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096 その頃、翼島では(2)

 コンコン


 アスベルと、ほとんど入れ替わりのタイミングでドアがノックされる。


「ギースです」

「入れ」


 短い言葉を受けて、木製のドアが開き、リークよりも十歳以上歳上の、大柄な体躯を銀の鎧で包み焦茶の髪をバックに撫で付けた、いかにも騎士然とした男が現れた。


「お探ししましたよ。いつお戻りになられたのですか?」

「? しばらく前に戻っていたが……ああ、兄が部屋に結界を張ったとか言っていたからそのせいだろう」


「それで」と椅子に座り、見ようとしていた机上の書類から自分の副官へと視線を移す。


「お前が焦って私を探すほどの何かがあったのか?」


 ギースは、リークが騎士団に入る前から在籍している古参で、青年に代わって表立って騎士団を動かす事が多い。

それを任せるに価すると、グレオールもアスベルもリークも一目置くほどの人物なのだ。


 それが、いつもは温厚な顔に目に見えて焦りを刻んでいた。


「半月前の南方で起きた地盤沈下の事で指示を仰ぎたいと思いまして」

「あれか。近い内に足を運ぼうと思っていた。

確かリベラより少し西の、カザ山辺りだったか……

だが、沈下による大きな被害は出ていないとの報告だが?」


 ギースが頷く。


「ええ。周辺で小さな地震が起きた程度で、物的にも人的にも今の所は大きな被害はありません。

ですが、現地に向かわせたシルが先程送ってきた映像に妙なものが」

「妙なもの?」


 手渡された水晶を回し、部下から送られて来たと言う画像を浮かび上がらせる。


 ギースが自分を探した理由が直ぐに解った。


 四角い画面の中の山肌。

 地面が巨大な鎚(つち)で叩いたかのようにくっきりとへこみ、その中心に青黒い太い線が引かれていた。

 線の部分を拡大すると、刻まれた物でなく、せり上がった“何か”。


 鉱石状の表面に、わずかに浮かぶ血管の様なもの。


(色こそ違うがこれは……まさか……)


 険しい顔で画像を消し、その手で現地にいる部下への通信を開く。


『はい、こちらシル=マーグナー……って、隊長!?』


 画面向こうの、金髪橙眼の青年が相手の顔を見て驚く。リークは難しい顔のまま用件を切り出した。


「調査任務ご苦労。

少し聞くが、あの青黒いモノは沈下当時はなかったのではないか?」

『はい。昼過ぎに現れて……と言うか、生えて来た感じなんですが』

「触れた者は?」

『実際に近くで調査した者がニ人ほど。

一部を採集しようにも普通の削岩具では歯が立たないみたいなんです。

邪魔な以外、害は無いですけどね』


 シルの答えを聞いてリークは数秒思案する。


『隊長?』

「シル、今から言うことを早急に頼む。

調査を中断し、急いでその場から退避。

山の麓の街から住人を避難させてくれ」

『避難?』


 何故そこまで? と表情に出す部下に「詳しく話している時間が惜しい」と切り返す。 


「とにかく“あれ”はもっと大きくなる可能性が高い。そうなる前に避難させるんだ。いいな!」


 通信を切り椅子から立ち上がったリークは、横から眼で説明を求めてくる副官に、足早に出口へ向かいながら指示を出す。


「今から父の所へ行ってくる。

お前はアスベルへの連絡と、馬の用意を頼む。

エイル隊にもシルの所へ向かうよう伝達してくれ」「あれは一体……殿下にはどう伝えましょうか?」


尋ねてくる声に、少し考えてから答える。

「兄には『門』、エイルには『私の剣と同種の物』の可能性があると伝えろ。


私の杞憂ならばいい。

だがそうでない場合、あれが完全に現れれば、周辺の人間が全滅する可能性がある」


ーーーーーーーーーー


 騎士立寄所から出たアスベルは、すぐに移動法陣の転移で自らの屋敷の庭へと戻っていた。

 普通、身分の高い者の屋敷ともなれば、騎士や近衛によって厳重に護られ、侍従によって手入れや管理がされているものだが、アスベルの屋敷にはそれがない。


 主の不在中はほぼ無人で静まりかえっている。

 あらかじめ入る事を許されているわずかな人間と、ごく稀に呼ばれる庭師などを除いて、門から先に立ち入ることは出来ない。

 珍しいを通り越して、ある種の異質なこの屋敷の在り方は、彼が一般で必要とされている物を不要だと省いたからに他ならなかった。


 扉を開いて地下への階段へと足を進める。


 明かりも点けていない、薄暗い階段を降りながら、アスベルは思い出す。


 キャスグローブ襲撃事件後。

 セリシアの異常には、彼女が帰って報告を受けたときにすぐ気づいたが、それを押し隠すだけの余裕があると判断していつも通り雑務を任せ、父やリークとの話し合いに向かった。


 諸々の処理を終えて帰宅し、ニ日ぶりに会った従者は、中身が別人になっていた。


「貴方が近くに居ると気付いていれば、即追い出したんですけどね……」

『それは、わたしへの恨み言かい?』

「そのつもりです」


 独り言の直後に耳元に響いた姿無き声に、にべにもなく切り返す。


「それ以上に、彼女の不調を甘く見た自分の迂闊さに腹が立ちますが」


 無表情で呟き、階段を降りた先の廊下を歩く。


『風』に体を使われると体内の力の巡りが狂う。

それは宿り主が弱っていればいるほど顕著になる。


 戻った時すでに限界に近かったセリシアは、任された仕事を倒れずこなすために、更に体を痛める事を承知で再び『風』に自分を操るよう頼んだのだ。



(わかっていながら甘く考えたばかりに、彼女の無茶を招いた……)


 一つしかない扉の前に立って軽くため息をつくと、一息に押し開いた。


 暗かった視界が、僅かに明るくなる。


「セリシア」


 返事はない。

 呼ばれた本人は蒼白い光が灯された円形の部屋の、奥に置かれた透明な長方体の箱の中に、インナー姿で横たわっていた。


 見ようによっては棺とも見えるそれに、アスベルの手が触れる。


「そろそろ起きてくれないと、困るんだけどね」


『輝晶籠柩(きしょうこきゅう)か……』

「ええ。怪我ならばともかく、中を復調させる術など、そうそう無いですからね。

これでも未だ目を覚まさないなんて、どれ程無理をしていたのか……」


 輝晶籠柩

 

 現在の月の術の書物には記されていない、遺物のような危険性はないが、失われたものの一つだ。


 アスベルが『風』から得たその術は、月術の元になる宙(ちゅう)の『源』と、構築に必要な膨大な『魔力』の他に、術者の生命力そのものを必要とする。


 素養の低い者が使おうとすれば命を落としかねないが、心臓が止まった者ですら直後であれば蘇生できるほどの、奇跡の治癒術である。


『ずっと疑問だったのだが、この娘はお前にとってただの駒ではないのかな?

人一人助けるために随分大掛かりな治癒術を編んだものだが』

「駒ですよ」


 らしくもないと笑いを含んだ指摘へ返す。


 セリシアから離れ、今はアスベルに憑いている存在が、『おや』と宿り主の返答に対して不思議そうな声を上げた。


 片手で空中に複雑な図形を描きつつ、声に説明するように言葉を紡ぐ。


「彼女がそう望んだ。だから私もそう扱います。

ただ道具の中では失うには惜しいので、救える可能性があれば救うだけの事です」


『飾らないのはいいが、本当にお前は面白みがないね』

「貴方に偽るだけ思考の無駄でしょう?」


 笑いもせずに返し、

「少し黙っていて下さい」と付け足した後、目前に完成した巨大な魔方陣を、灰銀髪の女性が眠る場所へと下ろして行く。



――輝月の光よ四方に、雫よ八重の紋を描き、命を刻む礎を――


 低い詠唱に魔方陣が強い光を放ち、陣の端にいたアスベルから浮き始めた、白い煌めきが中心の立方体へと収束。

 光が消えてすぐ、近づいた男の手が女性の額に触れた。


 この部屋に運び込んだ直後は、死人同然に冷たかった体温が戻っている事を掌から感じとり、アスベルの顔に微笑が戻る。


 額に当てていた手を少し動かして女性の頭を撫でた。


『……先ほどの言葉を訂正するよ。お前はある意味非常に人らしくて面白い。

そして、驚くほど不器用だ』


 笑いを含んだ声が響く。

 アスベルは「自覚していますよ」と少し自嘲ぎみに返した。


「さて」と部屋を出ようと扉を開けた所で、自分の意識中に仮住まいしている存在の変化に気づく。


「レイリス?」

『風』の本来の名を呼ぶが返事はなく、じっと南の方角へと意識を向けている事だけ感じられた。


(……一体何が……)


疑問に思いながら階段を登っている途中で、肩布の下に吊るしている投影水晶が揺れる。


「何の用かな?」

『殿下、リーク様の命により緊急でお伝えしたい事が』


画面向こうの妹の部下は、深刻な表情で早口にそう切り出した。



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