第四部第五話:偽りの聖衣と、深山に灯る奇跡
第四部第五話:偽りの聖衣と、深山に灯る奇跡
険しい山道を抜け、陽が傾きかけた山間を進む一行の視界に、ぽつんと佇む古びた一軒の山小屋とヤギの放牧場が飛び込んできた。
柵の中では数頭のヤギが草を食み、牧草の香ばしい匂いが漂っている。
一行の姿を目にした牧場主の老人が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
リサとニコラが纏う高貴な神官衣を見るやいなや、老人は泥に膝を突いてすがりついた。
「おお、神様……司祭様! どうか、どうか我が娘をお救いください! 奥の寝所で重い病に臥せっておるのです!」
切羽詰まった老人の必死の訴えに、リサの胸が痛む。
しかし、追手の網が張り巡らされた今、術を使うことは自らの居場所を暴露することに他ならない。
「あいにく、今は訳あって治療の術を使えないんだ。……これで街へ行き、他の術師を当たってくれ」
アルは腰の革袋から、旅の途中で手に入れた拳大のルビーを取り出し、老人の手へと握らせた。
夕日に赤く輝く極上の宝石に老人は息を飲んだものの、目元には落胆のの色が濃く滲んでいた。
今すぐ娘の苦しみを去らせてくれる奇跡を望んでいたからだ。
休息を許された一行は、牧場の小さな離れで一夜を明かすこととなった。
老人の娘は十七歳ほど――ちょうどリサ王女と同年代であった。
「なあ、カモフラージュのために娘さんの服を何着か貸してくれないか?」
アルの頼みに老人は快く応じた。
さっそく、リサに泥汚れのついた平民の麻布のドレスを着せる。
高貴な白銀の髪を布で覆い、素朴な衣服に身を包んだリサは、どこからどう見ても山暮らしの愛らしい少女にしか見えなかった。
続いてニコラにも平民の服を着せようとしたアルだったが、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて一計を案じた。
「よし、ニコラ。あんたにはそのまま、リサが着ていた格式高い『王女の神官衣』を着ていてもらう」
「えっ……!? わたしが姫様の代わりを……ですか!?」
「まあ、敵もバカじゃないからすぐに偽物だとバレるだろうがね。だが一瞬でも視線を逸らせれば、それだけで儲けものだ。ないよりはマシだろ?」
ニコラは誇らしくも緊張した面持ちで背筋を伸ばし、リサは「ふふ、よく似合っていますわ」と優しく微笑んだ。
翌朝、薄明かりが差し込む頃。目が覚めたアルは、傍らにリサの姿がないことに気づいた。
嫌な予感が頭をよぎり、アルはすぐさま離れを飛び出して牧場主の娘が寝ている本護へと走った。
薄暗い部屋の奥、ベッドの傍らにリサが佇んでいた。
「……ごめんなさい。私を許してください……」
リサは祈るように両手を重ね、静かに瞳を閉じていた。
彼女の全身から、眩いばかりの純白の「天王力」が溢れ出し、病に苦しむ少女の胸元を優しく包み込んでいく。
深山の冷気を吹き飛ばすような、瑞々しく温かな光の奇跡。
病は少女の心を深く蝕んでいたが、リサの惜しみない天王力の行使によって、少女の頬には瞬く間に健康な朱色が戻っていった。
だが――その神聖な光が放たれた瞬間、離れの陰で静観していたブルドの漆黒の錫杖が、チリンと悲痛な音を立てた。
「……やりおったな。これで完全に探知の網に引っかかったぞい」
ブルドが溜息混じりに告げると、アルは苦笑しながら肩をすくめた。
「まあ、今更悔やんでも仕方ないさ……。ブルド、迎撃の準備だ!」
病から立ち上がった娘と牧場主の家族は、ボロボロと涙を流し、救世主たるリサの足元にひざまずいて歓喜した。
己の保身のために目の前の病人を平然と見殺しにするような女なら、命を懸けて守る価値などない――アルはリサの横顔を見つめ、(案外、見所のあるお姫様じゃないか)と心の中で評価を改めた。
「しかし、喜んでばかりもいられません。すぐに我らを追う魔導士とゴブリンの大軍がここに押し寄せてくるでしょう。……かえってあなた方を激しい危険に晒すことになってしまった」
アルの言葉は、リサの胸に重く重くのしかかった。自らの慈悲が、この温かな家族を破滅へ追いやろうとしているのだ。
「今、私たちがここを離れれば、あなた方は我らの行手を知る者として、追っ手から酷い責苦を受けることになります」
「……ここで一戦交えるしかないな」
アルが短剣の柄に手をかけると、老牧場主と農夫たちが鍬や鋤を力強く握りしめ、目を怒らせて前に出た。
「俺たちも戦いますぞ! 娘を救ってくれたお方のためなら、命など惜しくない!」
いきり立つ男たちに対し、アルは静かに手をかざして制した。
「戦いは俺たちが引き受けます。あなた方は頑丈な建物に籠もり、防衛に徹してください。巻き込んでしまって本当に申し訳ない。なあに、ささっと片付けてしまいますよ!」
アルは不安を吹き飛ばすように、わざとらしく不敵な笑みを浮かべて見せた。
夜半、山間の空気は凍りつき、牧場の周囲の森から無数の赤い眼光が蠢き始めた。
「キキッ! 居たぞ! 奴らだッ!」
待ち構えていたアルとブルドは、暗闇の中から迫るゴブリンどもへ向けて矢を射ちかけた。
さらに、建物の中からリサ王女が「光源の術」で周囲を明るく照らし出し、ニコラが「聖なる矢の術」を放って応戦する。
神聖な光の矢がゴブリンの胸を撃ち抜き、悲鳴が森にこだました。
だが、頑強な抵抗に煮え切らない影が、森の奥から進み出てきた。
「何をグズグズしておる! 愚か者どもめッ!」
痺れを切らしたテルセイの魔導士が、黒い法衣を翻して姿を現した。
男が禍々しい呪文を唱えると、その両手から青白い閃光――強烈な「雷撃の術」が解き放たれ、農家を吹き飛ばさんと迫る!
「させませんッ!」
リサが間一髪で放った「防壁の術」が、透明な光の盾となって雷撃を正面から受け止め、激しい火花とともに相殺した。
「生憎、お前の名前を聞いてやる暇もないのでな。ここで失礼させてもらうぞ」
その隙を逃さず、影のように地を滑ったのはブルドであった。
ブルドが猛然と突進し、漆黒の錫杖の柄からカチリと音を立てて隠し刀を抜き放つ。魔導士の目には、冥王力を纏ったブルドの姿が四人にも五人にもブレて重なり、残像となって迫り来るように映った。
――ズバッ!!
「グァッ……!?」
一切の反撃を許さず、ブルドの一閃が魔導士の首を鮮やかに跳ね飛ばした。
頭部を失った魔導士の体が力なく崩れ落ちる。
「ブルド! 後は頼んだぞッ!」
「おうよ! お主らは早く行け!」
アルはわざとらしく大声を上げると、王女の神官衣を着たニコラと平民服のリサの手を引き、混乱するゴブリンたちの隙を突いて森の奥深くへと姿を消した。
首領を失い、さらに強大な死霊使い(ブルド)が立ち塞がる牧場へ、ゴブリンたちが追撃を仕掛ける余力はなかった。ほとぼりが冷めるまで、ブルドは一人でこの牧場の護衛を引き受けることとなったのである。
暗い森の中を息を切らして走り抜け、ようやく追手の気配が途絶えた巨木の下で、三人は足を止めた。
リサは肩を揺らして息を整えながら、申し訳なさそうに視線を落とした。
「……私の浅はかな行動のせいで、ブルド殿を一人残し、皆さんを危険に晒してしまいました。本当に……申し訳ありません」
己の甘さを恥じ、今にも涙をこぼしそうなリサ。
そんな彼女の頭に、アルの手がぽんと優しく置かれた。
「いや……あんたらしくて、俺は好きだぜ」
アルは口元にニカッと眩しい笑みを浮かべた。
「自分の保身のために目の前の命を見捨てるような奴だったら、俺もここまで付き合っちゃいないさ。甘ちゃんだとは思うがね……人間味があって、いいお姫様だ」
「アル殿……」
月光が木々の隙間から差し込み、照らされたリサの碧眼にほんのりと温かな光が宿る。
二人の絆が深まる中、一行はブルドとの再会を信じ、隣国セルバ王国を目指して再び夜の暗がりへと歩みを進めるのであった。




