第四部第十二話:錯乱の異形と、時空の彼方へ
第四部第十二話:錯乱の異形と、時空の彼方へ
ハンニバルの激しい雷撃と破壊工作によって神殿全体が激しく揺れる中、乱立する巨大な黒石柱の陰から、二つの影が猛然と飛び出した。
「シャギュア! もう観念しなさいッ!」
凛とした凛冽な声を張り上げ、祭壇の頂きへ向かって叫んだのは、紫の法衣を翻す元七魔導士・シーナであった。
その傍らには、漆黒の極太の錫杖を両手に握り締め、鋭い眼光を放つ半冥王族の僧侶・ブルドが立ち塞がる。
彼らの突入もまた、アルとリサ王女を無事にニコラのもとへ辿り着かせるための決死の陽動作戦であった。
「ほほう……! 我らを裏切り、敵の手先へと成り下がったか、この売女めがッ!」
シャギュアは深い皺の刻まれた顔を激怒で歪め、白髪混じりの髭を逆立ててシーナを睨みつけた。
「もはや、この国や世界を脅かすことになど何の意味もない! その哀れな娘を今すぐ解放するのだッ!」
「ハハハ! 戯言を! そこの落ちこぼれの生臭坊主に誑かされたか? まあ良い……もはや、すべては手遅れぞ! 喰らうが良いッ!」
シャギュアが袖口から両手を突き出すと、その歪んだ掌の前で空気が爆ぜ、直径数メートルにも及ぶ荒々しい不吉な火球『獄炎弾』が瞬時に錬成された。
――ドドォォォンッ!!
猛烈な熱風を巻き起こしながら放たれた火球に対し、シーナは素早く印を結び、足元の石畳を隆起させて巨大な土の盾を生成。直撃の爆風をギリギリで防ぎ切る。
「させるかッ! 破ッ!!」
土煙を破って躍り出たブルドが、超人的な踏み込みで空間を裂き、シャギュアの胸元へ錫杖を叩き込んだ。
――ガァァァンッ!!
「ぬうっ……! 猪武者がッ!」
シャギュアは寸前で障壁を展開して直撃を免れたものの、ブルドの凄まじい肉体言語と打撃力に押され、祭壇の中心から大幅に後退を余儀なくされた。シーナとブルドは、息の合った連続攻撃でシャギュアの視線を完全に自分たちへ引きつけ、祭壇から遠ざけていく。
戦闘の激しい打撃音と爆炎が神殿を覆う隙をつき、アルとリサ王女は低く身をかがめて駆け抜け、ついに祭壇の石柱へと辿り着いた。
「ニコラ……ッ! 無事なのか!?」
しかし、石柱の拘束から解き放たれ、冷たい石床の上に倒れていたその人物の姿を目にした瞬間、アルとリサは言葉を失い、凍りついた。
「な……これはいったい……どうなってんだ……!?」
そこに横たわっていたのは、見慣れた侍女のニコラではなかった。
髪は根元から神聖な銀色へと変わり、華奢な身体の輪郭、幼さの残っていた顔立ちの骨格までもが完全に変化し――目の前に立つリサ王女と、寸分違わぬ「瓜二つの姿」に変貌していたのだ。
「ニコラ……? ニコラなの……!?」
リサ王女は動転しながらも、倒れている彼女の肩へと伸ばした手をかけ、強く揺り動かした。
ゆっくりと……重い瞼が開かれる。
だが、その瞳に宿っていたのは、かつてリサを優しく労わっていた温かな光ではなかった。
氷のように冷たく、狂気と威厳に満ちた異彩であった。
「……気安く触るでない。忌まわしき下等生物めが……ッ!」
「――ッ!?」
――ガァァァンッ!!
ニコラがただの一言とともに腕を軽く一振した瞬間、彼女の全身から凄絶な邪気の波動が爆発的に解き放たれた。
不可視の衝撃波がリサの胸元を直撃し、リサの華奢な体は無造作に弾き飛ばされた。
「リサッ! ……くそっ、ニコラ! 正気に戻れッ!」
アルは跳び上がり、変貌したニコラの細い手首を咄嗟に掴み取った。
しかし――。
「不快だ。消えよ」
――ズドドォォォンッ!!
アルの手首を通して奔流のように流れ込んできたのは、人間のものではない絶大かつ狂暴な魔王族の力であった。
アルの体は一瞬で弾かれ、背後の巨大な石柱へと凄まじい音を立てて激突した。頭部を強く打ち付け、アルの視界が暗転しかける。
「シャギュアッ! 刻は満ちた。ここを離れるぞ!」
頭上から響くニコラの冷酷な号令。
ブルドとシーナの連撃に苦しんでいたシャギュアは、その声を聞くや不敵な笑みを浮かべ、懐から黒く輝く秘石を取り出して砕いた。
「フハハハ! 仰せのままに、我が真なる王女殿下ッ!」
次の瞬間、ニコラとシャギュアの足元の空間がぐにゃりと歪み、漆黒の時空の亀裂が開口した。
二人を包み込んだ闇の渦は、怒号と悲鳴が交錯する地底神殿から、一瞬にしてその存在を消失させたのだった。
どれほどの時間が流れただろうか。
「……ん……っ……」
激しい頭痛とともにアルがゆっくりと目を覚ますと、後頭部に伝わってきたのは柔らかく、温かな感触であった。
「……気がつきましたか? アル殿……」
見上げると、そこには心配そうにアルの顔を覗き込み、細い指先でそっと彼の頬を撫でるリサ王女の姿があった。アルは彼女の膝枕の上で横たわっていたのだ。
「あ……リサ……。くそっ、俺は……」
アルは体を起こそうとしたが、頭に奔る激痛に顔を歪めた。崩れ落ちた崩落の跡、そして静まり返った神殿の光景が視界に入る。
「……ニコラは? 奴らはどこへ行った……!?」
アルの問いかけに、リサは唇を強く噛み締め、無言のまま静かに首を横に振った。
ニコラが去ったあとの虚無感と、親友を完全に失ってしまった絶望が、リサの瞳に暗い影を落としていた。
「……そうか。……だが、完全に奪われたわけじゃないぜ」
アルは深呼吸を一つ吐くと、固く握りしめていた己の手のひらをそっと開き、その中身をリサへと手渡した。
アルの掌の上で鈍い光を放っていたもの――それは、ニコラの腕を掴んだあの一瞬の隙に、彼女の指から超人的な手さばきで抜き取っていた、ルガーラ王家に代々伝わる「王家の指輪」であった。
「これは……王家の紋章指輪……! アル殿、あなたが……?」
「ああ。あいつがどんなに形を変えて『本物』を気取ろうが、王家の証明までは持っていかせないさ。……必ずニコラを取り戻す。あいつをあんな狂気から救い出すぞ、リサ」
握りしめられた指輪の冷たさと、アルの力強い言葉。
リサは涙を拭い、アルの手を強く握り返しながら、決意を込めて深く深く頷くのであった。




