幕間 少女アルベルタ、その前日
幸せは長続きしなかった。生きていくだけでは退屈で、満たされるのは腹だけで、心は空っぽ。一番が欲しい。特別が欲しい。それをくれたはずの子は、アルベルタを裏切り、この髪と瞳になって、アルベルタの中にいる。
初めは嬉しく思った色が、次第に疎ましくなった。どうして自分はあの子の唯一になれなかったのだろうか、と、考えてしまうから。
まだ、足りないのだ。質の悪い肉だけでなく、質の良い肉が食べたい。服だってボロ布のまま。家は隙間風が入るし、恋も、愛も、知らないまま。
それなのに、世界はアルベルタに冷たい。ろくに管理もできていないくせに、焼却場の死体の状態を怪しんだ者がいるようだ。食い散らかして放っておくのは良くなかっただろうか、とアルベルタは後悔する。それも仕方のなかったことだ。骨は硬くて食べられない。髪は喉に詰まってしまう。目玉や内臓は、柔らかくて食べやすい。けれど、皮膚を剥ぐのが大変。
ままならないことに苛立ちながら、アルベルタは石ころを蹴飛ばした。あの子は全てを持っていた。綺麗な海を帰る場所にして、「あの人」がいて、友人がいて。美しく、今は忌まわしいこの色を持っていた。ならば、それを食べた自分にも全てがあって然るべきだ。
アルベルタは森に入った。今夜の食材探しだ。この貧民街では、子供がよく森に入る。僅かばかりの果物や、野草、きのこを取って家に帰る。広い森であるから、迷子になる子供も多い。それは、とても都合の良いことだ。
焼却場の肉でも悪くはないが、怪しまれたこともあり、子供の肉を食べたくなったこともある。アルベルタはナイフを片手に森の中へ深く入り込んでいき、獲物を探した。
その時、遠くから泣き声が聞こえてきた。子供のものではない。女のものだ。それは、段々と近づいてくる。アルベルタは女の肉も食べやすく好みだった。声のする方へ走り、質素な服を纏った、小さな荷物を抱えた女とぶつかる。アルベルタは極めて優しく、上品に、女を助け起こした。
「あら! ごめんなさい。大丈夫?」
「え、ええ。ありがとう。けれど、あなた、どうしてこんなところに?」
「果物を探しに」
「ああ……あの、貧民街の子ね」
初めは驚き、感謝を述べた女は、すぐに侮蔑の目線を送った。アルベルタは、にこやかに微笑む。蔑まれることも、見下されることも、慣れている。それ以上に、この女は美味しそうな見目をしていたことに喜んでいた。痩せぎすでなく、ほどよく肉付きがいい。それでいて、脂肪は少ない。夕飯にぴったりだ。
涎を飲み込みながら、か弱い少女のように、無邪気に女に問いかけた。
「あなたこそ、どうして泣いていたの?」
「そう、ええ、聞いてよ。異形館、あの主人、ハンスめ……もう、我慢ならない。私に、あの恐ろしいコレクションを毎日磨けと言うのよ!? 少しでも曇りがあれば、もう一度! 耐えられないわ!」
余程鬱憤が溜まっていたのか、女は蔑んだ相手に声高に吐き出した。異形館の噂は聞いたことがある。黒魔術、異形、それらに傾倒した変わり者の成金が主人の館である、と。森の奥深くに建つ館は、木々の間から覗き見られる。
あんな家に住めたら、と夢見たことは一度ではない。けれど所詮夢は夢で、叶うはずもない。そうである、が、アルベルタは閃いた。とても素敵な考えを、思いついた。
未だに女は主人の文句を叫んでいる。少しうるさく感じたので、ナイフを振り上げた。ぷちり、と。ずぷ、と。布を割いて、女の腹にナイフが刺さる。
「え……?」
「ごめんなさい。うるさくって。ああ、でも、もういいわ」
「何、なんで、あ、あ、あ、いたい、どうして、嫌、来ないで!」
「だめ。逃げないで」
足場の悪い草だらけの森では、駆け出すことは不可能だった。容易く女の腕を捕まえ、再度、ナイフを突き刺す。二、三度、か細い悲鳴を上げて、女は血を吹き出して倒れる。まだぴくりぴくりと痙攣していたので、えい、えい、と乱雑にナイフを振り下ろした。動かなくなったところで、服を剥がし、腹を開く。新鮮なうちに血を啜って、肉に齧り付く。
食事を楽しみながら、アルベルタは素敵な考えを脳内でなぞった。
「この人がいなくなったから、私が入り込めるはず。それに、コレクションを拭くだけであのお家に住める!」
娼婦をやるより、段違いに簡単な仕事だ。それに、あの館の主人のことだから、当然人魚のこともよく知っているだろう。聞き齧っただけのアルベルタより伝説にも詳しい。もしかしたら、あの子の友人である人魚のことも聞き出せるかもしれない。
あの子が持っていたものは、アルベルタが全て喰らって、腹に収めるべきだ。そうでないと、手に入れられない。
大きな館であれば、使用人も他にいよう。餌のきちんとした肉が食べられる可能性だってある。恐ろしい噂があり、人の寄りつかない館であれば、怪しむ者もきっといない。
アルベルタは幸運だ。偶然、館から逃げ出した女に出会った。いい肉を食べられた。そして、今後あの大きくて綺麗な家を手に入れられる。全て、全てを。
信じていなかった神とやらに感謝をしたくなった。今まで苦しい思いをしてきた。辛い人生だった。その代わりに、神がご褒美をくれたのだ。
血に塗れた手で、拙く祈ってみる。
神さえも味方につけたつもりで、アルベルタは残りの血肉を食べ進めた。




