第四部第八話:暗夜の古城と、血脈の吸血鬼(ヴァンパイア)
第四部第八話:暗夜の古城と、血脈の吸血鬼
重い瞼を開いたアルの視界に跳び込んできたのは、見慣れぬ豪奢な天蓋付きベッドと、天井に施された彫刻であった。
(……ここは、どこだ……!?)
跳び起きたアルが窓へ駆け寄るも、重厚な木製の格子と分厚い遮光カーテンが固く閉ざされ、外の日光を一切遮断している。冷ややかなカビと古書の匂い、そして微かな薔薇の香りが漂う空間。
アルは扉を押し開き、何処かの巨大な古城と思われる静寂な廊下を手当たり次第に走り回った。
「リサ……どこだ、リサ……ッ!」
幾つもの扉を開け放ち、ようやく辿り着いた奥の客室で、アルは豪華な装飾のベッドに横たわるリサ王女の姿を見つけた。
「リサ……ッ!」
アルはベッド脇に膝を突き、彼女の透き通るような首筋にそっと指先を当てた。
指先から伝わる微かな体温と規則正しい脈動を感じ取り、胸を撫で下ろす。
その美しく静謐な寝顔を見つめていたその時――。
「……美しいな。お前の女か?」
暗がりから唐突に響いた低く重厚な声。
気配を微塵も感じさせず、まるで影そのものが形を成したかのように現れた存在に、アルの背筋に冷や汗が吹き出し、全身の毛髪が逆立った。
(……くそっ、いつからそこに居た……!? 全く気配がなかったぞ!)
アルは即座にリサを庇うように立ち上がり、暗闇の中に佇む影へと鋭い視線を向けた。
「……ああ、そうさ。俺の連れだ。あんたが激流から俺たちを救い出してくれたのかい?」
「いかにも。安心するがいい、命に別状はない」
暗がりからゆっくりと歩み出てきたのは、黒地に銀糸の刺繍が施された高貴な貴族服を纏う、背の高い男であった。
蒼白なまでに白い肌、研ぎ澄まされた刃のような目元、そしてその奥に宿る血のように赤い双眸。
その圧倒的な威圧感に、アルは短剣の柄へ手を伸ばし、警戒心を最大限に引き上げた。
「……助けてもらったのは感謝するが、妙な真似はしていないだろうな?」
「うむ。お前から『懐かしい匂い』がしたのでな。手は出しておらんよ」
男が薄く冷ややかな笑みを浮かべたその時、ベッドの上でリサが細い息を漏らした。
「うう……ここは……?」
「リサ! 大丈夫か!? しっかりしろ!」
意識を取り戻したリサが、眩しそうに目を瞬かせながら起き上がる。
「気がついたようだな。落ち着いたら来るといい。……共に食事でもしよう」
男はそれだけ告げると、羽織った黒マントを静かに翻し、気配を消すように部屋を去っていった。
「アル殿……あの方が私たちを助けてくださったのですか?」
「ああ、そうらしい。だが……あいつは只者じゃない。全身の細胞が危険だと叫んでる。絶対に気を抜くなよ」
アルの言葉に、リサは緊張した面持ちで深く頷いた。
手配された召使の小人に導かれ、重厚な扉を開けて大食堂へと足を踏み入れた二人を待っていたのは、長卓に並べられた目も眩むようなご馳走と、その上座に腰掛ける男の姿であった。
「ようこそ、我が城へ。我が名はハンニバル。さあ、遠慮せず座るがよい」
「俺はアル。こっちはリサだ。助けてもらったことには礼を言うよ」
アルとリサが席に着くと、ハンニバルは極上のクリスタルグラスを傾け、中に注がれた深紅の液体を優雅に口に含んだ。
だが――アルの野生的な鋭い嗅覚が、その液体の正体を瞬時に見破った。ワインの芳醇な香りなどではない。それは間違いなく、生の「血液」が持つ強い鉄分と生臭さであった。
「……血を飲んでいるのか」
アルの呟きを聞き、リサの顔色がサッと青ざめた。
目の前に座る優雅な主が、人間ではない恐ろしい怪異であることを初めて理解したからだ。
「いかにも。この身体はもはや、生き血しか受け付けぬようになっていてな。……安心せい、そなたらから生き血を奪おうとは思っておらん。これは牛の血だ」
グラスをゆるやかに揺らし、赤黒い液体を透かし見ながらハンニバルが答える。
「……助けてもらった手前、無礼を承知で聞くが……あんた、一体何者なんだ?」
「この地域では、人間どもから『吸血鬼』と呼ばれている」
「人間の血も吸うのか?」
「……まあな」
「じゃあ俺たちは、助けられたんじゃなく、あんたの非常食(餌)ってわけかい?」
「最初はな」
ハンニバルは血の如き赤い瞳を細め、アルをじっと見つめた。
「……だが、お前の血から極めて懐かしい匂いがしたのだ。だからこそ、牙を立てるのをやめたのさ」
「……懐かしい匂い?」
「我が息子……アレクサンダーの匂いだ」
「……なっ!?」
アルの頭に激震が走った。アレクサンダー王といえば、かつて地王界を救った偉大なる王であり、アルの実の父親である地王レイスの父にして、アルにとっては祖父に当たる英雄である。
「じゃあ……あんたは俺の曾祖父さん(ひいじいさん)ってことか!? だが、アレクサンダー王の父がヴァンパイアだったなんて、一度も聞いたことがないぞ!」
「無論だ。我がヴァンパイアとなったのは、ごく最近のことだからな……」
ハンニバルは自嘲気味に目を伏せ、遠い過去を懐かしむように語り始めた。
「……我が冥王界に落ちたのは、自らの犯した所業を呪ったからだ。我の本当の実子は……魔王族の血を引く『半魔王族』であった。我は奴を討ち果たすべく、この身を冥王界へと落とし、強大な力を得る代わりに呪われた身体となったのだ」
力への強い欲求から冥王力に身を委ね、なおかつ己の実子をその手で屠った罪悪感。
「思えば……いくら半魔王族といえど、我は父親としてあの子を愛してやるべきだったのかもしれん。それを……タルカ人としての宿命、魔王族は天敵であるというだけの理由で、我が子を討ち殺してしまったのだ……」
悔恨の念に苛まれるハンニバルの横顔には、不死の吸血鬼としての威厳ではなく、過去の罪に縛られ続ける一人の老人の深い哀愁が漂っていた。
「そうだったのか……」
アルは沈痛な面持ちで息を呑んだが、すぐにパンッと自分の両頬を叩いて立ち上がった。
「おっと……申し訳ないが曾祖父さん、こんなところで悠長に昔話を聞いている場合じゃなかった! ニコラが……リサの侍女が、俺たちの代わりに魔導士どもに連れ去られたんだ! 早く助けに行かないと……!」
「手を貸してやってもいいが……敵の根城が判らんことには、動きようもないのう」
ハンニバルが長い指で顎を擦り、思案の首を捻ったその瞬間――。
――バァンッ!!
重厚な食堂の扉が豪快に開け放たれた。
「――その心配は無用じゃぞ!」
長髪の髭を蓄えた半冥王族ブルドが、悠々と足を踏み入れてきた。
そしてそのすぐ後ろには、深紫の法衣を纏った一人の美しき女性魔導士が控えていた。
「ブルド……! 無事だったのか!?」
「当たり前じゃ! それよりアル、朗報だぞ。奴らの根城なら、このシーナが熟知しておる」
ブルドが胸を張り、元テルセイの七魔導士であるシーナを一同に紹介する。シーナは恭しくお辞儀をし、真摯な眼差しでアルたちを見つめた。
「七魔導士が一人、シーナと申します。AAAの潜伏拠点、そして儀式が執り行われる『暗黒の祭壇』の位置はすべて把握しております。ニコラ殿の救出、私もお手伝いいたしましょう」
状況を一変させる強力な協力者の登場に、主であるハンニバルは赤く輝く瞳をギラりと光らせ、不敵な笑みを口元に浮かべた。
「ふむ……。ならば、久々にその魔王族の残党どもを、盛大に懲らしめてやるとするか」
吸血鬼となった伝説の剣士、半冥王族の老拳士、悔悟の魔導士、そして黒髪の義賊。
囚われたニコラを奪還し、暗躍する「AAA」の野望を打ち砕くための最強の追撃隊が、ここに結成されたのである。




