先がかすかに震え、爪の先が布地に食い込むと瞳には涙が滲んだ。

 ただ現実が、音もなく蓮の体へと沈んでいく。


 これから、どうなってしまうんだろう。

 不安の二文字が、どこかで息を潜めている感覚だけが残った。


 辻村は、明美に向き直ると言葉を選びながら続ける。


「今後のこともありますので、皆さんで少し相談してみるとよろしいかと思います」


 明美が頷くと、心配を滲ませた声で蓮に呼びかけた。


 「蓮……驚いたでしょう」


 微笑みは揺らいでおらず、落ち着いた温度があった。


「分からないことは多いけど、心配しなくていいからね。まずは、蓮が無事に戻ってきて良かった」


 その声には、不思議なほどの安心感があった。

 蓮は、その空気に少しだけ勇気づけられたのを感じた。


 蓮が明美に向かって問いかける。


「……俺、本当に?」


「……ええ。先生の言う通り、身体が変わっているみたいなの。でもね、大丈夫、大丈夫だから」


 母の言葉が胸にスッと広がる。

 大丈夫。その響きが、不安を優しく包み込んだ。


「蓮。あなたは、あなたのままよ。何があっても、それは変わらないの」


 明美の手がそっと蓮の手の上に重ねられた。

 その掌は、じんわりと温かい。

 母の手の温もりが、現実とつながる糸のように感じられた。


「これからの事は、ひとつずつみんなで相談しながら決めましょう。時間をかけてもいいから、無理せずに焦らないでいきましょう」


 明美の言葉が、遠い波の音のように響く。

 蓮は曖昧に頷いた。

 受け止めきれないのに、不思議と拒絶もできない。


 まばゆい光が病室を照らし、影を薄く溶かしていく。

 その光の中で、自分の輪郭がぼやけて淡くなっていくような気がした。

 しばらく沈黙があった。

 

 少し間を置いて、明美が静かに言った。


「綾香ちゃんが、あなたに会いたいって。夕方には来てくれると思う」


 その名前を聞いた瞬間、身体がわずかに熱を帯びた。


 篠原綾香は近くに住む幼馴染で、高校の一学年上の先輩でもある。


 まだ見せたくない。

 見せてしまったらどうなってしまうんだろう。

 そんな気持ちが一瞬、喉の奥で膨らむ。


 けれど、きっと彼女は変わらない。

 そんな予感が、微かな希望のように胸の奥で光った。

次回、メインキャラの1人が登場します。

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