3話 勇者と酒場と、やたら盛り上がった日
二人は、宿屋を出た。
外はすでに暗くなり、村の灯りが増えていた。
夜になると、人は集まる。
集まったからといって、何かが変わるわけではない。
それでも、にぎやかさだけは増えていく。
二人は、酒場に入ることにした。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
宿屋を出ると、昼とはまったく違う空気になっていた。
道のあちこちに灯りがともり、昼間は静かだった通りに、人の声が混ざっている。
笑い声、足音、酔った調子の歌。
どれも遠くから聞こえてくるのに、意味のある言葉はほとんど分からない。
「……夜になると、急に人増えない?」
スライムが言った。
「ああ、そうだな増えるな」
勇者はあっさり答えた。
「昼間どこに隠れてたの、この人たち」
「そりゃ、昼は働いてるんじゃないか」
「じゃあ夜は?」
「もちろん、飲んでるに決まってるだろ」
「それだけ!?」
スライムは、通りを歩きながら周囲を見回した。
昼には誰もいなかったはずの店の前に、人が集まっている。
どの店も、だいたい同じような明かりで、だいたい同じような音を出している。
(……世界、昼と夜でスイッチ切り替わってない?)
スライムは、なんとなくそんな気がしてきた。
昼は“普通の村”、夜は“盛り上がる村”。
理由は分からないが、切り替えだけは異常にスムーズだ。
酒場の前に着くと、扉の向こうから騒音が漏れていた。
「ああ、ここだここだ」
勇者が当然のように言う。
「いや、なんで酒場?」
「そりゃ、旅人は酒場に行くものだろ普通」
「誰が決めたのそれ」
「だいたい、そういう流れだ」
「また流れ!」
扉を開けた瞬間、音が一気に襲ってきた。
中は思っていた以上に人で埋まっていて、
笑っている人、歌っている人、意味の分からない話をしている人が混ざっている。
カウンターの奥には、酒場の店主が立っていた。
「いらっしゃい!」
「二人です!」
「はいはい、空いてる席どうぞ!」
「いや、だから二人カウントが……」
スライムの声は、周囲の騒音にすぐかき消された。
席に座ると、すぐ隣のテーブルから飲んだくれの村人が声をかけてきた。
「おお!勇者じゃねえか!」
「ああ、勇者だ!」
「今日は飲むだろ!?飲め飲め!!」
「いや、僕飲めないんですけど……」
スライムが言いかけたが、
その前に、よっぱらいのお姉さんがグラスを差し出してきた。
「まあまあ、細かいこと気にしないの!」
「細かいっていうか、体の構造的に……」
「ほら、乾杯!」
グラス同士がぶつかる音がして、
その瞬間、スライムの存在は完全に無視された。
「……ねえ」
スライムは、勇者の袖を引いた。
「なんでみんな、こんな楽しそうなの?」
「そりゃ、夜だからじゃないか」
「夜ってだけで?」
「もちろん」
「世界、雑すぎない?」
勇者はすでに酒を飲み始めていた。
「ほらほら、こういう場所で情報は集めるんだよ」
「何の情報?」
「なんて言うか……。そう、魔王の情報とかだよ。」
「んーー今、誰か魔王の話してなかったか?」
勇者は周囲を見回した。
誰もしていない。
しているのは、今日の料理の話と、誰が酔いつぶれたかと、意味のない自慢話だけだ。
「……してないな」
「じゃあ何しに来たのここ!!」
「もちろん、酒場の雰囲気を感じに来ただけだよ。酒場の」
「雰囲気だけで一日終わらせていいの!?」
スライムは、テーブルの上に置かれた料理を見た。
昼間の宿屋とほぼ同じ内容だ。
(……どこ行っても、だいたい同じなんだよな)
宿屋、酒場、通り。
場所だけ変わって、人のテンションだけ上がっている。
中身は、驚くほど変わらない。
よっぱらいのお姉さんが、スライムをじっと見てきた。
「かわいいね、それ」
「……それって何」
「その丸いやつ」
「僕、仲間です」
「へえ、ペット?」
「仲間です!!」
お姉さんは笑って、もう一杯酒を飲んだ。
「まあいいじゃん、細かいこと」
その言葉を聞いた瞬間、スライムは一瞬、言葉を失った。
(……細かいこと、って言葉、
この世界で一番強い気がする)
何を言っても、
何を疑っても、
最後はその一言で全部流される。
スライムは、周囲の騒ぎを見回した。
誰も不安そうな顔をしていない。
誰も困っていない。
みんな、ただ楽しそうに騒いでいる。
(……これ、僕だけ浮いてない?)
そう思ったが、
勇者はすでに別のテーブルで飲んだくれ戦士と盛り上がっていた。
「うおー!次どこ行く!つぎ!?」
「城だろ城!!城に行くっきゃないだろ!!」
「いいねえ!!」
「軽っ!!」
スライムの声は、またかき消された。
しばらくして、ふと騒ぎが一瞬だけ静まった。
誰かがグラスを落とし、割れた音が店内に響いた。
その沈黙は、ほんの数秒だった。
すぐにまた笑い声が戻り、
割れたグラスのことは誰も気にしなくなった。
スライムは、その光景を見ながら、
なぜか少しだけ寒気がした。
(……この世界、
音が止まるの、怖がらないんだ)
普通なら気まずくなるはずの沈黙も、
この場所では、ただの間でしかない。
二人は、酒場に入った。
店内はにぎやかで、会話は盛り上がっていた。
酒はよく売れ、笑い声も多かった。
酔ったからといって、状況が変わるわけではない。
酒場における盛り上がりは、世界の進行とは無関係である。
特別な進展は、確認されていない。
「……ねえ勇者」
「んーー、なんだよ?」
「この世界さ、
盛り上がるのだけ上手すぎない?」
「上手いのはいいことだろ」
「でもさ、盛り上がってる理由、誰も説明できないよ?」
「何言ってるんだよ。理由なんていらないだろ」
「昼間と夜でスイッチ切り替わるの、普通?」
「普通だろ。普通」
「何が普通なの!?」
勇者は笑って、また酒を飲んだ。
「あのな、細かいこと気にすると、楽しめないぞ」
「……その言葉、最強すぎない?」
スライムは、しばらく黙った。
周囲の騒ぎを聞きながら、
誰も“明日”の話をしていないことに気づいた。
しているのは、今この瞬間の話だけだ。
(……この世界、
今しか存在してないみたいだ)
過去も、未来も、
とりあえず横に置いて、
とにかく今を消費している。
それなのに、
なぜか“進んでいる気”だけはある。
スライムは、勇者の横顔を見た。
「……ねえ」
「なんだよ?」
「この旅、ほんとにどこ行くの?」
勇者は少し考えた。
「とりあえず……、次の場所だな」
「次ってどこ」
「さあな。とりあえず次だよ。次」
スライムは、思わず笑いそうになった。
「……それ、ずっと続くやつだよね」
「たぶんな」
「終わりあるの?」
「……知らん」
スライムは、グラスの水面を見つめた。
(……この世界、
終わりのこと考えてないんだ)
だから、こんなに安心して騒げる。
だから、誰も不安にならない。
それに気づいてしまった瞬間、
スライムは、少しだけ息が詰まった。
二人は、酒場を出た。
夜のにぎわいは、そのまま続いている。
酔った人々は、翌朝にはまた普段通りになる。
酒場での出来事は、特に影響を残していない。
世界は、騒いだ分だけ静かに戻る。
つまり、この夜も特に何も変わっていない。




