9話 勇者と研究所と、分からないものを調べているつもりの日
王都には、研究所がある。
分からないものは、調べられる。
調べることで、人は分かった気になる。
分かった気になると、安心する。
安心しても、対象が変わったとは限らない。
二人は、研究所へ向かうことにした。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
村を離れてしばらく歩くと、
景色が少しずつ変わってきた。
家の形は角ばり、
道は無駄にまっすぐになり、
人の声は減っていく。
酒場の笑い声も、
子どもの走る音も、
いつの間にか聞こえなくなった。
「……静かすぎない?」
スライムが言った。
「そりゃ、王都だからな」
勇者は、前を見たまま答える。
「王城より静かだよ?」
「んーー、研究所とかあるからじゃないか」
「研究所って、
音立てちゃいけない場所なの?」
「そりゃ、みんな集中したりするんだろ」
「何に?」
「……研究だよ。研究」
スライムは周囲を見回した。
歩いている人はいるが、
誰も雑談をしていない。
視線も合わない。
(……ここ、
今までで一番しゃべらない場所だ)
建物は大きく、
白くて、
窓がやたら多い。
「なんかさ」
スライムが言う。
「ここ、
人がいるのに、
人の気配薄くない?」
「……そうか?」
「話しかけられそうな感じしない」
「研究所だからだろ」
「便利だね、その言葉」
研究所の前には、
簡素な門があった。
衛兵はいない。
代わりに、
無言で立っている係員が一人。
二人を見ると、
何も言わずに扉を開けた。
「……説明ないんだ」
「王城と一緒だな」
「いや、
王城はまだ喋ってた」
中に入ると、
さらに音が消えた。
足音が、
やけに大きく響く。
廊下は長く、
白く、
どこまでも続いている。
(……世界、
分からないもの集めると、
無音になるのかな)
部屋に通されると、
数人の研究者が待っていた。
白い服。
淡々とした表情。
視線は、ほぼスライムだけに向いている。
「非常に興味深いですね」
「反応が早い」
「会話能力も確認できます」
スライムは、
少し遅れて口を開いた。
「……ねえ」
研究者の一人が顔を上げる。
「はい?」
「僕の話、聞いてる?」
「ええ。
発声と反応を観察しています」
「観察じゃなくてさ、
会話してほしいんだけど」
「会話も、
重要なデータです」
「データ!?」
勇者が一歩前に出る。
「こいつは俺の仲間だぞ」
研究者は、
一瞬だけ勇者を見て、
すぐにスライムへ視線を戻した。
「承知しています」
「じゃあ、
なんでそんな見方をしているんだ?」
「仲間だからこそ、
調べる価値があります」
「意味分からないんだけど」
スライムは、
背中がじわっと冷たくなるのを感じた。
(……世界、
分からない存在を
“話す相手”として見てない)
ここでは、
喋ることも、
考えることも、
全部“現象”扱いだ。
「ねえ」
スライムが言う。
「僕さ、
今ここにいるけど、
僕として見えてる?」
研究者は、
少しだけ考える素振りをした。
「非常に興味深い問いですね」
「答えになってない」
「感情的反応も確認できます」
「だから会話して!」
研究者の一人が、
部屋の隅にある檻を指さした。
「念のため、
あちらを使用する可能性もあります」
勇者が即座に反応する。
「待て待て待てーー!」
「安全確認のためです」
「誰のだよ!」
「世界のです」
スライムは、
その言葉を聞いた瞬間、
一瞬だけ言葉を失った。
(……ああ)
(これ、
僕が危険なんじゃなくて、
分からないのが嫌なだけだ)
分からない状態が、
この世界にとっては
一番の不安材料なんだ。
研究者たちは、
紙に何かを書き始めた。
ペンの音。
紙をめくる音。
淡々とした動き。
誰も喋らない。
スライムも、
しばらく黙った。
この沈黙は、
今までとは質が違う。
酒場の沈黙は間抜けで、
王城の沈黙は重くて、
学校の沈黙は怖かった。
ここは違う。
(……ここ、
疑問を口にすると、
症例になる)
考えた瞬間、
背中がぞわっとした。
勇者が、小さく声を出す。
「……おい、大丈夫か?」
スライムは、
少し間を置いてから答えた。
「……分かんない」
「分かんない?」
「うん。
分かんないままでいたら、
ここだとまずい気がする」
研究者の一人が、
顔を上げた。
「分からない、
という状態は不安定です」
「不安なの、
僕じゃなくて世界のほうだよね?」
研究者は、
その言葉を記録した。
答えは返ってこなかった。
研究は、開始された。
対象は、特定された。
危険性は、低いと評価された。
観察は、有益と判断された。
拘束は、今回は見送られた。
世界は、落ち着いている。
研究所を出ると、
外の空気は思ったより普通だった。
人が歩き、
風が吹き、
音も戻ってくる。
「……ねえ」
スライムが言う。
「僕さ、
分からないままじゃだめ?」
勇者は、
少しだけ考えてから答えた。
「分からないなら、
調べてもらえばいいだろ」
「調べられる側なんだけど」
「……それは」
「ねえ、
分からないってさ、
そんなに悪いこと?」
勇者は、
すぐには答えられなかった。
研究所の建物を振り返る。
白くて、
静かで、
全部を分かった気にさせる場所。
「……世界は、
分からないのが怖いんだと思う」
「だから僕を見る目、
あんなだったんだね」
「でもな、
危ないことはしないって言ってたぞ」
「今回は、ね」
スライムは、
小さく笑った。
「世界は、
僕を理解したいんじゃなくて、
安心したいだけなんだ」
勇者は、
その言葉に何も返さなかった。
研究は、継続中である。
報告書は、作成された。
檻は、使用されなかった。
対象は、管理下に置かれていない(現時点では)。
世界は、安定している。
つまり、分からないものは、
理解される前に、
管理され始めている。




