第四部第九話:旅立ち前の誓いと、重なり合う孤独
第四部第九話:旅立ち前の誓いと、重なり合う孤独
出撃を目前に控えたハンニバルの古城。重厚な石造りの部屋には、研ぎ澄まされた金属の冷たい匂いと、迫り来る決戦の緊張感が立ち込めていた。
アルが旅の支度を整えているところへ、部屋の扉が静かに開いた。
足音もなく入ってきたのは、かつての華麗なドレスを脱ぎ捨て、動きやすい少年のような皮の軽鎧と着古したチュニックに身を包んだリサ王女であった。
その素朴な衣服は、彼女の透き通るような白銀の髪と、凛とした気品をより際立たせている。
しかし、その碧眼には深い悔恨と悲しみが影を落としていた。
「リサ……。君は救出作戦に参加しなくていいんだぜ」
アルは腰のベルトに革の薬袋を固定しながら、振り返ることなく静かに告げた。
「このままハンニバルの部下に護衛をつけてもらって、一刻も早くセルバ王国へ向かうんだ。……その方が、ニコラの払った犠牲も報われる」
冷淡に聞こえる言葉だった。
だが、それは戦場を生き抜いてきたアルの、あまりにも残酷で正しい「正論」であった。
王家という巨大な存在は、いつの時代も数多の臣下や兵たちの犠牲と血の海の上に成り立っているのだから。
「……いいえ、私も参ります。私を行かせてください」
リサの細い声が重苦しく響く。
彼女は己の胸元を強く握りしめ、溢れ出そうになる涙を必死に押し殺していた。
「私のせいですわ……。私があまりにも世間知らずで、すべてを軽く考えていたのです。変装のためなどと言って衣装を交換し、身代わりにするということが……どういう凄惨な結末を招くのか、私は何も分かっていませんでした……!」
己の不甲斐なさを自責し、激しく肩を震わせるリサ。
アルは小さく溜息をつくと、歩み寄り、彼女の華奢な肩を両手で優しく、しかし力強く抱きしめた。
「自分を責めるな。衣装を交換したからこそ、奴らはニコラを『王女』だと誤認し、生贄の儀式のために即座に殺さず生かしたんだ。それに……あの作戦を提案したのは俺だ。責めるなら俺を責めろ」
アルは低く温かな声で、必死にリサの心を解きほぐすように言い聞かせた。
アルの温もりに触れ、リサは固く閉じていた瞳からぽろぽろと涙をこぼした。
「……私は、どこかでニコラが自由なのだと勘違いしていました。王女などと言っても、毎日が退屈な公務と厳しい勉学ばかりで、籠の鳥のように窮屈で仕方ありませんでした。でも……本当に鎖に縛られていたのはニコラの方だったのですね。私のために、命すら投げ出さなければならないほど重い鎖に……」
少女の吐露する孤独と悲痛な叫び。
アルは遠い目をして、どこか懐かしむように苦笑いを浮かべた。
「……実はな、俺もとある王家の生まれなんだ」
「え……? アル殿が、王家のご出身……?」
驚きに目を丸くするリサを見つめ、アルは肩をすくめた。
「ああ。昔から格式ばった窮屈な王室ってやつが肌に合わなくてね。冒険家だった親父みたいに外の世界が見たくなって、ある日着の身着のままで城を飛び出したのさ」
「アル殿のような強さと自由をお持ちなら……私だって、そんな風に飛び出してみたかった……」
「――じゃあ、俺と一緒に来るか?」
アルの言葉に、リサは一瞬だけ呆気に取られたようにアルの顔を見つめ、やがて困ったような、だが心から愛おしそうな微笑みを浮かべた。
「……ふふふ。私に『盗賊』や『義賊』は務まりませんわ」
「はは、盗賊にならなくたっていいさ。誰かのためでも、王家のためでもなく……ただ自分らしく生きればいいんだ」
「自分らしく……。ええ、本当にそうですわね」
リサの瞳から迷いが消え、固い決意の光が宿った。
「ですが……今はまだ、自由になるわけにはいきません。私には、国を狂わせ、民を苦しめる王妃マルグレートの野望を阻止するという果たさねばならぬ使命がありますから」
「……そうか」
アルは深く理解し、リサの華奢な体をもう一度そっと優しく抱きしめた。
王家の血脈という重荷を、そう簡単に投げ捨てられるはずがないことは百も承知だった。
だからこそ、自分の宿命から逃げずに立ち向かおうとするこの気高き王女の背中を、命を懸けて支えようと心に誓ったのである。
ふたりの絆が確かめられたその時、部屋の重厚な扉が外から開かれ、半冥王族のブルドと元七魔導士のシーナが姿を現した。
「アル、王女様。準備は整ったぞい」
ブルドが手にした漆黒の錫杖を一度鳴らし、鋭い眼光を光らせる。
その後ろで紫の法衣を翻すシーナも、真摯な面持ちで頷いた。
「準備は万全です。シャギュアが潜む『暗黒神殿』の裏道へ、私が皆様をご案内いたします」
「よし……行くぞ。ニコラを奪還し、奴らの企みを叩き潰す!」
アルが短剣の柄を握りしめ、力強く宣言する。
そして、闇の吸血鬼ハンニバルを先頭に立てた決死の追撃隊は、静かに古城を立ち払い、ニコラが囚われている不吉な地底神殿へと向けて出撃したのだった。




