20話 勇者と出発と、もう引き返せない日
出発は、行為ではなく扱いで決まる。
一歩でも外へ向かえば、出発したことになる。
出発前に起きたことも、
後でまとめて「道中」と呼ばれる。
町は安全だと思われがちだが、
人が多い場所ほど、話が早い。
話が早いと、誤解も早い。
誤解が早いと、判断は雑になる。
今日も、そういう日だった。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
酒場を出た瞬間、空気が変わった。
外の光が強い。人の声が近い。道が狭い。
「よし! ダンジョンへ向けて出発だ!」
勇者が、また言った。
「まだ町の中!」
スライムが即座に返す。
「町を出るところから出発だろ!」
「町を出る“前”にトラブルが起きるのが、この旅だよ!」
お色気お姉さんは、のんびり歩きながら言う。
「でもさっき、みんな笑ってたよ~?」
「笑ってたのは、だいたい世界の方だよ」
勇者は気にしない。
気にしないまま、通りの真ん中へ出る。
通りは人が多い。
朝と昼の間みたいな時間帯で、買い物と用事が混じっている。
そして、人が多い場所ほど、目も多い。
お色気お姉さんが勇者の隣で話す。
距離が近い。昨日からずっと近い。
今日は、さらに近い。
「ねえねえ、これってどっちの道~?」
「こっちの道だな!」
勇者が勢いよく指差す。
指差した方向が正しいかどうかは別として、勢いだけは本物だった。
その瞬間。
「……あれ、見ろよ」
どこかの声が、短く飛んだ。
「ほら、まただ」
「昼間からかよ」
「やるなあ」
スライムが反射で振り向く。
(何の話だよ)
でも、視線の向きが自分たちに刺さっているのが分かる。
勇者は満足そうに胸を張る。
「あれだな。見られてるな!」
「見られてる理由が違う!」
スライムが言った。
勇者は笑う。
「俺たち有名人だからな!」
「最悪の解釈!」
お色気お姉さんは首をかしげた。
「え? なにかした~?」
「してないのに、されるんだよ!」
通りの端で、果物を並べている店がある。
店の子が勇者を見て、ひそひそ言った。
「ねえ、あの人って……」
「昨日の酒場の……」
「うん、あれでしょ」
勇者は聞こえた部分だけ拾って、気持ちよく頷いた。
「昨日からずっと話題なんだな!」
「話題の中身を確認して!」
スライムが言うと、店の子が「えっ」と驚いた顔をする。
「なに、連れ?」
スライムは一瞬止まった。
「連れっていうか、仲間」
「仲間って言い方、なんか怪しい」
「怪しくないよ!」
「怪しいって言われたら、余計怪しい」
スライムは口を閉じた。
正しく言おうとすると、会話が増えて誤解が増える。
町ではそういうことが起きる。
勇者が店の子に向かって、爽やかに手を振った。
「おーーい、心配する必要はないぞ!」
「心配されてるのはお前だよ!」
しばらく歩くと、今度は前から二人組が来た。
若い男二人。酒場帰りみたいな顔。
「おっ、勇者さんじゃん」
「昨日の噂、本当?」
勇者は立ち止まった。
「噂? 俺のことか?」
「いや、その……」
男は、お色気お姉さんをちらっと見て、すぐ目を逸らす。
「また新しい子?」
スライムが叫ぶ。
「やめろ! 言い方!」
勇者はなぜか得意げだ。
「ああ、新しい仲間だ!」
「仲間の紹介じゃないよ!」
男の一人が笑った。
「昼間からすげーな」
「すげーの方向が違う!」
スライムが叫ぶ。
勇者は、全然違う方向に受け取っている。
「ほらな! やっぱり俺たち人気者だろ!」
「評価の方向!!」
男たちは勝手に頷いて、勝手に去っていった。
「じゃ、頑張れよ!」
「ほどほどにな!」
「ほどほどって何!?」
スライムの声は置いていかれた。
人通りの多い場所に立ち止まると、空気が集まる。
誰も直接責めない。
でも、見ている。
見て、通り過ぎて、もう一回見ていく。
勇者は、視線を「応援」として受け取っている顔をしている。
お色気お姉さんは、まったく気にしていない。
スライムだけが、じわじわ疲れていく。
誰かが小声で言う。
「……あれ、あの女の人じゃない?」
「全滅のやつ?」
「そうそう、あれ」
言葉は短い。
短いのに、刺さる。
スライムは、何か言い返すより先に、勇者の袖(鎧の端)を引いた。
「行くよ。とにかく行く」
「おう!」
勇者は元気に返事をして、また歩き出す。
「よし! 出発だ!」
「三回目だよ!」
誤解は、歩いている間にも勝手に育つ。
後ろから聞こえる声が、少しずつ形を変える。
「ナンパしてる」
「口説いてる」
「連れ回してる」
「昼間からやってる」
スライムは耳を塞ぎたくなる。
勇者は、いいところだけ拾う。
「ほら、俺たちの話題が尽きないな!」
「尽きないのはお前への不安だよ!」
お色気お姉さんが明るく言う。
「私、人気者~?」
「人気の意味が違う!」
町の出口に近づくと、道が少し空いてくる。
ここまで来れば、もう大丈夫……そう思いかけたところで。
「おい」
低い声。
道の脇に立つ、町の衛兵。
槍を持っている。暇そうだが、暇だからこそ目が余っている。
「ちょっと止まれ」
勇者は素直に止まった。
「何だよ?」
衛兵は、勇者とお色気お姉さんとスライムを見比べる。
「……お前、昨日からうるさいぞ」
「うるさいのは俺じゃなくて世界だよ!」
スライムが言いそうになって飲み込んだ。
飲み込んだが、顔に出た。
衛兵が言う。
「町で揉め事起こすな」
「起こしてない!」
スライムが声を上げる。
「今、起きてるのは誤解!」
衛兵は眉をひそめた。
「誤解?」
「誤解!」
「なら説明しろ」
スライムは言葉に詰まる。
説明すると、長くなる。
長くなると、聞いてない人が増える。
聞いてない人が増えると、誤解が増える。
勇者が助け舟を出すつもりで言った。
「何言ってるんだ。俺は勇者だぞ!」
「それが何の説明にもなってない!」
衛兵はさらに怪しい目をした。
「勇者ならなおさら、町で変なことするな」
「変なことなんてしてないさ!」
「してないなら、なんで噂になってる」
「噂になる理由が薄いからだよ!」
スライムが叫ぶ。
衛兵は、少しだけ視線をお色気お姉さんに向けた。
「……この人、例の」
お色気お姉さんが、にこっと笑う。
「例の、ってなに?」
衛兵は咳払いした。
「……いや、いい」
よくない。
スライムが思った瞬間、別の衛兵が近寄ってきた。
「どうした?」
「この勇者、噂が」
「噂?」
その一言で、空気がまた増える。
「ほら、あの話」
「全滅の」
「昼間からの」
誰かが言い始めると、勝手に輪ができる。
勇者は、なぜか胸を張った。
「ほらほら! 俺の噂だ!」
「だから誇るな!」
勘違いは、説明より早く伝わる。
町では特に、その速度が速い。
説明は遅れ、
印象だけが先に残る。
印象が残ると、
確認は省略される。
省略された確認は、
後から取り戻せない。
引き返す理由ができると、
引き返すと疑われる。
町は、そういう場所だった。
衛兵が、ため息をついた。
「……もういい。行け」
「え?」
スライムが言う。
「行けって、どっちに?」
衛兵は少し面倒そうに言った。
「町の外に出るなら勝手にしろ。戻る気はないだろ」
スライムは一瞬安心しかけて、すぐ気づいた。
(これ、町に戻れないやつだ)
勇者は喜んだ。
「ほら! 俺たち認められたな!」
「認められたんじゃない、追い出されたんだよ!」
衛兵は続けた。
「ただし」
言葉が重い。
「今さら町で引き返すな」
「なんで!?」
スライムが叫ぶ。
「引き返したら、
“やましいから戻った”って噂になる」
「最悪!」
衛兵は淡々と締めた。
「町ってそういうところだ」
勇者は、理解していない顔で頷いた。
「なるほどな!」
「なるほどじゃない!」
スライムは、歯を食いしばって言った。
「もう出るよ! 今すぐ!」
「おう! 出発だ!」
「四回目だよ!」
三人は、ほとんど会話せずに歩いた。
町の出口を抜ける。
人が減る。
声が減る。
減るのに、背中が軽くならない。
郊外の風が、さっきより冷たく感じた。
お色気お姉さんが、小さく言った。
「ねえ、私のせい?」
スライムは、即答できなかった。
即答すると、ここで何かが決まってしまう。
勇者が先に言った。
「あれだよ、人気者ってのは大変だってことだよ!」
「話の着地点そこ!?」
スライムが叫びそうになって、やめた。
叫ぶと、まだ届く距離に町がある気がした。
道の脇に、また小さな水場があった。
三人はそこで一度止まる。
理由は、喉が渇いたから。
そして、今止まらないと、次に止まる理由が見つからないから。
水の音がする。
風が草を倒す。
誰もすぐには口を開かなかった。
出発は、完了した扱いになった。
危険だったのは、町の方だった。
しかし、記録上は「道中」である。
誤解は解けていない。
引き返す選択肢は、
空気によって消された。
世界としては、
特に問題はないとされた。




