竜は番のために狩りをする
「ああ"?」
彗主は地を這うような低い声を上げた。
獣に襲われないようにと一晩中傍についてやった上に、さっきは濡れた体や服を乾かしてやり、体も温めてやった。
それなのに、この子どもはまだ足りないと言うのだろうか。
なんて手がかかる生き物なんだと、彗主は何だかイラっとした。
大体、この弱っちい体は何なのだ。森に置き去りにすれば、一日と経たぬうちに獣に食い殺されそうだし、ちょっと水に浸かっただけで、寒さに震えあがる。溶岩を持ってきてやったら熱いと泣き喚く気がするし、空からうっかり落としたらそのまま昇するだろう。
ひ弱なだけでなく、要領も何だか悪そうだった。見るからにどんくさそうな顔をしている。
何でこんな面倒くさい生き物を助けてしまったのだろうかと、彗主はちょっと遠い目をした。
因みに竜は大層、頑丈にできている。食事に関しても手間要らずで、基本的に溶岩と水だけで事足りた。
食べようと思えば人と同じような食事もできるし、竜によっては好んで人里に行き、料理を楽しむものもいるようだが、彗主は違う。考え方や行動が極めて保守的な黄金竜であり、食わず嫌いもあって、人間の食べ物を一度も口にした事がなかった。
いや、一つだけ例外があった。人が作った酒である。
幼竜の頃、仲間が一樽持ってきたので皆で飲んでみたのだが、気付けば岩の上にぐでんと伸びていて、頭に大きなたん瘤を作っていた。後で話を聞くと、ものすごく陽気になって狂ったようにそこら中を飛び回った挙句、岩壁に激突して地面に落下したらしい。
真正面から岩にぶつかっていく強者を初めて見たと皆から称えられたが、嬉しくも何ともなかった。
ただあの一件で、酒の飲み過ぎには注意という言葉がしっかりと頭に刻み込まれた。
飲んだら飛ぶな。飛ぶなら飲むな。
この一言に尽きる。
ほどほどの量であれば、酒はそれなりにうまいのだ。頭のねじが一本外れたようになる、あの酩酊感もそう悪くない。
でもまあ、今はその話はどうでも良かった。問題はこいつの食べ物である。腹は立つが、この子どもを空腹のまま放置しておこうという気分にはなれなかった。
「何を食うんだ?」
そう聞くと、ヴィレはうーんと考え込んだ。
「ええっと、パンとかお肉とか……」
言われた彗主は眉間に皴を寄せた。
こんな山奥にパンとやらが転がっている訳はないし、食わせるとしたら肉だろう。
この山には何が生息していたかなと彗主は考え込み、そう言えば確か狼がいた筈だと思い出した。
「お前、狼の肉は食った事あるのか?」
「多分……」
「という事は、食べられるんだな。仕方ない。お前のためにこの俺が狼を仕留めて来てやろう」
彗主は無駄にふんぞり返った。
本当ならばこんな面倒くさい事は死んでもしたくなかったが、竜の本能はこの人間を飢えさせるなと彗主に命じている。
意思の力を振り絞って本能に逆らうよりは、言う通りにしてやった方が余程楽だと彗主は結論付けた。
「ここで待っていろ」
幸運な事に、彗主は人間を伴侶に持つ竜が、動物の腹を裂いて腸を出し、皮を剝いで丸焼きにしているのを見た事があった。
その前に、仕留めたらすぐに喉の辺りを切って逆さづりにしないといけないと言っていたような気もするが、面倒くさいのでその辺は省いてもいいだろう。
竜の姿に戻れば、狩りなど容易い事だった。獲物は難なく手に入り、彗主はすぐさま内蔵を抉り出した。
それから四苦八苦して何とか狼の皮を剥ぐ。やり方がわからなかったので足首の辺りに切り目を入れ、そこから力任せに皮を剥ぎ取った。
が、問題はこの先だ。微妙な火加減など料理をした事もない彗主にわかる筈もなく、思いっきり口から火を噴いたら、そこかしこの枝に火が燃え移って危うく山ごと燃やしそうになった。
慌てて強靭な尾でばしんばしんとそこら中を叩いて火を消し止め、尚も燻ぶっているものは取りあえず川の中に放り込んだ。
慌てまくっていたせいか黒焦げになった狼肉も捨ててしまい、慌ててそれを取りに行く。
その間ヴィレは、川の水をちびちびと飲みながら空腹を何とか紛らわせていた。ヴィレが空腹を訴えてから、すでに二刻以上が経過している。お腹と背中の皮がくっつきそうだった。
「料理してやったぞ。食え」
恩着せがましく差し出されたそれを、ヴィレは何とも言えない目で見つめた。
水っぽい上にあちこちが炭化したそれは、とても人の食べ物には見えない。
けれど、どや顔でこちらを見下ろしている彗主を見ると今更要らないとは言えず、黙ってそれを受け取った。
見たところ、肉にはきちんと火が通っているようだ。ならば食べても問題はないだろう。
お腹が空き切っていたヴィレは、固い肉にかぶりついた。全然美味しいとは思わなかったが、このまま飢え死にするよりはましである。
焦げ臭い癖にものすごい獣臭がするそれは今まで口にした中で一番まずい食べ物だったが、ヴィレは口の中で必死に咀嚼してそれを飲み込んだ。
なかなか噛み切れないそれを何とか飲み下し、ようやく半分くらいを食べたところで、不意にヴィレの胃がきりきりと痛み始めた。
ヴィレは食べるのを止めて、自分のお腹をさすり出した。痛いだけではなく、何だか気分まで悪くなってきた気がする。
じわりと嫌な汗が額に滲んできた。そうこうする内に急激な吐き気が突き上げてきて、ヴィレは這いずるように川縁へと移動した。
川の方に頭を突っ込み、げえげえと吐き始めたヴィレを、彗主は面倒くさそうに眺めていた。
狼の肉に毒はない筈だし、火が通っていたのはヴィレが確認している。そのうち治まるだろうと高を括っていたのだ。
が、腹の中のものを全部出した後もヴィレの嘔吐は治まらず、最後には胃液までも吐き始めた。
もう身を起こしている事もできないのか、ヴィレは岩の上に倒れ込んでゼイゼイと肩で息をしている。
「アンジュ、苦しいよぉ」
泣きながら眞名を呼ばれては放っても置けない。彗主は小さく舌打ちし、ヴィレの傍に腰を下ろした。
「食い過ぎたんじゃないのか?」
他に思い当たる節もなく、そう聞いてみるが、ヴィレはぽろぽろと涙を零して首を振るばかりだ。
痛くて苦しくてそれどころではないのだ。
「助けて……」
彗主は大きく溜め息をついた。さっきまでくるくると元気に笑っていたのに、人の子どもはどうにも訳が分からない。
困り切った彗主は、うろうろとヴィレの周りを歩き始めた。
「おい……、大丈夫か?」
彗主は指の先でヴィレの体をつついてみたが、ヴィレはそれに答えようとせず、ひたすら体を丸めてうーうー唸るばかりだ。
そのうち唸り声もか細くなってきて、こいつ死ぬのか? と流石の彗主も焦り始めた。
「どうすればいいんだ」
元々人間に興味はなかったから、人の病については何もわからない。
誰に助けを求めればいいのだろうと必死に考え、ふと頭に思い浮かんだのは、同じ火口で育った獅枇と言う幼馴染みの事だった。
獅枇は黒竜を父に持つ青竜で、彗主よりも六十歳年上だ。おおらかで面倒見のいい気質をしており、幼竜の頃はこの獅枇の後ろを小さな彗主がよたよたと追いかけて遊んでいたものだ。
とにかくやんちゃで利かん気な彗主を獅枇はうまくあやし、その腕白ぶりを自分も楽しんでいた。そういう意味で相性はとても良かったのだが、ものの見方や信条に関しては両者はまるで正反対だった。
人間を竜族の敵だと毛嫌いしている彗主とは対照的に、獅枇は人間と竜が共存する世界を当たり前のように歓迎した。
年頃になれば、人が住まう里へもちょくちょく遊びに行くようになり、挙句に人間の娘を伴侶として迎え入れたのだ。
「あいつが暮らす隠れ里はここからそれほど遠くなかった筈だ」
隠れ処は人間を伴侶とした竜達が暮らしている場所で、彗主は何度かそこに獅枇を訪ねていった事がある。そして獅枇が人の世界で暮らしていた時、リュート弾きや医家をしていた事を彗主は知っていた。
逡巡したのはほんの僅かな時間だった。
この子どもを放っておいてもいいのだが、自分が食わせた肉で死なれても寝覚めが悪い。
「こんな事であいつを頼るのは気が進まないんが、仕方ない」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、彗主は竜の姿に変化した。
それから自身の魔力でヴィレの身体を包み込み、繭のような結界ごとヴィレの身体を前足で掴み上げる。
眉の中のヴィレはぐったりとして、半分意識を失いかけている。これならば空の上で暴れまわる事もないだろう。
彗主は猛禽類の翼を大きく広げ、前足で掴んだ子どもを落とさぬように気を付けながら、空へと一気に飛び立った。




