第四部第十五話:偽りの盟約と、蠢く天使の羽音
第四部第十五話:偽りの盟約と、蠢く天使の羽音
セルバ王国の王都は、爛漫たる歓喜の熱気に包まれていた。
白亜の城砦へ、ルガーラ王国より国王フリストと王妃マルグレートの一行が到着したのだ。
盛大なる歓迎の宴が催され、両国の強固な結束と相互関係の更なる強化のため、ゲイル王子と「リサ王女」の婚姻が正式に合意・発表された。
豪奢な婚礼衣装を纏い、宴の席に座していたニコラ。
偽りの王女としての仮面を剥ぎ取ることもできず、降り注ぐ祝福の言葉に対し、ただ引きつった笑みで頷くことしかできなかった。
熱狂的な歓迎の宴が終わり、夜風が吹き抜ける王宮のバルコニーで、ニコラは一人手すりに寄りかかり、遠くの街並みをぼんやりと見つめていた。
胸を押し潰す罪悪感と孤独。
「……ふふ、見事に化けたものですね。感心いたしましたわ」
背後から響いた冷ややかに澄んだ声。
ハッと振り返ったニコラの視界に跳び込んできたのは、漆黒のドレスに身を包み、透き通るような白肌と鋭く冷徹な双眸を光らせたルガーラ王妃――マルグレートの姿であった。
「王妃……様……ッ!?」
ニコラは息を呑み、動転しながらもマルグレートへと詰め寄った。
「王妃様……! あなたは、どこまでご存知なのですか!? 私が本物のリサ王女ではないと知っておられたのなら……なぜ、なぜ黙って放置されるのですか!?」
「すべては、我がルガーラ王国のためです」
マルグレートは扇を優雅に揺らし、薄く冷酷な笑みを口元に浮かべた。
「あなたはゲイル王子と政略結婚をする……。ですが、その婚姻は決して『ルガーラの正統なる血』を引く者であってはならないのです。セルバ王国と同盟を結びつつも、我が国の純血による侵略や支配を許すわけには参りません。ルガーラとセルバの間に平穏が維持される限り……あなたのその浅ましい正体は、永遠に守られるでしょう」
「そんな……! では、本物のリサ王女様はどうなるのですか!?」
「彼女には……彼女にしか果たせぬ『別の役目』がございます。哀れな侍女であるあなたが知る必要などありません」
「このまま……リサ王女の振りを永遠に続けろと言うのですか!?」
「ええ、それがルガーラのため。……くれぐれも粗相のないように。尤も、あの呪縛の前に抗おうとしても無駄でしょうけれどね。……フフ、あなたのために命を落としたシャギュアのためにも、精々しっかり務めなさいな」
「あなたは……七魔導士……!?」
ニコラの震える問いかけに対し、マルグレートは答えず、ただ妖しく優美な微笑みを残して夜の闇へと去っていった。
セルバ王国全土、そしてルガーラ王国にまで「両国の同盟と婚礼」を祝う狂乱の機運が溢れ出していた。
民々の純粋な歓喜、祈り、そして祝福の感情――それらは膨大な「聖王力」という形なき光の奔流となり、王都の北西にそびえる『聖なる塔』へと引き寄せられるように集積されていった。
――パァァァァン……ッ
黄金色に輝く聖王力の濃密な香りに誘われるように、澄み渡る天空の雲を割り、無数の純白の羽をもつ「天使」たちが舞い降りてきた。
最初は数千。
それがやがて数万の群れとなり、神聖なる讃美歌のような羽音を響かせながら、聖なる塔の周囲を旋回し始める。
婚姻の日が刻一刻と近づくにつれ、飛来する天使の数は留まることを知らず、空を覆い尽くさんばかりに増加していくのであった。
だがその光景は、神聖でありながらも、どこか恐ろしく歪んだ狂気を孕んでいた。
同じ頃――天導教団の『聖なる塔』最深部、光も届かぬ凄惨な地下牢。
クーリッジの強力な闇の魔導とイバラの毒によって拘束されたアルは、冷たい石床の上にピクリとも動かず倒れ伏していた。
その皮膚は紫色に変色し、呼吸すら途切れ途切れの、まさに「瀕死」の状態であった。
鉄格子の外で見張っていた二人の衛兵が、不安そうに顔を見合わせる。
「おい……あいつ、まさか死んでるんじゃないのか……?」
「まずいぞ! 大神官様からは『殺すな、生かして閉じ込めておけ』と厳命されているんだ!」
慌てた衛兵たちは鍵を差し込み、ギイィィと不気味な音を立てて牢の扉を開けた。
慎重に腰の剣を抜き、荒い息を吐くアルの体へと近づいていく。
「おい、起きろ! 生きているか!?」
一人の衛兵がアルの肩へ手を伸ばし、その脈を確かめようと指先を首筋に触れさせた――その瞬間のことである。
――ガァァァンッ!!
死人のように静まり返っていたアルの双眸がかっ開かれ、野獣のごときギラついた鋭光が放たれた!
「ぐあッ……!?」
アルの素早い腕が蛇のごとく滑り出し、衛兵の首骨を粉砕。
間髪入れず、残るもう一人の衛兵の胸元へ短剣を深々と突き立てた。
一閃、一殺。
息の根を止めるまでわずか一瞬。
二人はいびつな悲鳴を上げることすら許されず、床へ崩れ落ちて絶命した。
「……ハァ……ハァ……ッ……!」
毒に侵された猛烈な頭痛と吐き気に襲われ、膝を折りかけながらも、アルは固い意志で自身の壁をつたい、立ち上がった。
「くそっ……死んで……たまるかよ……っ!」
口元から垂れる血を乱暴に拭い去り、アルは衛兵の腰から牢の鍵束を奪い取ると、朦朧とする意識を気魄だけで繋ぎ止め、捕らわれのリサ王女を救出するべく、聖塔の階段を這うように登り始めた。




