第四部第三話:闇夜の死霊術(ネクロマンサー)と、月下の血戦
第四部第三話:闇夜の死霊術と、月下の血戦
――静まり返った山中の墓地。
月光を浴びて青白く浮かび上がる幾重もの墓石の陰から、ぬっと這い出してきた無数のゴブリンたち。
彼らが発する低く濁った唸り声と、腐食した刃を擦り合わせる金属音が、深夜の冷気の中を不気味に満たしていた。
「さあ、大人しくこちらに来ていただきましょうか……リサ王女殿下」
テルセイの七魔導士が一人、ボルゲ。
病的なまでに真っ白で細い手を黒いローブから差し伸べ、冷酷な笑みを口元に浮かべる。その指先からは、王女を捕らえんと蠢く紫色の悪魔の如き魔導の気が不吉に揺らめいていた。
リサ王女を守るように前に出たニコラは、怯えで歯の根が合わないのを必死に堪え、短剣を構えるアルの背中にすがりつく。
しかし――当のアルは、包囲する百を超える敵勢を前にしても、なお不敵な笑みを崩してはいなかった。
「フフン、随分と有利に立ったつもりらしいが……それはどうかな?『地の利』ってのは、頭数だけで決まるもんじゃないのさ! ……おい、ブルド! いつまで高みの見物を決め込んでるんだ!」
アルが頭上の大木を見上げて大声で叫ぶ。
「ふあ〜ぁ……。やれやれ、騒がしいのう。せっかくの心地よい夜風だというのに、落ち着いて居眠りもできんわい」
大きな欠伸とともに、鬱蒼と繁る大樹の太枝から軽やかに飛び降りてきたのは、半冥王族・ブルドであった。
頭をパシパシと面倒そうに撫でながら、手にした漆黒の錫杖を肩に担ぎ、どこか世間を食ったような目で周囲を見回す。
「これはこれは物々しい……! 只事では無いようじゃな」
「ああ、気をつけてくれよブルド。コイツ、例の『AAA』に繋がる魔導士連中らしいぞ」
「いかにも! 我はテルセイが誇る七魔導士が一人、ボルゲと申す。ゆえあってリサ王女をお迎えに参った。……老いぼれと青二才が、我らの宿願を邪魔立てするか!」
ボルゲが杖を掲げて鋭く合図を送ると、飢えたゴブリンの大群が一斉に不快な甲声を上げ、ジリジリと間合いを詰めてきた。
「宿願、ねぇ……。現世の理を乱す羽虫が、大層な口を叩くではないか」
ブルドの目が、一瞬にして冷徹な「冥者」の光を宿した。
彼が深く息を吸い込み、太く重厚な呪文を唱え始める。
枯れ木のような指先が深遠な印を結び、漆黒の錫杖を深々と土へと突き立てた――!
――――ズズズズズズズッ!!
「――目覚めよ、大地に眠る亡者ども。冥府の門は開かれた!」
ブルドの全身から解き放たれた濃密な「冥王力」の波動が、波紋となって墓地全体へと広がっていく。
その呼応に合わせるかのように、夜空を覆う暗雲が一気に立ち込め、大気が重く湿り切った。
ドドオンッ! ズシャアアンッ!!
突如として雲を割って激しい雷鳴が響き渡り、蒼白色の稲妻が墓地を照らし出す。
次の瞬間、苔むした無数の墓標が内側から吹き飛び、腐ちかけた手足が土を破って這い出てきた。
それだけではない。
空中を漂っていた幾千の未練残しき霊魂たちが、青青とした怨念の火の玉となって飛来し、ゴブリンたちの足元へ襲いかかったのだ。
「ひっ……!? 死体が……墓から、死体が生き返って……!?」
死霊使い(ネクロマンサー)としてのブルドの真の力を目の当たりにし、ニコラは短い悲鳴を上げてリサ王女の陰に身を縮こまらせた。
「オオオオオオン……ッ!!」
うめき声を上げる屍の群れが、驚愕に目を見張るゴブリンたちへと噛み付いていく。
肉を裂き、骨を砕く凄絶な音が響き渡る。さらに凄惨なのは、ブルドの冥王力によって、殺されたばかりのゴブリンの死体までもが即座に異形の死者として再起動し、つい先ほどまで仲間だった者たちの首筋へと襲いかかり始めたことだった。
「ぬううッ! 鬱陶しい亡者どもめがッ!」
凄まじい混沌の渦中で、魔導士ボルゲが焦燥に顔を歪ませる。
彼は杖を振り回し、極大の火球を何連発も放って寄ってくる屍を焼き払おうと試みた。
爆炎が夜の墓場を赤く染め上げ、猛烈な爆風が吹き荒れる。
だが――ボルゲは知らなかった。
この混乱のさなか、死霊たちの影に紛れて地を這い、自らの足元へ忍び寄っていた一悪の存在を。
ガシィッ!!
「なっ……!?」
足首に激しい衝撃と冷気が走り、ボルゲは息を飲んだ。
見下ろせば、半ば腐ちかけた死者の手が、地中から伸びて彼の両足首を万力のような力で固く掴み放さない。
「く、離せ! 離れろ無礼者どもめッ!」
焦ったボルゲが魔力を練り直そうとした瞬間には、すでに遅かった。
足元から這い上がってきた数体の屍たちが、彼の胴体、腕、そして杖を握る手首へと一斉によじ登り、その身動きを完全に封じ込めたのだ。
「……詰み(チェックメイト)だ、魔導士さん」
冷ややかな声が、ボルゲの耳元で囁かれた。
死霊たちの狂宴を影の如く駆け抜け、一瞬にして間合いを詰めていたのは――アルであった。
死角から踏み込んだアルの刃が、月光を受けて一筋の美しい銀の線を描く。
――ズバァッ!!
「カハッ……!?」
冷徹にして無駄のない短剣の一閃が、ボルゲの細い喉を深く掻き切った。
鮮血が夜空に舞い散り、魔導士は激しい泡を吹きながら崩れ落ちる。
その絶命を確認するやいなや、周囲のゴブリンたちは統率を失い、蜘蛛の子を散らすかのように悲鳴を上げて暗い森の奥へと逃げ去っていった。
「ふぅ……。やれやれ、なんとかなったな」
アルは鮮やかに短剣の血を振り払うと、素早く鞘へと収めた。
ブルドが錫杖を地面から引き抜くと、召喚されていた屍たちもピタリと動きを止め、泥のように地面へと崩れ落ちていく。
「朝日が登れば、奴らの残骸も塵に還るじゃろう。……さあ、ここに長居は無用じゃ。追手が来んうちにずらかるぞ!」
ブルドはアルの後ろを軽快な足取りで走りながら、二人に声をかけた。
「あ、あなた達……一体何者なんですか!? 死霊使いに、泥棒だなんて……ッ!」
あまりに規格外な戦闘と、恐ろしい死霊術を目の当たりにしたニコラは、未だに身体の震えを止められず、混乱と動揺を隠せない様子で叫んだ。
その問いに対し、アルは足を止めることなく振り返り、白い歯を見せてニカっと眩しく笑ってみせた。
「ただの、通りすがりの冒険者さ!」
静まり返った山道を、月明かりを浴びながら疾走する四人。
ルガーラ王国の運命を揺るがす壮大な逃亡劇は、こうして静かにその幕を開けたのであった。




