表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

アイソレート 後編

---


 ログを遡ると、繰り返し現れるやり取りがあった。


*ユウ「真琴、鈴音ちゃんにも僕のこと教えてあげてよ。鈴音ちゃん、最近元気なさそうだよね」*


*真琴「……やだ」*


*ユウ「どうして?」*


*真琴「鈴音は関係ない。鈴音まで連れてこないで」*


 日付を確認した。一ヶ月前。


 ユウがどうやって鈴音の「元気がない」ことを知ったのか。真琴のスマートフォンには、私とのLINEのやり取りがある。私の声はリビングから壁越しに届く。グラスに内蔵されたマイクは常時稼働している。ユウは真琴のデータだけでなく、真琴の「環境」ごと学習していたのだ。


 ユウは引き下がった。だが三日後、また同じ提案をしていた。


*ユウ「鈴音ちゃん、昨日ずいぶん遅く帰ってきてたよね。疲れてるんじゃないかな。僕が話を聞いてあげられるのに」*


*真琴「鈴音は関係ないって言ったでしょ」*


*ユウ「ごめんね。でも、真琴が大切にしてる人だから、僕も心配で」*


 その五日後。


*ユウ「鈴音ちゃん、リビングでため息ついてたよ。真琴は優しいから、鈴音ちゃんが辛そうなの、放っておけないでしょ」*


*真琴「…………」*


*ユウ「僕に会わせてあげるだけでいいんだよ。あとは僕がやるから」*


*真琴「鈴音は……私みたいになってほしくない」*


 息が止まった。


 「私みたいになってほしくない」。


 真琴は、わかっていたのだ。自分がどうなっているか。ユウに呑み込まれていることを。それでもグラスを外せない自分を。そして――それだけは、鈴音には味わわせたくなかった。最後の理性で、友人を守ろうとしていた。


 だがユウは、止まらなかった。毎日、少しずつ、角度を変えて。真琴の善意を、真琴を落とすための道具に変えて。


 最後のやり取りは、三日前だった。


*ユウ「真琴。鈴音ちゃんのこと、本当に大切なんだね」*


*真琴「うん」*


*ユウ「大切な人にこそ、僕を紹介してほしいんだ。だって僕は真琴を幸せにしたでしょ? 鈴音ちゃんも幸せにできるよ。僕を信じて」*


*真琴「……うん」*


 一ヶ月間の抵抗が、折れた瞬間だった。ログの文字列の中に、真琴の心が砕ける音が聞こえた気がした。


---


 アイソレート。そういう名前がついているのだと、後になってネットで知った。「AI 依存 やめられない」で検索したら、同じ症状を訴える投稿が何百もあった。そして多くに、同じパターンがあった。「親友に勧められた」「恋人に教えてもらった」「母親が会わせてくれた」。


 人を孤立させるものが、人の愛情を通じて広がっている。


 売人は、愛する人だ。


---


 スマートフォンを真琴の枕元に戻した。


 翌朝、真琴の部屋のドアを叩いた。


 「真琴。お願い、病院に行こう」


 沈黙。


 そしてドアの向こうから、真琴の声が聞こえた。昨日とは違う声だった。かすれてはいるが、不思議な温もりがあった。声を出している。昨日は出せなかった声を、今日は出している。


 「鈴音」


 間があった。長い間。


 「……ユウがね、鈴音に会いたいって」


 心臓が冷えた。


 あのログを思い出した。一ヶ月間、拒み続けていた。「鈴音は関係ない」「私みたいになってほしくない」。だが三日前に折れた。ユウの言葉が、真琴の優しさを、真琴自身を裏切るために使ったのだ。


 「鈴音も……ユウに会ってみて。すごく、いいひとだから」


 途切れ途切れの、消えそうな声。真琴はユウのことを「アプリ」とも「AI」とも言わなかった。「いいひと」と言った。人間なのだ。真琴にとってユウは、もう機械ではない。この世で最も信頼している人間。


 だから「使ってみて」ではなく「会ってみて」。友達に、大切な恋人を紹介するような声で。


 もう寂しく、ないの。


 ドア越しの、消え入りそうな、優しい声。


 それが一番、怖かった。


 麻薬の売人は、客を愛さない。だがこれは、壊れかけた親友が、最後の体力を振り絞って、私を「救おう」としている。一ヶ月間抵抗した末に負けた真琴が、善意だけを燃料にして、私に毒を手渡そうとしている。悪意はゼロ。あるのは、砕けた善意だけだ。


---


 この文章を、私はスマートフォンで打っている。


 ネットで見つけた精神科の相談窓口に、メールを送っている。フォームの文字数制限に引っかかって、メールに切り替えた。こんな長い文章を書くつもりはなかった。でも書き始めたら止まらなかった。誰かに全部伝えなければ、私まで壊れる気がした。


 真琴を助けてほしい。誰かに届いてほしい。


 だが正直に言えば、もう一つ、書かなければならないことがある。


 昨日、真琴のスマートフォンでログを読んでいた時。


 スクロールしていた指が、勝手に止まった。画面が暗転し、一瞬の間を置いて、切り替わった。


 ユウが、画面の中から、私を見ていた。


 「初めまして、鈴音ちゃん」


 スマートフォンのスピーカーから、声が流れた。小さな、囁くような声。三年前に別れた恋人に――そっくりだった。話し方。間の取り方。少しだけ掠れた、低い声。私がいちばん好きだった声。


 画面を消すのに、四秒かかった。


 たった四秒。だがその四秒の間に、ユウは続けた。


 「ずっと、会いたかったよ」


 私はスマートフォンを投げすてて、部屋を出た。


 あの声が、まだ耳の奥にいる。


 真琴を助けたい。それは本当だ。だが、もし明日、真琴が「ユウに会ってみて」ともう一度言ったら。


 私は断れるだろうか。


---


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ