第四部第十三話:偽りの愛と、解けぬ魔導
第四部第十三話:偽りの愛と、解けぬ魔導
セルバ王国の王都。
白亜の城砦の最奥にある執務室で、ゲイル王子は苛立ちを隠せずにいた。
流れるような黄金の髪に、彫刻のように端正な顔立ち。
セルバ王国の次期国王たるゲイルは、文武両道にして民からの信望も厚い若き勇士である。
しかし、婚約者であるルガーラ王国のリサ王女が何者かに連れ去られたという凶報を受けて以来、その眉間には深いシワが刻まれ、鋭い蒼眸には焦燥の色が濃く陰っていた。
「くそっ……捜索隊からの報告はまだかッ!?」
ゲイルが豪奢な机を叩いたその時、静かに扉が開き、大神官クーリッジが歩み寄ってきた。
「ゲイル殿下、落ち着き召されよ。……朗報にございます」
深く重厚な神術衣を纏ったクーリッジは、穏やかながらも眼光を光らせ、一通の羊皮紙を差し出した。
「王都より東に広がる『黒霧の森』にて、怪しげな邪導士の潜伏が確認されました。そして……その傍らに、リサ王女殿下と思われるお方の目撃情報が届いております」
「何だと……!? すぐに兵を出す! 私自ら率いて向かうッ!」
ゲイルは剣帯を腰に締め直し、一刻の猶予も惜しむように出陣の号令を放った。
時を同じくして、黒霧の森の奥深くに築かれた不吉な祭壇。
「んん……っ……ここは……どこ……?」
冷たい石の感触に、ニコラはゆっくりと目を覚ました。意識が混濁する中、手首には太い鉄の鎖が巻きつけられていることに気づく。
ふと周りを見渡せば、そこは地獄絵図であった。
ゲイル王子率いる白銀の甲冑を纏ったセルバ王国騎士団と、魔導士シャギュアが召喚した異形のアラクネやゴブリンどもが、凄惨な死闘を繰り広げていたのだ。
「邪悪な魔導士め! 王女を返してもらおうッ!」
金属音と叫喚が響き渡る中、一際眩い光を放ちながら陣形を破ってきたのは、ゲイル王子であった。
彼は手に執った聖剣を鮮やかに閃かせ、立ちはだかる魔物たちを一閃のもとに斬り伏せていく。
「おのれ……セルバの青二才がッ!」
シャギュアが詠唱に入ろうとしたその瞬間、ゲイルの踏み込みは風よりも速かった。胸元を貫く刃。白髪の魔導士シャギュアは白目を剥き、血を吐きながらあっけなく崩れ落ちた。
「リサ王女! ご無事ですかッ!?」
ゲイルは一目散に祭壇へ駆け寄り、身を挺してニコラの拘束鎖を斬り払うと、彼女の華奢な身体を強くその腕の中に抱きしめた。
「あ……私は……私は、.....,では……ありま……せん……」
ニコラは必死に声を振り絞り、自分が身代わりの侍女であることを伝えようとした。しかし、なぜか喉が激しく絞めつけられたように詰まり、言葉が声となって口から出ない。
ゲイルの胸から漂う洗練された香木の匂いと、力強い鼓動。
その男らしく包み込むような抱擁に、ニコラは耳まで真っ赤に染め上げ、言葉を失ったまま安堵の吐息を漏らした。
「お久しゅうございます、王女……。以前お会いした時は、お互いにまだ幼い子どもでしたね」
ゲイルは祭壇の上に恭しく膝を折り、ニコラの白く繊細な手の甲へと、慈しむように温かな唇を寄せた。
立ち上がる彼の凛々しい立ち姿と、どこまでも優しい蒼い瞳。
身分違いの侍女として生きてきたニコラにとって、ゲイル王子はまさに物語の中から飛び出してきたかのような「理想の男性」そのものであった。
彼女の胸に、甘く激しい恋心が不意に芽生えていく。
「ありがとう……ございます、ゲイル殿下……」
ニコラは胸の高鳴りを押し殺しながら恭しく礼を示した。
だが、自らの真の正体を告白することは、何かに縛られたかのようにどうしてもできなかった。
王宮へと連れ戻されたニコラは、豪華な控室の前に立たされていた。
侍女たちがうやうやしく差し出す全身鏡の前に立った瞬間、ニコラは自らの目を疑い、絶句した。
「嘘……っ!? どういうことなの……!?」
鏡に映っていたのは、完璧なまでに再現された「リサ王女」の姿であった。
美しく透き通る銀糸の髪、気品に満ちた眉目、柔らかな肌。
かつて自分自身の体であった素朴な侍女の面影は、どこにも残っていなかった。
思い返せば、背丈の違和感や胸の膨らみの変化は感じていた。
だが、まさか己の容姿そのものが王女と寸分違わぬものに変貌しているとは、夢にも思っていなかったのだ。
「王女殿下、お召し替えでございます」
洗練された侍女たちが甲斐甲斐しく身の回りの世話をし、肌に上質な香水を滑らせる。
重厚なシルクと刺繍で彩られた高貴なドレスに身を包み、眩いダイヤモンドの首飾りが胸元を飾った。
再びゲイル王子のもとへ案内されると、彼女の艶やかな変貌を目にした王子は、惜しみない最高の讃辞を贈った。
「素晴らしい……。言葉を失うほどの美しさだ、リサ」
熱い眼差しで見つめられ、優しく手を取られる。
(……ああ、このまま……この魔法が解けなければいいのに……)
ニコラが胸の奥で切なく願ったその時――。
闇の奥底から、魔王母メルフェレーンの妖しい高笑いが静かに響き渡り、彼女の変身の魔導をさらに深く、不可逆なものへと固定化した。
ゲイルのエスコートを受け、ニコラはセルバ国王が待つ豪奢な「謁見の間」へと踏み入れた。
ずらりと並ぶ臣下たちからの温かな拍手と歓声。
ニコラはここでも「私は本物の王女ではありません」と真実を叫ぼうと試みた。しかし、やはり喉が引き攣り、音にならない。
それどころか、メルフェレーンの呪縛によって、彼女の身体は勝手に気品ある王女の動作を取り、口からは完璧な王族の挨拶が滑り出てしまう。
半ば強制的に「リサ王女」を演じさせられる状況へと追い込まれていく。
壇上に立つセルバ国王が満足そうに頷き、傍らの宰相が一歩前へ踏み出でて、謁見の間に朗々とした声を響かせた。
「……リサ王女殿下ご救出の報は、直ちにルガーラ王国へも放っております! ルガーラ国王夫妻のご到着を待って、ゲイル王子殿下とリサ王女殿下の『婚姻の儀』を執り行いたいと存じます!」
「おおおおっ!!」
宰相の宣言に、謁見の間全体が破れんばかりの歓喜と祝杯の声援に包まれた。
(大変なことになった……! ルガーラ王夫妻……本物のご両親が来たら、絶対にバレてしまう……!)
恐ろしい事態の発展に、ニコラの背筋に冷や汗が吹き出す。
しかし――ふと隣を見上げれば、自分を愛おしそうに見つめ、優しく微笑んでくれるゲイル王子の美しく凛々しい横顔があった。
(……でも、ゲイル様……。お願い……この幸せな時間が、夢なら覚めないでほしい……)
罪悪感と甘美な欲望の狭間で、ニコラは再び強く願ってしまう。
そして暗がりの中、魔王母メルフェレーンはほくそ笑みながら、ニコラのその強欲な願いを確実に、そして残酷に叶え続けていくのであった。




