11話 勇者と夜の店と、欲しいものだけが優先される日
夜には、夜の場所がある。
昼に疲れた人は、そこへ行く。
楽しいと、人は考えなくなる。
考えなくなると、疑問は薄れる。
薄れても、消えたわけではない。
二人は、夜の通りへ向かうことにした。
理由は特にないが、そういう流れらしい。
日が傾くと、世界の色が変わった。
昼間は灰色だった通りが、
夕方になると少しだけ赤くなり、
夜になると、はっきりと別の顔を見せる。
灯りが増える。
声が増える。
人が、昼よりも近くにいる感じがする。
「……急に人増えたね」
スライムが言った。
「ああ、夜だからな」
勇者は、少し楽しそうだ。
「昼間は静かだったのに」
「夜は賑やかなほうがいいだろ」
「いいって誰が決めたの?」
「そりゃ、みんなだろ。みんな」
「“みんな”便利だなぁ」
通りの両側には、店が並んでいる。
笑い声。
音楽。
グラスのぶつかる音。
昼間に感じていた重たい違和感が、
少しずつ薄れていく。
(……これ、
分かりやすく空気変えてくるな)
スライムは、そう思いながらも、
完全には抗えなかった。
身体が、
少しだけ楽になる。
「ねえ勇者」
「ん?」
「今、さっきより考えてないでしょ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「夜だからじゃないか」
「夜って、
思考オフにする合図なの?」
勇者は笑った。
「そんなことより、今は難しいこと考える時間じゃないだろ」
「……世界、
時間帯で人変えすぎじゃない?」
店の前に立つと、
中から柔らかい声が聞こえた。
「いらっしゃい」
扉を開けると、
一気に暖かい空気が流れ込む。
お姉さんたちが、
自然な笑顔で迎えてくる。
「疲れてるでしょ」
「ゆっくりしていってね」
「何飲む?」
勇者は、完全に気を良くしている。
「す、すごいな……」
「何が?」
「歓迎されてる感が、だ」
「それ、
考えなくていい合図だよ」
スライムはそう言ったが、
声はあまり強くなかった。
席に座ると、
飲み物がすぐに出てくる。
甘い匂い。
柔らかい音楽。
「今日、何してたの?」
お姉さんが勇者に聞く。
「もちろん冒険してたんだよ!」
「すごーい!」
「これから魔王倒しに行くぞ!」
「かっこいい!」
スライムは、
そのやり取りを横で見ていた。
(……質問、
全部勇者に向いてるな)
スライムにも視線は来る。
「この子、かわいいね」
「ありがとう」
「元気ない?」
「……普通」
「無理しなくていいよ」
その一言で、
少しだけ肩の力が抜けた。
(……あ)
(今、
楽になった)
スライムは、
そのことに気づいてしまった。
しばらくすると、
会話は軽く流れるものになった。
何をしたとか、
何があったとか、
深掘りされない。
「大変だったね」
「それはつらいよ」
「考えすぎだよ」
その言葉は、
否定でも肯定でもない。
ただ、
その場をやわらかくする。
(……ここ、
問題を解決する場所じゃない)
(問題を
溶かす場所だ)
スライムは、
グラスを見つめた。
中身が、
少しずつ減っている。
それを見ているだけで、
時間が過ぎていく。
「ねえ」
スライムが言う。
「さっきさ、
魔物使いに会ったんだけど」
「大変だったね」
お姉さんは即座に言う。
「え、それだけ?」
「嫌なこと思い出さなくていいよ」
「いや、
思い出したほうがいいやつなんだけど」
「今は、楽しい話ししよ?」
スライムは、
言葉に詰まった。
(……これ、
正論じゃない)
(でも、
気持ちは楽になる)
勇者は、すっかり馴染んでいる。
「この店、すごくいいな!」
「でしょ?」
「ずっとここにいたい」
「それはダメだよ」
お姉さんは笑う。
「ああ残念。……でも今日はここにいる!」
スライムは、
その会話を聞きながら、
妙な感覚に包まれていた。
(……世界、
否定もしないし、
選別もしない)
(ただ、
考えさせない)
しばらく、
言葉が少なくなる時間が続いた。
音楽。
笑い声。
グラスの音。
誰も、
「どうする?」
「これからどうなる?」
とは言わない。
考える必要がない。
沈黙が、
重くない。
(……これ、
危ない)
(すごく居心地いい)
スライムは、
その居心地の良さが、
逆に怖かった。
研究所では、
息が詰まった。
魔物使いの前では、
身構えた。
ここでは、
力が抜ける。
抜けすぎる。
(……ここにいたら、
嫌だったこと、
どうでもよくなる)
(それって、
解決じゃない)
でも、
身体は正直だった。
疲れている。
考えたくない。
「……ここ、
居心地いいね」
スライムは、
ぽろっと言ってしまった。
言った瞬間、
自分で驚いた。
(あ、
今の、
言っちゃダメなやつだ)
お姉さんは、
にこっと笑った。
「でしょ?」
その一言で、
それ以上の話は終わった。
夜は、賑わっている。
人々は、楽しんでいる。
問題は、持ち込まれていないとされた。
疲れは、癒やされている。
世界は、平和に見える。
疑問は、表に出ていない。
店を出ると、
夜風が少し冷たかった。
頭が、
ぼんやりしている。
「……ねえ勇者」
スライムが言う。
「さっきの店、どうだった?」
「もちろん、楽しかった!」
「それだけ?」
「それで十分だろ」
スライムは、
少し黙った。
(……これ、
悪くないんだよな)
(悪くないけど、
前に進んでもない)
通りを歩くと、
また別の店の灯りが見える。
夜は、
まだ続いている。
「ねえ」
スライムが小さく言う。
「世界さ、
僕たちが考えないでいると、
すごく優しいね」
勇者は、少し考えてから答えた。
「何言ってんだ。考えなくていいなら、
そのほうが楽だろ」
「……うん」
スライムは、
それ以上言わなかった。
言葉にすると、
せっかく薄れた違和感が、
戻ってきそうだったから。
夜は、終わりに近づいている。
人々は、家路につく。
朝は、またやってくる。
問題は、持ち越された。
だが、誰も困っていない。
つまり、
欲しいものを与え続けることで、
世界は今日も、考えられない。




