30話 ギルド職員と村人と、問題がなかったことになる日
冒険の結果は共有される。
共有のとき、細部は落ちる。
落ちた細部は誰も拾わない。
拾わないままでも、話は回る。
今日はその回り方の話である。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
ギルドの朝は、いつも同じ匂いがする。
紙とインクと、乾ききらない木の机。
掲示板の釘が一本だけ曲がっていて、直す人はいない。
入口の鈴が鳴って、鳴ったあとも鳴ったままの余韻がしばらく残る。
カウンターの内側で、職員は椅子に座っていた。
名札はつけているが、文字が薄い。
薄いのに誰も困らない。
困らないことが、この場所の強さでもある。
机の上には報告書が積まれていた。
「依頼報告」「経費」「魔物素材の申告」「同行者欄」「成功率入力用紙」。
紙は紙として重く、内容は内容として軽い。
軽いのに、押印だけは重々しい。
職員はペンを持ち上げて、持ち上げたまま一瞬止めた。
止めた理由はない。
止めたところで、処理は止まらない。
「……二十八番。ダンジョン……報告、っと」
職員は声に出して読む癖がある。
癖だが、周りは気にしない。
気にしないから続く。
紙を一枚めくる。
「目的:調査/討伐(任意)
結果:帰還
損耗:軽微
全滅:なし」
職員はそこだけ見て、ペン先を紙に落とした。
「全滅なし。成功っと」
隣の机の職員が、顔も上げずに言う。
「成功だね」
「そうだね。成功だね」
職員は頷く。
頷いた瞬間、報告はほぼ終わる。
残っているのは、形式の作業だけだ。
「損耗、軽微……軽微って、便利だよね」
「便利。便利って書くと怒られるから、軽微にしておこうかな」
笑いでもない会話が交わされる。
会話は空気の湿度と同じくらい、この場所に馴染んでいる。
職員は同行者欄を指でなぞった。
「勇者、スライム、お色気お姉さん……っと」
隣が言う。
「お色気お姉さん、って正式名称なのかな?」
「本人がそう書いたんだから。受理しちゃったよ」
「受理したんだ……」
「うん。受理したよ」
受理は、正しさとは関係がない。
書類の仕事は、受け取ったものを受け取ることだ。
拒む理由がないなら、受け取る。
拒む理由がないなら、処理は進む。
職員は続けて読む。
「備考:同行者による抗議あり」
ペンが止まる。
止まったのは一瞬だけだ。
「抗議」だけは、少しだけ紙の中で目立つ。
目立つけれど、目立ったまま採用されるとは限らない。
「抗議ってなに?」
隣がやっと顔を上げた。
「なに、それ。成功なのに」
職員は淡々と言う。
「成功だからこそ、抗議が出ることもあるんじゃない」
「なにそれ。私はわからないけど」
「わかんなくていいよ。抗議は抗議なんだし」
職員は引き出しから別の紙を出した。
「感情的反応・記録用」
紙のタイトルが、すでに結論を決めている。
職員は備考欄を読み上げる。
「『してない』
『違う』
『やめて』
『それは違う』」
隣が笑った。
「短いね」
「短いよ。だから記録しやすいんでしょ」
職員はペンを走らせる。
「同行者の感情的反応:強」
「強なんだ」
「強だね」
「強って便利だね」
「そうだね。便利だね」
職員はさらに紙をめくる。
本来なら詳細欄がある。
罠の種類、魔物の数、通路の状態、撤退判断。
しかし、そこは空欄が多い。
空欄が多くても、全滅がなければ成立する。
「詳細これだけか、薄いな~」
職員が言う。
隣は肩をすくめた。
「薄くていいんだよ。薄い方が回るから~」
「回る、って言い方」
「あはは、言い方は変えるよ。回るじゃなくて、滞りがない!」
職員は頷く。
「滞りがないね」
そして、端末に数字を打ち込む。
依頼番号。
成功。
危険度:中。
成功率:上昇。
数字は静かだ。
静かで、強い。
紙より軽く、紙より動く。
動くから、次の紙が生まれる。
カウンターの外で、別の職員が声を張る。
「どうぞ!次の依頼、受け付けまーす」
受付の声は明るい。
明るい声は、結果を明るく見せる。
結果が明るければ、疑問は暗くなる。
暗い疑問は、窓の外へ追い出される。
職員は報告の最後にハンコを押した。
押す音は小さい。
小さい音なのに、その瞬間だけは「終わった感じ」がする。
「はい。大成功」
職員が言う。
隣が聞く。
「大成功って書いたの?」
職員は首を振る。
「書いてないよ。成功って書いたの」
「でも口が大成功って言ってたよ」
「そうだね。言ったね~」
言葉が先に走る。
走った言葉は戻らない。
戻らないまま、外へ出る。
受付の職員が、外回り担当に紙を渡していた。
「これ、町の掲示板に。あと、村にも回しといて」
外回り担当は紙を受け取る。
紙は軽い。
軽いから運べる。
運べるから広がる。
職員は机を片づける。
片づけると、次の紙が置ける。
次の紙が置けると、また同じ朝になる。
「ねえ、この抗議、どうする?」
隣が最後に聞いた。
職員は迷わず言う。
「記録したよ。以上」
「以上、か」
「そうそう。以上だよ。以上」
その「以上」は、終わりの言葉ではない。
始まりの言葉だ。
ここから先は、この場所の外が担当する。
成功は数字になり、数字は安心になる。
安心は細部をいらなくする。
いらなくなった細部は置き去りになる。
置き去りでも話は進み、話は人の口に乗る。
村の昼は、これもまたいつも通りだ。
畑の端で鳥を追い、井戸の水を汲み、洗濯物を叩く。
子どもは走り、犬は吠え、誰かが鍋をかき回す。
生活は忙しく、忙しいから話が必要になる。
手を止めずにできる話が、いちばん使いやすい。
広場の隅に、ギルドから来た紙が貼られた。
貼ったのは村の若い男で、貼ったあと満足そうに腕を組んだ。
満足の理由は「貼れた」ことだ。
内容はその次だ。
最初に読んだのは、パン屋の女だった。
粉のついた手で紙の下を押さえながら言う。
「ほら、見て。成功だってさ」
鍛冶場の男が鼻を鳴らす。
「そりゃそうだろ。勇者なんだし」
「勇者ってなんていうか、便利だよね~」
井戸端の女が言う。
「言うだけで安心感があるからね~」
別の女が頷く。
「うん。安心って大事だよ」
安心は大事だ。
大事だから、安心を作る材料が必要だ。
紙は、その材料になる。
子どもが背伸びして読む。
「『全滅なし』ってなに?」
パン屋の女が適当に答える。
「みんな生きて帰ったってことだよ」
子どもが目を輝かせる。
「すごいねー!」
鍛冶場の男が笑う。
「ああ、すごいに決まってる」
そこから先は、紙の外側が膨らむ。
紙に書かれていないところが、村の得意分野だ。
「罠とかあったのかな」
「そりゃあったでしょ。ダンジョンなんだし」
「でも成功なんでしょ」
「成功なら、罠もたいしたことなかったんじゃない」
「たいしたことないって、どうやってわかるの」
「そりゃ、成功ってこの紙に書いてあるだろ」
成功という言葉が、罠の意味まで薄める。
薄まった罠は、スパイスになる。
辛い話は、薄まったくらいがちょうどいい。
若い男が言う。
「聞いた話だけど、ひとりでやったって話だぞ」
井戸端の女がすぐ返す。
「やっぱり~」
「やっぱりって何さ」
「だってさ、勇者だよ。勇者。
なんだってひとりでこなしちまうよ」
「でも、ひとりで?」
「ひとりで、って言った方が気持ちいいじゃないか」
気持ちいい話は、口に残る。
残るから、次の人へ渡しやすい。
パン屋の女が、紙を指で叩く。
「聞いた話なんだけどね、なんか変なこともあったらしいよ?」
村の若い男が顔を近づけた。
「ん、なんか書いてあるのか?」
「……書いてない。気のせいだろ」
「ああ、気のせいだな」
気のせいは便利だ。
便利だから採用される。
採用されると、気のせいじゃなくなる。
鍛冶場の男が笑う。
「同行者が『違う』とか言っても、結局照れているだけだろ」
女たちが頷く。
「ああ、そうだね照れだよね」
「まあ、あれだよ心配性ってやつだよ」
「そうそう、仲良しって感じの類のやつじゃない」
同じ意味が、別の言葉で回る。
照れ。
心配性。
仲良し。
どれも、否定の行き先としてちょうどいい。
「でも……なんか『してない』って言ったらしいよ」
誰かが言う。
「成功したのに、そんなこと言うんだね」
誰かが返す。
「言うだけで、結局やってることはやってるってことだろ」
別の誰かが言う。
「そうそう、ちゃっかりしてるんだよ」
さらに別の誰かが言う。
否定は、否定の形のまま残らない。
残るのは、周りに都合のいい形だ。
そこへ、野菜売りの女が話を持ってくる。
「お色気お姉さんも一緒なんでしょ~」
空気が少し変わる。
変わるのは空気だけだ。
話の方向は、勝手に軽くなる。
「やっぱりな」
「いると思ったよ」
「これぞ、勇者の旅って感じだね~」
「いやいや、どんな感じだよ!」
「そりゃ、そういう感じだろ」
説明のない「そういう感じ」は強い。
強いから、みんなが乗れる。
若い男が、にやにやしながら言う。
「どうせまた距離、近いんだろ」
女たちが笑う。
「そりゃそうさ、近いからお色気お姉さんなんでしょ」
元も子もない。
「そりゃ、距離は近くないとちゃんと冒険はできないって」
「冒険ってそういうのもあるからね~」
子どもが聞く。
「冒険って、近いの?」
パン屋の女が即答する。
「そりゃ、近いんじゃないの、きっと」
「どうして?」
「そうだね~、どうしてだろうね~」
どうして、は放っておかれる。
放っておいても話は進む。
進む話だけが残る。
鍛冶場の男が最後に結論を言う。
「つまり、問題なかったってことだよ」
井戸端の女が頷く。
「問題ないなら、よかった。よかった」
パン屋の女が笑う。
「よかったわね。これで平和になったし、パンが売れるってことだわ」
「パンが売れる方が大事だね」
「大事大事」
大事なものが決まると、他は小さくなる。
小さくなったものは、細部になる。
細部は拾われない。
拾われないまま、紙の外側に落ちる。
広場の向こうを、旅人が通った。
金髪と赤いマントが一瞬だけ見えたような気がしたが、村の誰も立ち止まらない。
立ち止まらない理由は簡単だ。
紙が貼られているからだ。
紙があると、人は安心して前を見る。
「ほらあれ、本人かもよ」
誰かが言った。
「ホントだ~。本人っぽいね~。確認してみようかな~」
誰かが返した。
「アレ聞いてみようかな~」
「やめときなよ。聞いたってあれだよ。あれ」
「そうだよね~」
同じ意味が、また別の言い方で繰り返される。
問題ない。
大丈夫。
よかった。
安心。
便利。
村はいつものまま、鍋をかき回す。
畑はいつものまま、土の匂いを返す。
紙はいつものまま、風で少しだけ揺れる。
処理された問題は、問題でなくなる。
噂は事実より扱いやすい。
扱いやすいものが残り、残ったものが安心になる。
世界は今日も、手触りのない安心を選ぶ。
そのころ勇者は、
「そんなことしたっけ?」と首をかしげていた。
処理された問題は、問題でなくなる。
噂は事実より扱いやすい。
扱いやすいものが残り、残ったものが安心になる。
世界は今日も、手触りのない安心を選ぶ。




