5.抹茶のカフェの悪夢(2) 見とれないで!
思い切り辺りを見回した俺に対し、彼女が不審がる。
「な、何々? 知ってる人でもいたの?」
「いや、風に乗って何か臭って来ないか?」
彼女は首を傾げるばかり。「何も?」と。
俺の気のせいかもしれない。朝だって血の臭いなどしなかった。
いや、あの時は周りがラーメンの匂いで血の臭いが誤魔化されただけだ。犯人がたぶんトイレの芳香剤か消臭剤を使って誤魔化したこともあろう。
今回は違う。河川のそば特有の強い風があり、何の処置もされていない血の臭いが漂ってきているのだと思うが。
「ん? 普通に血抜きの臭いじゃない?」
言われてハッとした。ウェイトレスもこちらをちろっと見てから、説明はしてくれた。
「近くにジビエが美味しいところがあるから、そこの臭いだと思います。ごめんなさいね」
そう言って、網戸だった窓を閉めていた。これで血の臭いは気にならなくなったのだけれども。
「に、しても血の臭いはすぐに分かっちゃうんだ。凄いね」
「ま、まぁ。普通の人よりは敏感かな」
「じゃあ……首輪をつけて警察犬にもなれるね! 将来安泰だよ!」
「俺は人間だっ!」
ついつい興奮してしまった。またもやウェイトレスの視線が痛い。今度は咳払いをしてから落ち着いてみせる。
その最中、風鈴の音が。
何かと思ったら、一人の女子が大きなヘッドフォンをしながら入ってきた。
「一名様ですか?」
「いえ、後から二名来ます」
ショートカットの女の子。声はかなり落ち着いた少女のよう。彼女の声を聴いていると何故か「こんな時どうやって笑えばいいのか分からないの」なんてセリフが思い浮かぶよう。
当然笑うと光りそうな女の子だ。たぶん女子高生位。彼女は川が一望できそうな窓近くの席に通されていた。
見とれていたら、彼女が耳を引っ張ってきた。
「ちょっと、何見とれてんの?」
「あっ、いや。別にあっ、この子可愛いななんて思ったりしてません」
「はいー! 警察呼びますねー! あっ、私が警察だった!」
「ちょっと、まだ俺何もしてないんだけど!?」
「ううむ、残念。今、異世界でアンタの行動を取り締まれるものがない……」
無罪なんだからあったら困るだろう。
普通に観察していただけだ。それに、だ。
「音漏れしてる感じがするでしょ?」
「ん? そういや、何かラジオか何か聞いてるのかな」
先程からポチポチとスマートフォンを打っている。微かに聞こえてくるのも女の子の声。聞き覚えがあるような。
きっとネット配信を見ているのではないだろうか。Vtuberとかの配信ならコメントを打ちながら聞いていてもおかしくない。しかも、相当早いスピードでたんたかたんとコメントを打っているから、やろうとすればアカウントを特定できるかもしれない。やらないけれども。
その次に入ってきたのがポニーテールの少女だ。彼女は耳の中にイヤホンのようなものを入れているが。少し紅っぽい髪が数本入っている彼女が手を振って。それに気付いたヘッドフォンの少女が挨拶をしていた。
「茶々! ごめん。待たせちゃった?」
「ううん、予定より早く来ちゃっただけだから……レモンちゃんは何も悪くないよ」
ショートカットが茶々。ポニーテールがレモン。
その名前を脳裏に書き留めていると更に彼女が俺の額を突いて追撃する。
「ちょっとちょっとちょっと!? さっきから何考えてんの!? お見合いの席で他の女の子に鼻を伸ばす馬鹿が何処にいるの!?」
怒られている最中、最後の一人と思わしき女の子が。彼女は「おーいおーい!」とハイテンションで入ってきて。有線のイヤホンを耳から落としていた。
はい、もう見ません。と鼻を引っ張られた俺は彼女に告げる。
「おーい、付き合えるのが嬉しいんじゃないの? それとも何女の子なら誰でもいいの? 女の子だったら……!?」
「そういう訳じゃなくって……!? 何か変なんだよ!」
「な、何よ」
一応、手を離して聞いてくれるみたいだ。
なかなか女子に攻撃されることなんてないから、結構痛い。やられた部分を擦りながら、説明しておく。
「外はあんだけ血の臭いがするのに何であの三人はここに入った途端、深呼吸とかしなかったのかなって」
「んん?」
「あるじゃん。臭いのきついところ……そこで息とか止めたりしない?」
異世界人でも分かる例えができただろうか。彼女は少し唸ってから、確かにと。それでも異論を放つ。
「鼻が詰まっていたとか?」
「集団で風邪かアレルギーって可能性もあるけどさ……今のところそれ以外の症状はなさそうだし……」
至ってハイテンションな女の子は元気そう。有線のイヤホンを振り回して、「ねぇねぇ、チェスの試合見てみて―!」と趣味の話で盛り上がっている。
レモンさんは「音楽聞いてるからいいよ」と片方だけイヤホンを外した後で断っていた。茶々さんはヘッドフォンを取って品書きを見つめている。
元気は有り余っている気がする。
それに鼻水が詰まっていたらティッシュ位は常備しているだろうけれども。それを隠す暇もない。
俺が考えすぎか。そこまで他の人は血の臭いに敏感ではないのだろうか。
考えている俺の肩を優しくとんとんと叩いたのはリヴィアだ。彼女は何だか悪だくみをしていそうな顔を見せてきて。
「……まっ、そんな適当な理由じゃ誤魔化せないわよ……さて。そんなに女の子ばっかり見てるんなら……そうだねぇ。アンタ、そんな女の子に慣れてないでしょ?」
「えっ……あっ、いや……」
「ふふん。このお団子を食べあいっこしましょ? 私が食べたのをアンタが食べる……」
「それっていわゆる、間接……関節……」
「関節キスよ! 覚悟しなさいっ!」
何をやらせるんだ、と。今の俺にはそれでも刺激が強すぎるような、と。
ハッとした瞬間。再度、風鈴の音が。
その瞬間、店の中に紅いものが飛び散った。
それは間違いなく、血だった。入ってきた人間の口から飛び出たのだ。
「お、お客様っ!?」
ウェイトレスは持っていたお盆と水を盛大に溢し、辺りにグラスの割れる音が響き渡っていく。
リヴィアも目と口を開けたまま。
「えっ、はっ!? 何!? 何よっ!?」
「とにかく急いで救急車だ!」
そして、警察もだ。
俺が通報しなくてはとスマートフォンを手で滑らせていく。
その人間、中年の男は右手で喉を抑えながら、もう片方の手でこちらに近付いてくる。
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああ!」
悲鳴を上げている女性達を指差したかと思うと、俺の近くにあった将棋の駒を取った。
「ちょ、ちょっと! そこに横になって! 動かないで!」
リヴィアが焦って指示を出すも、聞いていない。将棋盤も畳も鮮血に染まっていく。このままでは……このままでは……!
中年の男は口を動かしているが、意図が読み取れない。
ただ一つ。血に塗れた桂馬のコマを胸に当てている。
「血に塗れた桂馬が……どうしたのよ!?」
リヴィアが再度声を上げても、お構いなし。
更に近づいてくる男はこちらの顔やテーブルに近付いて、何をするかと思いきや。お品書きを見て。そして目を見開いたかと思いきや、そのまま倒れ込む。
あの男の顔は意識にこびりつく。茶屋の中で起きてしまったこの悪夢を俺は忘れられないだろう。




