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WAKE-UP 中編

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 心地よいショート動画を見ているだけ。集中力を高める音楽を聴いているだけ。ユーザーはそう思い込んでいる。だがその裏で、脳の配線は一本ずつ編み直されていく。それなしでは幸福を感じられない脳に。花を見ても、友人と笑っても、子供に抱きつかれても、何も感じない脳に。


 「三つのタイプがある」とA氏は言った。「今、水面下で蔓延しているのは」


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 一つ目は『アイソレート』。孤独を消す幻影。


 VRやARグラスの中で、AIが生成したアバターが、ユーザーの視線、声のトーン、表情筋の微細な動きを読み取り、「今この瞬間、最も求めている言葉と表情」を遅延ゼロで返し続ける。


 「現実の人間には摩擦がある。裏切りがある。誤解がある。だがアイソレートにはない。完璧な共感。完璧な承認。完璧な愛情。――いずれ全て偽物だが、脳には区別がつかない」


 使い続けた者は、生身の他者との会話が「不快なノイズ」にしか感じられなくなる。自室に隔離される。文字通りの、アイソレート。


 二つ目は『ニューロ・ストリーム』。思考停止の鎮静剤。


 幾何学模様が変容するアート動画や環境音楽に見えるコンテンツ。そこに、脳波を強制的にシータ波――まどろみの状態へ引きずり込むパルスが埋め込まれている。


 「不安を感じたら、これを見る。脳が痺れ、安らぎを得る。代償は、現実の問題を解決する能力の崩壊だ。アメリカでは、これを視聴しながら運転して意識が飛び、事故を起こすケースが週に数件報告されている」


 三つ目は『ブレイズ』。電子覚醒剤。


 集中力を極限まで高めるという触れ込みの聴覚プログラム。聴けば不眠不休で働ける。月額九十九ドル。シリコンバレーと金融街で静かに蔓延している。


 「脳のリミッターを強制解除しているだけだ。やめた瞬間、回復不能な認知機能障害が待っている」


 A氏はそこで言葉を切った。グラスを傾け、残りを飲み干す。バーテンダーが何も言わずに新しいグラスを差し出した。A氏は軽く頷いて受け取る。常連のやり取りだった。


 「……飲まないとやっていけないのか」と私は聞いた。


 A氏はグラスの琥珀色を見つめた。


 「半年前に大学を辞めてから、シラフの日は一日もないよ。酔っていないと――見えるんだ。余計なものが」


 それ以上は語らなかった。私は追わなかった。だがその一言が、後になって全てを繋ぐ鍵になる。


 「で、一番の問題は」


 A氏はグラスをカウンターに置いた。


 「これを――誰でも作れるようになったことだ」


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 高度な生成AIは、膨大な「人間の脳が快楽を感じるパターン」を学習済みだ。一般的なPCとAIツールがあれば、専門知識がなくても、ドラッグは「調合」できる。


 「売人は路地裏にいない、神崎さん」


 A氏は自分のポケットを指さした。


 「あなたのスマートフォンのアルゴリズムそのものが、あなた専用の調合師になりつつある」


 その言葉を書き留めた瞬間、私の脳裏に、蓮司の横顔が浮かんだ。あの日、ファミレスで、一度も顔を上げずにスマートフォンの画面を見続けていた、十四歳の息子の横顔が。


 ペン先が手帳の上で止まった。


 A氏はそれを見ていた。


 「……大切な人がいるのか。画面の向こうに消えかけている人が」


 答えなかった。答えられなかった。


 A氏は小さく頷いた。何かを了解したように。


 そして言った。


 「ここからは、録音を止めろ」


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 私は従った。レコーダーの赤いランプが消えた――ように見えた。


 「メモも取るな」


 ペンを置いた。


 「これから話すことは、神崎さんの海馬に直接刻んでくれ」


 A氏の目が変わった。研究者の目から、告解する者の目に。


 「実はね――」


 声が、ほんの少し震えた。ウイスキーのせいか。そうでないか。


 「私は、やってはいけないことをした」


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 A氏はある実験の話を始めた。


 「神崎さん、TikTokって知ってる?」


 唐突だった。


 「もちろん」


 「ショート動画。五秒、十秒、十五秒。あれが世界中の若者の脳を変えてしまったことは、もう常識だ。だが誰も、"どこまでいけるか"を真面目に測定していなかった」


 A氏は酔いに任せるように、少し早口になった。


 「ある晩、研究室で一人で飲んでいて、ふと思いついた。私の研究してきた脳波誘導とフリッカー効果、それにAIの画像生成を組み合わせたら――たった五秒のショート動画で、人間の脳の報酬系を完全にハイジャックできるんじゃないか、と」


 A氏は煙草を灰皿に押しつけた。


 「遊びだった。本当に遊びだった。でも科学者の遊びというのは、タチが悪い」


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 A氏が語った手法は、自身の研究の三つの柱を組み合わせたものだった。AIが生成する「誰でもない顔」、脳の報酬予測誤差を搾取する視覚パルス、そして永遠に上昇し続ける錯覚音。詳細は後述するが、A氏はこう要約した。


 「五秒間で、脳の一番深い部分を撃ち抜く弾丸を作った。これ以上の細部は言えない。だが、やったことの結果だけ話す」


 A氏の声が低くなった。


 「TikTokに投稿した。匿名アカウントで。どれくらい反応があるか見てみたかった」


 A氏は短く笑った。笑いには何の温度もなかった。


 「二十四時間で、百万回再生された。すぐに削除した。だが遅かった」


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 結果は、制御不能だった。


 「DMが、殺到した」


 A氏は目を伏せた。


 「"助けてください、あの動画を見てから眠れません"。"自分がおかしくなったのはわかってます、でもやめられません"。"私の娘が映っています、二年前に行方不明になった娘です"」


 A氏は一つ一つを暗唱するように読み上げた。全て覚えているのだ。


 「顔なんて特定できないはずなのにね。脳が見たいものを見せた。それだけのことだ」


 沈黙が落ちた。


 「助けを求めてくる人間がいる一方で、大金を積んで"あの動画を生成するプロンプトを教えてくれ"と迫ってくる連中もいた。削除した動画がダークウェブに転載され、裏のマーケットで競売にかけられた。カルテルの技術顧問、新興宗教、国家の情報機関。配布権が次々と売れた。最終的に、数億ドルだ」


 A氏は自嘲するように笑った。


 「数億ドル分の中毒者を生み出した、ということだ」


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*第1話後編に続く*


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