その41
◇◇◇◇◇◇ その41
浜松城を出た家康は国中に放った物見の報告より決戦場所を三方が原に選び、そこに武田軍を封じ込める作戦を選んだ。
三方が原はやや窪地になっており、ここに追い込めさえすればいかに武田といえども殲滅出来ると判断したのである。決死の家康は巧みに自軍を展開し、地の利を活かして武田軍をじりじりと後退させ、この窪地へと追い込んで行く。
時も十二月、甲斐よりはるばる遠征している兵士達は疲労も蓄積し、さらに寒さも重なり、三方が原へと自然に集結する格好になってしまった。
「信玄め、諏訪より采配はとれまい。」
家康は自分の諜報網には自信があった。本陣にいるのは信玄の影武者であり、信玄その人は諏訪で療養しているらしいことも掴んでいた。
「信玄はよほどあせっているらしい。」
影武者を使わなくてはならないほど持病の労咳が悪化していると家康は判断した。武田軍は三方が原に押し込められ、そのくびれた部分に徳川軍がふたをする格好になった。
「よし、これで我が軍の勝利じゃ。信玄恐るるに足りずじゃ。」
家康は作戦通りに事が運んだ事に満足であった。
「武田勝頼の隊が突然現れ、我が軍の側面を突きました。」
「なに。」
突然の報告に家康は驚いた。三方が原のくびれに栓をして武田軍を閉じこめる事に成功したのにこのままではその栓が外れてしまう。もし、そうなれば徳川軍は全滅となるのは必死であった。
「お館様、お逃げなされ。」
本多忠勝はそういうと家康の兜を被るなり、主君の乗っている馬の尻を蹴り上げた。蹴飛ばされた馬は転がるように主君を乗せて浜松城の方角へ向かって走り出した。
「我こそは徳川家康なり。勝って手柄にせよ。」
「わしの作戦は完璧であったはずだ。それが裏をかかれた。」
家康は野戦には自信を持っていたが、それが完膚なきまでに打ち壊されたのだ。
「こんな作戦で対抗して来るのは信玄本人に違いない。だが、どうやって」
どうやってこの決戦に間に合ったのかがわからない。
信玄は上洛戦にあたって自軍を三つに分けて、美濃、三河、遠江に進入させて来ている。その指揮を悠々と諏訪に居ながらにして執っているはずであった。その余裕と奢りを粉砕するために出撃した家康であった。だが、本陣にいるのは影武者ではなく、信玄本人であるのは疑うべくも無い事であった。




