16話 勇者と子供と、ちゃんと分かったことにされた日
世界には、質問する人がいる。
質問は、早すぎると困られる。
困られる質問は、整えられる。
整えられると、正しくなる。
正しくなると、疑問ではなくなる。
二人は、小さな村へ向かうことにした。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
王都を離れてさらに歩くと、
景色はどんどん素朴になった。
建物は低くなり、
道は細くなり、
人の声が、生活の音に戻っていく。
洗濯物が揺れている。
鍋の匂いがする。
木の柵がきしむ音がする。
「……ねえ」
スライムが言った。
「ここ、いちばん“世界”って感じする」
「そうか、いいんじゃないか」
勇者は前を見たまま言う。
「何がいいの」
「そりゃ、ここが普通だってことさ」
「普通って、
こういうのを言うんだね」
スライムは、歩きながら足元を見た。
土は柔らかくて、
踏むたびに少し沈む。
王都の石畳より疲れるはずなのに、
なぜか心は少し落ち着く。
(……世界が静かだと、
考えが戻ってくる)
戻ってくると、
また嫌なものも戻ってくる。
あの元冒険者の言葉。
「言わなくても回る」。
あの静かな断定。
(……僕はまだ言える顔、だったっけ)
スライムは、その言葉を思い出して、
少しだけ口が重くなる。
村の入口には、小さな広場があった。
井戸。
木のベンチ。
犬が一匹、日向で寝ている。
子どもが数人、走っている。
勇者が近づくと、子どもが振り返った。
「うわ!」
「鎧だ!」
「剣だ!」
一斉に集まってくる。
勇者は、いつもの調子で胸を張った。
「そう、俺は勇者だ!」
「ゆうしゃ!?」
「ほんもの!?」
「すげー!」
勇者は満足そうにうなずいた。
スライムは、その横で少しだけ後ろに下がった。
(……こういう時、
勇者はすごい便利だな)
勝手に物語っぽくなる。
子どもの一人が、スライムを見つけた。
「ねえ、それなに?」
「スライム」
スライムが答える。
「しゃべった!」
子どもたちがどよめく。
「え、しゃべるの?」
「しゃべるよ」
「なんで?」
スライムは、一瞬止まった。
なんで。
なんでしゃべるのか。
(……なんでだろ)
「……そういう生き物だから」
「そういうってなに?」
「だから、そういう」
スライムは自分でも雑だと思った。
子どもは納得しない顔をした。
「ねえねえ」
子どもが続ける。
「なんで魔王はいるの?」
スライムの頭の中が、一瞬真っ白になった。
勇者は、即答する。
「そりゃ、悪いやつだからな!」
子どもは目を輝かせる。
「わるいの!?」
「そうだ!すごく悪いやつだ!」
スライムは、勇者の横で固まった。
(……悪いから?)
(それだけ?)
子どもは、さらに聞く。
「なんで悪いの?」
勇者は少し考える。
「……なんたって魔王だからな!」
「まおうって、なんでまおうなの?」
「魔王は魔王だから、魔王なんだ!」
「なんで?」
「なんでって……なんでだろうな!」
勇者が笑いながら言うと、
子どもたちも笑った。
でも、スライムは笑えなかった。
(……これ、笑って終わるやつじゃない)
「ねえ」
子どもがスライムを見て聞いた。
「なんでまおういるの?」
スライムは、口を開いて閉じた。
分からない。
今まで「変じゃない?」とは言ってきた。
でも「なんでそうなってるの?」と聞かれると、
答えられない。
答えがない。
「……なんでだろ」
スライムは、正直に言ってしまった。
子どもは、きょとんとした。
「ゆうしゃなのに?」
「僕は勇者じゃない」
「じゃあ、なんで一緒にいるの?」
「……分かんない」
子どもは首をかしげた。
その顔が、妙に痛かった。
(……僕、
分からない側なんだ)
(突っ込んでるだけで、
答えを持ってるわけじゃない)
その時、後ろから声がした。
「こらこら」
村の大人が近づいてきた。
学校の先生みたいな格好をしている。
もしくは、ただの大人かもしれない。
とにかく“大人”だ。
「そういう質問はね、
ちゃんと大きくなってから」
子どもは、すぐに言う。
「なんで?」
大人は笑って、頭を撫でた。
「今は難しいからだよ」
「むずかしいってなに?」
「難しいっていうのは、
今のあなたには必要ないってこと」
子どもは少しだけ不満そうにしたが、
大人の笑顔を見て、口を閉じた。
閉じるのが早い。
スライムは、その速さにぞわっとした。
(……怒られてない)
(叱られてもいない)
(ただ、優しく“今じゃない”って言われただけ)
それだけで、
子どもの疑問は、空中で止まった。
止まった疑問は、
落ちない。
落ちないまま、
宙に浮いて、
そのうち見えなくなる。
「ほら、遊んでおいで」
大人が言う。
子どもは走っていった。
さっきまでの質問の勢いが嘘みたいに、
すぐ遊びの顔に戻る。
勇者は、のんきに言った。
「あいつら元気だな!」
「……ねえ」
スライムが小さく言う。
「今の、いいの?」
「いいに決まってるだろ」
勇者は即答する。
「何がいいの」
「子どもは難しいこと考えなくていい」
「……じゃあ大人になったら考えるの?」
勇者は少し考えた。
「大人になったら、ほら、もっと忙しいだろ」
「忙しいって何」
「生活とかいろいろだよ。いろいろ」
スライムは、言葉が出なかった。
(……逃げ道が多すぎる)
スライムは、広場の端に歩いていった。
井戸の縁に手を置く。
冷たい。
周りの音が、普通に続いている。
子どもの笑い声。
犬の寝息。
水の落ちる音。
世界は、何も困ってない。
(……分からないままにしておくことは、
許されてないんだ)
許されてない、というより、
“扱いづらい”のだ。
扱いづらいものは、整えられる。
整える、という言葉が
あの時の神官の声と重なった。
整えられると、
正しい形になる。
正しい形になると、
疑問じゃなくなる。
(……これ、
質問を潰す仕組みが
優しすぎる)
優しいから、文句が言えない。
優しいから、誰も悪者にならない。
悪者がいないから、
疑問は宙に浮いたまま死ぬ。
ここで、沈黙が落ちた。
正確には、音はある。
でも、スライムの中だけで言葉が止まる。
さっきの子どもの顔。
「なんで?」と言う顔。
答えを待つ顔。
それに対して自分は
「分かんない」と言った。
あれは負けじゃない。
正直だっただけ。
でも正直さは、
この世界では役に立たない。
役に立たないものは、
残されない。
あの時の魔物使いの声が頭をよぎる。
「役に立つ?」
その質問の先にあるのは、
「だからいい」か「だからだめ」だ。
今日の大人の優しさも、
同じ方向に見えてしまう。
「今じゃない」
「必要ない」
「大きくなってから」
全部、同じ。
(……言えなくなるのは、
怒られた時じゃない)
(“今じゃない”と言われた時だ)
スライムは、胸の奥が小さく痛んだ。
怒られたら、反発できる。
でも優しく止められると、反発しづらい。
反発しづらいから、黙る。
黙ると、世界は回る。
元冒険者の言葉がまた戻る。
「言わなくても回る」
(……回るなぁ)
(回るからこそ、
言うのがしんどい)
村は、平和である。
子どもは、元気である。
質問は、整えられた。
混乱は、発生していない。
大人は、優しい。
世界は、教育的である。
疑問は、延期された。
勇者が、井戸の方に近づいてきた。
「おいおい、どうした?」
「……なんでもない」
スライムは言ってしまって、
すぐ自分で嫌になった。
「なんでもない」
また出た。
「なんでもないなら、行こうぜ」
勇者は、当たり前みたいに言う。
「ねえ勇者」
スライムが言った。
「子どもの質問、
覚えてる?」
「んーー、魔王のやつか?」
「うん」
「あれ、なんか面白かったな」
「面白いで終わるの、怖いよ」
勇者は首をかしげた。
「怖いのか?」
「怖いよ」
「なんでだよ?」
「……分かんない」
スライムは、自分で言って止まった。
まただ。
分かんない。
今日、何回言ってる?
「分かんないって言うとさ」
スライムが続ける。
「僕が悪いみたいになるんだよ」
勇者は、少し考えた。
「……そうだな。ただ、分かんないのは“今”だけだろ。たぶん」
スライムは思わず叫びそうになったが、
声を抑えた。
「……ほら、そういうこと……」
勇者は、悪気なく言っただけだ。
でも、その悪気のなさが怖い。
「分からないなら、分かるまで待てばいいだろ」
勇者が言う。
「待ってたら、分かるの?」
「そのうち……大人になったら分かるって」
スライムは、笑いそうになった。
笑えないけど。
「それ、さっきの大人と同じこと言ってる」
勇者は胸を張った。
「大丈夫だろ、俺も大人だからな!」
「大人の意味、軽っ!!」
村を出る時、さっきの子どもが遠くから手を振ってきた。
「ゆうしゃー!」
勇者は元気よく手を振り返す。
スライムも、小さく揺れるように手を振った。
子どもが、最後に叫んだ。
「大きくなったら僕にも分かるー!?」
大人が隣で笑っている。
「そうだな!きっと、わかるようになるさ。
だから早く家に帰って寝ろよーー!」
そのやり取りは、明るくて、可愛い。
だからこそ、スライムの胸に残る。
(……分かるって、
いつなんだろう)
分かる日は来るのか。
来たとして、それは「分かる」のか。
それとも「分かった気になる」だけか。
スライムは、歩きながら考えた。
考えたくなかった。
でも考えてしまった。
疑問は、延期された。
延期は、解決とみなされた。
子どもは、遊びに戻った。
大人は、優しく整えた。
世界は、健全である。
つまり、“あとで分かる”は、
今、考えなくていいという意味だ。




