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佐倉蓮の変わらない日常  作者: 八千三百
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14/19

2-1 ただいまとおかえり

今回少し長めです。

 蓮は、自宅の庭を抜けると、家に帰ってこられたことに安堵の吐息をついて、肩をなでおろした。


「ただいま」


 誰にともなく発した声が、静かな玄関に響いた。


「おかえり」


 先に家に入った両親が振り向きざまに返す。

 いつも交わしている言葉も、今日は三人にとって特別な意味を持っていた。


「持とうか?」


 博人が、明美と蓮の手に提げられた荷物を預かろうと、手を伸ばす。


「俺は大丈夫だよ」


 蓮の荷物は、数日に分けてすでに運んでもらっていたので、トートバッグひとつを預けるのも躊躇われ、やんわりと断った。

 もう病人というわけでもないし、何かしてもらう立場ではないとの思いがあった。


「そうか。じゃあ、明美の荷物だけ預かろうか」


「ありがとう、博人さん」


 博人は、口数が多いほうではない。誰に対しても気さくに話しかけたり、笑顔を振りまいたりするようなタイプでもなかった。

 どちらかといえば、少し遠慮がちな人柄だ。


 それでも、人に対する接し方はいつも紳士的で、その行動は博人にとって、特別なことではないのだろう。


 そして、その姿勢は明美に対して、いっそう顕著だった。

 父の背中を見ながら、蓮もまた、人に対してどう接するべきなのかを覚えていく。

 そうしたものは、いつの間にか蓮の中に根を張り、行動の規範になっていた。


 性別が変わったからといって、父から受け取ったものまで変わるわけではない。

 むしろ、こんな状況だからこそ、その姿勢だけは自分の中に残しておきたい。

 蓮は、そう願っていた。


 二人のやり取りを見た蓮は、口元を緩ませる。

 頭に、仲良きことは美しきかな、なんて言葉が浮かぶ。

 少し大げさな表現な気もするけれど、実際に、こういう両親の姿を蓮は好ましく思っている。


 そんな二人を横目に、蓮は靴を揃え、家の中へ上がった。


 見慣れた額縁。

 見慣れた観葉植物。


 いつもなら何気なく通り過ぎていたものが、今日はひとつひとつ目に入ってくる。

 感慨深さに浸っていると、後から二人が入ってきた。

 家族でひと通り荷物を広げた後、蓮は自分のものを仕舞うため、自室へ向かう。


 階段を上がり、廊下の角を曲がると、自分の部屋が見えた。

 部屋の中へ一歩入り、室内をぐるりと見渡す。

 すると、一緒に荷物を持ってきた明美が、蓮に訊ねた。


「どう? 久しぶりの自分の部屋は」


「うん、やっぱり家は落ち着くね」


 蓮は窓際へ進むと、使い慣れた目覚まし時計を手にする。

 埃ひとつない部屋は、入院する前よりきれいかと思うほどに、掃除が行き届いていた。


「ちょっと掃除してくれてたの?」


「少しだけね。蓮は元からきれい好きだから、掃除機をかけたくらいね」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 明美は部屋の隅に荷物を置いた後、机の方を向いて続ける。


「一之瀬くんが、学校から配られるものを持ってきてくれていたのよ。いい友達を持ったわね」


 言われて、蓮は机の上を眺めた。


「うん。ホントだね」


 机の上には、プリントの束が置かれていた。

 大半が、二年へ進級した後の準備についてのもののようだった。

 立ったまま目を通すうちに、思いのほか集中してしまっていたらしい。

 気づけば、明美はいつの間にか退室していた。

 蓮は椅子に座りなおして背もたれに体を預けると、さらに残りのプリントをパラパラとめくる。

 しばらく眺めたあと、小休憩を取ろうと目を閉じる。

 ほんの少し身体を休めるつもりだったが、そのまま意識は遠のいていった。



 ふたたび蓮の意識が浮かび上がったときには、すっかり時間が過ぎていた。

 布団から背中を引き剥がすと、横になったままスマホを覗き込む。

 スマホの上部には、アプリのメッセージが複数届いていた。


 それらを開くことなく、眉間を軽くマッサージして、のそのそと立ち上がる。


 手すりをしっかりと握りしめ、階段を慎重な足取りで下りる。

 足音に気づいた明美が振り向いた。


「蓮、そろそろご飯できるわよ」


「ん……」


「もしかして寝てた?」


「みたい」


 まだ上の空で、自分のことをまるで他人を見ているかのように言う蓮に、明美は微笑みを向けた。


「それで、どうする? 食べられそう?」


「うん」


 ダイニングに博人の姿がないことに気づき、蓮が尋ねると、博人は午後からの用事のため、すでに家を出たとのことだった。


 蓮と明美は軽い昼食を済ませ、しばらくリビングで過ごす。

 三人掛けのソファに体を沈めると、また眠気が襲ってきた。

 このまま怠けていてはよくないと、病院で教わったストレッチをこなすが、それもすぐに終わってしまう。


 久しぶりに自宅で過ごす午後は、ゆっくりと過ぎていった。


「悠真くんとは連絡取ってるの?」


「うん。昨日もメッセージ来てたよ」


「部活の練習はできてるのかしら」


「もちろん。フォームを変えてるって言ってたな」


 悠真が陸上部で試行錯誤を続けていることは、入院中にも何度か聞いていた。


「綾香ちゃんも忙しいんでしょう?」


「うん。放送部の県予選があるからね」


 綾香のことを思い浮かべると、放送部でマイクに向かっている姿が自然と浮かんだ。


「二人とも、蓮の入院中は頻繁に会いに来てくれていたけど、ちゃんと学校のことも頑張ってるのね」


「だね。そういえばメッセージたくさん届いてたんだった」


「送ってくれる人にはちゃんと返しなさいね」


「はーい」


 スマホの画面を開けば、見覚えのある名前がいくつも並んでいた。

 そのひとつひとつに順番に返信していくと、あっという間に時間は過ぎていった。



 夕方になり、明美が外出の準備を始めた。


「夕飯はお鍋でいい?」


「いいよー。ご飯炊いておこうか? 夕飯は何時頃?」


「じゃあ、六時半でお願いできる?」


「分かった」


 蓮は、はっきり言って料理ができないといっても過言ではないが、炊飯器をセットすることくらいはできるので、その役目を担うことは少なくない。

 慣れた手つきで米を洗い、炊飯器のタイマーをセットして終わり。


 台所を後にすると、広いリビングで一人、母の帰りを待つよりも、何かしていたほうがいいと思い、自分の部屋に戻って荷物の整理を再開した。



 ひと通り荷物の整理が終わった頃、外から車のドアを閉める音が響き、明美の帰宅を知らせる。

 明美を出迎えるべく、階段を降りる蓮の足取りは、先ほどより軽かった。


「おかえり」


「ただいま」


 明美は、嬉しそうに笑った。


「どうかした?」


「ううん。なんでもない」


 明美は買ってきたものを台所へ運ぶと、さっそく夕飯の準備を始めた。

 袋から野菜や豆腐を取り出し、今日使う食材だけを残して、あとは冷蔵庫にしまっていく。

 蓮はその様子を横から眺めていると、口を開いた。


「何か手伝おうか?」


「いいの?」


「うん」


 明美は少し考えるように台所を見渡した。


「じゃあ……」


 そう言いながら、キッチンを見渡す。


「特にないわね」


「え?」


「今日はお鍋だから。切って入れるだけだし」


 キッチンの上を見ると、白菜やきのこ、豆腐がきれいに並んでいる。


「……本当にやることないね」


「そうでしょう? 無理に仕事を探さなくてもいいのよ」


 明美がくすりと笑う。


「じゃあ、お箸とお皿を並べてくれる?」


「いいよ」


 蓮は少し嬉しそうに答えると、食卓に取り皿を並べ、鍋を置く場所を空ける。

 鍋が温まるにつれて、ふつふつと煮立つ音が台所に響き始めた。

 立ち上る湯気が窓を白く曇らせ、だしと野菜の甘い香りが家の中いっぱいに広がっていく。


 その頃、玄関から再び物音がした。


「博人さんかな? 蓮、お願い」


「はーい」


 食器棚から取り出した箸を急いで並べてから、父を迎える。


「ただいま」


「おかえり」


 博人が、わずかに頬を緩ませる。

 それを見た蓮は、自然と笑みを浮かべた。


「……どうした?」


「ううん。なんでもない」


「そうか」


 それ以上は尋ねず、博人は靴を脱いで家の中へ上がった。

 後ろからついて歩く蓮は、博人と明美を交互に見た。

 自然と口元が緩み、少しだけ照れくさくなる。


 三人で食卓につくと、明美が二人の顔を見渡す。


「それじゃあ」


「いただきます」


 三人の声が重なる。


 鍋の蓋が開かれると、ふわっと白い湯気が三人の間に広がった。

 博人が椅子を引く音、明美が具材を取り分ける音、器に箸が触れる音が、食卓をやさしく満たしていく。

 蓮が取り皿に白菜をよそい、博人が熱そうに息を吹きかける。

 湯気の向こうで、博人と明美が顔を見合わせる。


「やっぱり、こうして食べると落ち着くな」


 蓮がそう言うと、明美も笑った。


「そうね」


 久しぶりの家族三人での夕食だった。

 今日のテレビ番組や明日の天気など、とりとめのない話をしながら、三人で食事を続けた。


 食事が終わると、蓮も片付けを手伝った。

 食洗機に皿をセットしていると、向きを間違えた蓮に明美が声をかける。


「あ、それこっち」


「あ、ごめん。そうだっけ?」


「そうよ」


「忘れてた」


「日ごろから家事を手伝っていれば、そうそう忘れないんじゃない」


「入院してたから仕方ないね」


「それ関係ある?」


「あるでしょ」


「そういうことにしておきましょう」


 冷蔵庫に飲み物を取りに来た博人が、その会話を聞いて笑う。

 また、三人の間に笑い声が起こった。



 片付けを終え、リビングに全員が集まると、博人が口を開いた。


「これからのことを少し話そうか」

仕事が忙しすぎて辛いです。

投稿まで大分時間が空いてしまいました。

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