31話 勇者と出会う前、お色気お姉さんが笑っていた日
町は新しい冒険者を歓迎する。
歓迎は最初だけ平等で、結果が重なると静かに形を変える。
残る人と残らない人が出る。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
町に来た日、お色気お姉さんは迷わなかった。
迷わないというより、迷う場所に立ち止まらない。
門をくぐると、石畳の上に朝の光が落ちていた。
掃除されているわけではないのに、端に寄せられた落ち葉が「いつもの町」を作っている。
露店の木箱が並び、鍋の蓋が一度だけ鳴る。
パンの匂いが、風に押されてふっと流れた。
「いい匂いだね~。お腹へったな~」
誰に言うでもなく言って、お色気お姉さんは笑った。
それから、真っ直ぐギルドへ向かう。
扉を押す。木の匂い、紙の匂い、インクの匂い。床板が少しだけ軋む。
掲示板の端が反っている。誰かが爪で剥がした跡が残っている。
受付嬢が顔を上げた。
髪はきちんとまとめられている。
目の下に薄い影があって、忙しさが見える。
「いらっしゃい。初めて?」
「うん! そうだよ~」
「登録が先ね。名前は?」
「えっと……はい!」
返事が早い。笑うのも早い。
ペンを渡されると、お色気お姉さんはすぐ書いた。
丸い字。勢いがある。丁寧というより、迷いがない。
受付が用紙を見て、少しだけ眉を上げた。
「……装備は?」
「あるよ~!」
「見せて」
お色気お姉さんは背中の小袋を軽く叩く。
「これ!」
受付は一拍置く。
「……それだけ?」
「うん! そうだよ~」
「この装備でダンジョンに行くつもり?」
「もちろん。このまま行くよ~!」
受付は深呼吸して、依頼板を指した。
「最初は、これなんてどうです。簡単なやつですよ。慣れるために」
「うーん」
お色気お姉さんは首を傾げる。目が輝いている。
「こっちの方が楽しそうだよ!」
指さしたのは、少し危険度が上の札だった。罠多め、暗所、迷路気味。
文字が小さくて、細かい注意がびっしり。
受付の女性の声が少し低くなる。
「それ、初日にはおすすめしませんよ」
「でもさ、みんな行ってるんでしょ~?」
「……行ってる人もいますね」
「じゃあ、私も行けるね~!」
受付は言い返そうとして、言葉を飲み込む。
「……ところで、パーティは?」
「これから作るよ!」
「作ってから取りなさい」
「わかった~。じゃあ作ってくるね~!」
行動が先に出る。止まらない。
受付はため息をついて、札を一枚だけ剥がした。
「最低でも二人。できれば三人のパーティで来てくださいね。約束ですよ」
「うん!」
「“うん”だけで分かったことにしないで!」
「分かったよ~!」
分かった、の中身は曖昧なのに、返事は明るい。
受付は結局、札を渡してしまう。渡すと、その形で決まる。
「……帰還したら、必ず報告してくださいね」
「任せて!」
言い切って、お色気お姉さんは笑った。
その夜、お色気お姉さんは酒場へ行った。
酒場は暖かい。
灯りが揺れている。
笑い声がいくつも重なって、床板の振動になる。
肉の匂いと麦酒の匂いが混ざって、少しだけ甘い。
お色気お姉さんは空いている席に座らない。
誰かの隣に、当たり前のように腰を下ろす。
「ねえねえ!」
隣の男が驚いて杯を持ち上げた。
「……なんだ?」
「これなんだけどね~!」
お色気お姉さんは依頼札を机に置いた。机の輪染みの上に札が乗る。
「どう? これ見て欲しいんだけど、楽しそうだよね!」
男は札を見て、顔をしかめる。
「それ、罠が多いって書いてないか」
「罠って、どんな?」
「んーー、床が抜ける、とか。矢が飛ぶ。足を引っかける糸があるとか……」
「糸!」
お色気お姉さんは笑う。
「糸って、見えるの~?」
「見えないんじゃないか」
「じゃあ、見えないやつを探せばいいんだね!」
男は一度口を開けて、閉じた。
「……お前、もしかして初めてか?」
「うん!」
「やめとけ、やめとけ」
「でも、やる!」
男の隣の仲間が笑った。
「勢いだけは勇者レベルだな」
「勇者? 勇者だなんておこがましいだろ」
お色気お姉さんは目を輝かせる。
「いいじゃんそれ~!」
勢いが評価に変換される。酒場はそういう場所だ。
別の冒険者が声をかける。
「組むなら俺も行く。金が欲しい」
「いいよいいよ。一緒に行こう!」
「俺も」
「いいよ~!」
すぐ決まる。
決まると、安心が足される。
乾杯が起きる。
「明日、門の前な」
「うん!」
「装備は?」
「もちろん、あるよ!」
「……それ、さっきの袋か?」
「そうそう。どう? 私の装備!」
笑いが起きる。
笑いが起きると、不安は薄くなる。
「まあ、なんとかなるだろ」
誰かが言う。
「なんとかなるよ~!」
お色気お姉さんが言う。
酒場はそれでまとまる。
次の日の朝。
門の外は少し冷たい。
吐く息が白いほどではないが、体が起ききっていない感じが残る。
お色気お姉さんはすでに来ていた。早い。
というより、待つことが苦じゃない。
「おはよ~!」
二人の冒険者が遅れて来る。
「……早いな」
「楽しみすぎて~!」
「お前、昨日の話、覚えてるか?」
「もちろん、覚えてるよ~!」
「じゃあ、言ってみろよ」
「えっと~罠、多いんだって~」
「ああ!」
「奥は、暗いって~」
「ああ!」
「通路は、迷うって~」
「ああ!」
返事は全部同じ。
同じ返事は安心に変換される。
ダンジョンの入口。
石の口が開いている。風が中へ吸われていく。湿った匂い。少し冷たい。
「入るぞ」
「うん! 行こう」
足音が三つ。
灯りは弱い。松明の炎が壁に揺れる影を作る。
「糸、あるぞ」
「どれどれ?」
「ここ」
男が指を差す。
お色気お姉さんが覗き込む。
「見えないよ~!」
「だからだよ」
「すごいね~、糸!」
すごい、が褒め言葉として置かれる。置かれると、空気が軽くなる。
角を曲がる。
床が不自然にきれいな場所がある。
「止まれ」
「止まったよ~! どうしたの~」
返事が早い。止まるのも早い。
男が床を叩く。
「ここ、抜ける」
「へえ~!」
「へえーじゃねえ」
「うん。でも、わかったよ~!」
わかった、の形ができる。
次の瞬間。
別の角で、音が鳴った。
「……カチ」
細い音。
お色気お姉さんが首を傾げる。
「今のなに~?」
矢が飛ぶ。
叫び声。
土煙。
痛い、という声。
「下がれ!」
「うん! りょ~かい」
お色気お姉さんは下がる。
下がるが、誰かを引けない。
暗闇の中で足音が乱れる。
「どこだ、出口!」
「こっちじゃないかな~!」
「……戻れ!」
その「戻れ」は遅い。
遠くで、もう一度、別の音が鳴る。
「……カチ」
叫び声。
そして、しばらくの沈黙。
お色気お姉さんは息を整えながら立っていた。
服が汚れている。頬に土がついている。それでも顔は変わらない。
「……帰ろっか~」
自分に言うみたいに言って、お色気お姉さんは歩き出した。
帰る足音は一つだった。
ダンジョンから戻ってきた夕暮れ時。
町の灯りが少しずつ増える時間。
お色気お姉さんがギルドの扉を押すと、紙の匂いが戻ってくる。
受付の女性が顔を上げる。
そして、目を細める。
「……ねぇ、一人?」
「うん!」
「他の人は?」
お色気お姉さんは笑ったまま言う。
「奥のほうで、ちょっと、ねぇ~」
受付は視線を落とし、紙を引き寄せる。
「詳細を。どこで、何が」
「えっとね~」
お色気お姉さんは思い出す。
思い出すが、順番が曖昧だ。
「糸があってね~、床があって、それでカチって鳴って~、矢が飛んできて、みんながわーってなって、……それで、奥のほうで……」
受付のペンが止まる。
「……矢は、どこから」
「壁だよ、壁からたくさん飛んできたの~!」
「罠を踏んだのは誰」
「みんなだよ~!」
「……“みんな”は記録にならない」
記録は記録だ。
町は記録で回る。
お色気お姉さんは首を傾げる。
「じゃあ、私かな~?」
受付は一拍置いて、書く。
“全滅”
文字が紙に乗ると、重さが出る。
受付はそれを見せないまま言う。
「今日は大変だったわね。もう、帰って休みなさい」
「うん!」
軽い。
「……次、どうするつもり?」
お色気お姉さんは笑う。
「次は守るよ~!」
受付の女性の目が少し揺れる。
揺れても、返事は変わらない。
「……そう」
翌日。ギルドの前は人が行き来する。
依頼板の紙が風でめくれる。靴音が重なる。
お色気お姉さんが入ろうとしたとき、前に立つ影があった。
入口付近に少しやつれた女性。目が赤い。手が震えている。
「……あの子は?」
お色気お姉さんは止まる。止まって、いつもの調子で言う。
「……奥のほうで、ちょっとね~」
女性の顔が歪む。
「ちょっと? ちょっとって何? どこへ行ったの? なんで帰ってきてないのよ」
お色気お姉さんは首を傾げる。
「うーん……深いところ……だから? 帰ってこれなかったんだよ~」
「なんであんただけ。なんであんただけ帰って来たのよ! ねえ! 答えて! ねえ!!」
声が少し強くなる。
周りが立ち止まる。見ている。
お色気お姉さんは笑ったまま言う。
「守れなかっただけなんだよ~」
軽い。
軽いから、刺さる。
「ふざけないで! なんでそんなヘラヘラしていられるの!」
女性が泣きそうに言う。
お色気お姉さんは困った顔をする。困った顔も明るい。
「ふざけてないよ~」
「じゃあ、なんで笑ってるの」
お色気お姉さんは少し考える。
「……だって泣くと、余計つらくなるでしょ?」
答えは正しいかもしれない。
でも、受け取られ方は別だ。
女性が歯を食いしばる。
「……次はどうするつもり?」
お色気お姉さんは即答する。
「次は守るよ~!」
周りの誰かが口を挟む。
「運が悪かったんだよ」
「初めてなら仕方ないって」
まだ、町は優しい。
優しいから、疑念が育つ準備もできる。
それから二回目のダンジョン。
同じ門。同じ夕暮れ。
同じ受付。
「……また一人」
「うん!」
「他の人は」
「奥のほうで、ちょっと」
受付のペンが少しだけ速く動く。
酒場。
「またか?」
「うん!」
お色気お姉さんは笑う。
笑うが、笑いが返ってこない。
三回目。
酒場のテーブルでは「……大丈夫か、あいつ」「三回目だぞ」そんな困惑の声で溢れかえっていた。
お色気お姉さんはダンジョンへ行く。
でも、遺族が増える。
声が重なる。
「毎回だろ」
「なんで、あいつばかりなんだよ」
「絶対、おかしいって」
お色気お姉さんは言う。
「次は守るよ!」
四回目。
酒場の席が空く。
「この子と組むな」
「あいつは、死神だ。組んだやつは必ず死ぬぞ」
小声が形になる。
お色気お姉さんは串を持ち上げる。
「ねぇねぇ、食べる~?」
誰も受け取らない。
でも、誰も拒まない。
距離だけが残る。
そして、五回目。
町の若手人気冒険者と組む。
出発前、拍手が起きる。
「今回こそ頼むぞ!」
「うん、任せて~!」
「大丈夫! 俺がいればなんとかなる。戦利品期待しててくれよな」
お色気お姉さんは笑う。いつも通り。一行は再びダンジョンへ向かう。
夕暮れ時。
門の前。
また、いつものように一人。
空気が止まる。
母親が駆け寄る。
「あんた!! うちの子は!?」
お色気お姉さんは息を整える。
「ちょっと、奥のほうでね~」
「なんで、いつもいつも、あんただけなのよ!! 私の息子を返してよ。ねえ、返してよ……」
怒鳴り声が震える。言葉の最後が崩れる。
視線が刺さる。
ここで。
お色気お姉さんは、初めて笑わない。
ほんの一呼吸。
風の音が聞こえるくらいの間。
「……みんな、ちゃんと戦ったんだよ」
声は静か。
「でも……私が守れなかっただけ……」
沈黙が続く。
それでも言われる。
「それでも……いつもいつも、もう何回目! 毎回毎回同じこと言ってるでしょ! おかしいよ……絶対おかしいよ……」
疑念は止まらない。
お色気お姉さんは顔を上げる。
「それでも、次は守るよ~」
怒鳴らない。
責めない。
逃げない。
そして、笑う。
笑いは戻る。
戻るのは顔だけ。
町の疑念は戻らない。
最初の失敗は偶然と呼ばれる。
偶然は二度目で揺らぎ、三度目で疑問に変わる。
四度、五度目と続けば怒りへ変わる。
町はそれでも普段通り動いている。
いつものギルドの前。
そして、朝。
依頼板の前に立っても、誰も隣に来ない。
受付の女性が言う。
「……今日は、いないのね」
「そうだね~! いないね~」
軽い。
受付嬢が小さく言う。
「ねえ、もうやめないの?」
お色気お姉さんは少し考える。
笑わない一瞬、その表情から言葉が出てきた。
「んーー、やめないかな~」
「どうして? しんどくないの?」
「そんなことないよ。みんなで行くの楽しいし」
本気で言う。
受付は言葉を探す。
「……そう。ならもう言わない。でも、気をつけてね……」
「うん! ありがとう」
相変わらず軽い。
そして、いつもの酒場。
席が一つ空いたまま。
お色気お姉さんはそこに座らない。
わざわざ人の隣に行く。
でも隣は、離れて行く。そして、近かったものがどんどん遠くへ行ってしまう。
「おい、あんた、また行くのか」
「うん!」
「……」
会話が短い。
短い会話が、壁になる。
お色気お姉さんは串を持ち上げる。
「ねぇねぇ、食べる~?」
誰も受け取らない。
でも、誰も拒まない。
その“受け取らない”が固定される。
お色気お姉さんは笑う。
「まあ、一人でもいっか~」
明るい。
そして、ブレない。
町は誰も目を合わせることはなくなった。
向き合わない言葉は責任を捨て、勝手に歩き出す。
「今度は誰と死ぬんだ」
「やめとけって言っただろ」
受付の声が追いかける。
それでもお色気お姉さんは振り返らない。
そして、六回目のダンジョン前。
風が少し冷たい。
お色気お姉さんは一人で立つ。
立っているだけで、周りが勝手に意味を足してくる。
町では「……また犠牲が増えるぞ」「誰だ、あいつ」他人事で人々から散々言われていた、赤いマントの彼が来る。
勇者が言う。
「俺に任せろ!」
隣にスライム。
「任せるって言ってない」
お色気お姉さんは少しだけ二人を見る。
落ち着く間。
そして笑う。
「楽しそうだね~!」
勇者が言う。
「ああ、俺たちは大丈夫だ!」
スライムが言う。
「大丈夫じゃない」
お色気お姉さんが言う。
「まあまあ二人とも~!」
三人並ぶ。
自然に。
自然すぎて、町の誰かが言う。
「今度は三人か」
疑念は残る。
でも、少し薄まる。
違いは増えない。
増えたのは人数だけだった。
そして、二人は三人になった。ただ、それだけだった。
お色気お姉さんは、どんなことがあっても変わらなかった。
そして、彼女は笑って歩き出す。
並びは自然で、自然すぎて意味が足される。
町はそれを普段通りに受け取る。
彼女はなにも変わらない。
彼女は笑う。
赤いマントの彼も笑う。
横で小さなため息が落ちる。
それでも三人は並ぶ。
町はそれを、特別とは呼ばなかった。




