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佐倉蓮の変わらない日常  作者: 八千三百
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11/12

1-11 名前バレ

今回短いです。

頑張って夕方にもう一話投稿する予定。

 退院を翌日に控えた朝。

 病棟の廊下は静かで、窓の外にはうっすらと霞んだ陽射しが満ちていた。

 冷たい空気の奥に、かすかに春の匂いが混じっている。


 蓮は、小銭の入った財布をポケットに入れ、スリッパの音を控えめに響かせながら、売店に向かって歩いていた。


 あの部屋で過ごすのも、今日が最後か。


 そう思うと、ほんの少し名残惜しいような、でも新しい生活への緊張も入り交じって、落ち着かない心持ちだった。

 ちょうどロビーの前を通り過ぎるとき、軽い声が背後からかかる。


「おっ、やっぱり見送りに来てくれたんだ?」

 

 振り向くと、智也がいた。

 ジャージの上に薄いブルゾンを羽織り、片手に紙袋を下げている。腕には退院書類の封筒。


「サクラちゃんってば、俺に会えなくなるのがさみしくて、つい見送りに来ちゃったってわけか」


 ニカッと笑う顔は、相変わらず憎めない。


 入院中ですっかり慣れてしまったやりとりに、蓮はすぐさまそっけなく返した。


「……売店に行くところです。新山さん、今日退院なんですね」


「前に伝えたじゃん!忘れてたの?」


「そうでしたっけ」


 蓮がとぼけるように言うと、智也は目を丸くして「冷たっ」と肩を落とす。


「いやあ、もうちょっと名残惜しんでくれてもいいのに。俺、けっこう頑張ってたでしょ? リハビリも一緒だったのにな」


「覚えてますよ。でも……別に見送りじゃないです」


 そっけない言葉の裏で、蓮はほんの少し笑いをこらえていた。

 からかってくる調子は変わらない。

 でも、蓮の方もこの軽妙なやり取りが板に付いてきた。

 彼がそういう人間だと、今はもう分かっているから。


「それにしてもさ」と智也が真面目な顔を作り、更に続ける。


「やっぱりサクラちゃんって雰囲気いいよなぁ。髪もサラサラだし、声も良いし」


「またそれですか……」


 聞き流すように返したそのとき。


「こら!またそうやって女の子ナンパして!」


 後ろの廊下から近づいてくる声がした。

 振り向くと、バッグを肩にかけた女性が、険しい表情で智也を見ていた。


「まったくあんたは病院でもそんなことやってたの?若い子に馴れ馴れしくして、何考えてるのっ!」


「ち、違うって母さん!ただ話してただけだよ。リハビリ仲間」


 蓮は、智也の「母さん」という言葉に反応して、女性の顔を改めて見る。

 智也に似た、はっきりとした顔立ちに、明るい髪色や華やかな服装も相まって、見るからに快活そうな大人の女性だった。


 智也が慌てて仰け反ったので、蓮も手を振って援護する。


「大丈夫です!一応、知り合いなので」


 蓮がそう言うと、智也の母親は会釈をして、申し訳なさそうに笑顔を作った。


「愚息がごめんなさいね。母親の新山菫です」


 菫の丁寧な自己紹介に、蓮も応じる。


「あ、佐倉蓮です。新山さんにはいつも良くしてもらっていました」


 蓮がそう答えると、智也がまばたきをした。


「えっ?マジで?サクラって苗字?だったの」


 蓮は嘘がバレた子供のように、バツの悪そうな表情を浮かべた。


「……そういうことになります」


「えぇぇぇ!?」

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