095 その頃、翼島では(1)
夕刻・フェルガリア城。
「やぁリーク、おかえり」
「……何の真似だ」
城周囲の見回りを終えて、騎士立寄所・指令室のドアを開けた青年は、室内の違和感と違和感の元に目尻を上げた。
「何の真似って、少し用があったからここで待っていただけだよ。
ああ、余計な眼を防ぐ為に少しばかり結界は張らせてもらったかな」
しれっと答えて兄・アスベルは、もたれていた棚から背中を離し、足をリークの方へと向ける。
「用とは何だ」
「一つは、これを渡しに」
差し出された男の右手に乗っていたのは、碧色の宝石と細かい模様の刻まれた分厚い金属板が紐に通された物。
「獣人島で壊れただろう?代わりの物を作ってきたのさ。少し遅くなってしまったけどね」
「……確かに使ったが、代わりを頼んだ覚えは無い」
受け取ろうとしない妹に、アスベルは困ったように笑うと斜め前にあるリークの執務机の上に手の中の物を置いた。
「使わざるを得ないほど、不覚を取ったのが悔しいのかい?」
「…………」
静かな問いにリークは答えない。
だが表情は、夕暮れ時のあまり明るくない室内でも分かるほどに苦々しかった。
「使ったことを『甘え』だとでも思ってるような顔だね」
リークは黙って声の主を睨む。怒りの矛先は兄ではないが、見透かされた事に苛立っていた。
あの選択が間違いだったとは今でも思っていない。
しかし治癒珠と宵闇に頼りきった事実と、その無茶が原因で父の怒りを買った事が情けない。
宵闇は自分の向かう方向を決めた。
勿論セイングランドの幻将として国を守る責務はあるが、あの黒髪の青年に借りを返す意味でも、遺物に関わると言う意味でも、出来る限り手を貸そうと思っていたのだ。
それが叶わない現在の状況は、少なからず胸中を蝕んでいる。
そのリークを咎めるでもなく気遣うでもない、何気ない調子でアスベルは言葉を紡ぐ。
「治癒珠は君の剣と同じただの道具だ。使うのはごく当たり前な事なのに何故悔しくなるのか、私には理解できないがね。
付け加えるなら、使える物をわざと一つ減らして己を奮い立たせるのはあまり良い手段とは言えない」
「そんなことはわかっている」
目線を背けて不服げに吐き捨てたリークに、「そうかい?」とアスベルはいつもの薄笑いを浮かべた。
「要らない口を出してしまったかな。
無理強いするつもりはないが、持っていてもらえるとありがたい。
君にもしもの事があれば私が父上に殺されてしまうからね」
「ふん……」
未だ視線を合わせない青年の態度を気に留めず、アスベルはもう一つの用事を切り出すことにした。
「二つ目の、他に漏らしたく無い方の話だけれど……
『風』からの伝言なんだ」
「『風』?」
聞き返してから、そう言えば、セリシアからそいつはアスベルの師と名乗ったと聞いた事。
そしてグレオールへの報告前、姿の無い者を話に入れると混乱を招くと、『風』のことは出さぬよう口止めされた事を思い出す。
(あの時は『後で話す』と言っていたが、それも兼ねてのつもりなのか?)
「奴は何者だ。
体が無いとか言っていたが、そいつの代わりにお前が来たのか?
大した使い走りぶりだな」
「まあね」
アスベルはリークの言葉に苦笑を返した。
「あの人が何者かは、表現に困る。
私の害にならないから、何年来の付き合いがあるがね。
本人に直接会う事は私を含め何人にも出来ない。
仮身を作って、それに憑いてもらうことは可能だが」
しかも、と呆れたとばかりに指を軽く額に当ててため息を吐く。
「それをしようにも、この間の事で、合いもしないセリシアの体に移って、力を使うなんて無理をしたものだから、自力ではまともに動けないらしくてね。
お陰で君の言う通り使い走りだ。
まぁ、事態を収拾してくれた借りを返していると言う表現もある」
風とやらの事情を知らないリークは黙って先を待つ。
「だから、聞いた話だけ伝えておこうと思ったのだけれど、さて、どう言えばいいかな……」
そんな言葉が男の口から漏れる。目線は青年の腰に差された剣に向けられていた。
「一つ確かめたいんだけれど、その剣、あの事件以前と比べて使い勝手が変わったりはしていないかい?」
「? 特に変わりはない」
怪訝な顔をするリークに「変わりがなければいいんだ」と、アスベルは首を振る。
「『風』が言うには、その剣の暴走を抑えるために備わっている機能を、一時的にとは言え外してしまったから、色々と心配だそうなんだ。
使い手と剣の繋がりが強くなりすぎてしまったりするらしい」
「繋がりが強くなる事の何処に不都合がある?」
「……喰われてしまう危険性」
「!!?」
不可解を貼り付けていた青年の顔が一瞬で強ばった。
「不適合者と違って、急激な侵食ではないそうだ。
だが、だからこそ気をつけないと、気づかない内に取り返しの付かない状態になりかねないと言っていた」
「…………」
嘘だと断じて済ます事が出来ない程度には、リークは自分の武器の特殊性を知っていたし、『風』が剣に干渉した所も目の当たりにしていた。
実際に喰われかけた状態だった、朔とか言う黒翼の少女の姿が頭をよぎり、うそ寒さを感じながら自らの腰を見る。
「防ぐ方法はあるのか?」
「使わなければと言いたい所だけれど、無理だろうからね。
己の存在がぶれないように、常に意識し続けることだ。
そうすれば少なくとも、精神は守られる。
幸い、君の得意とする事だろう?」
いつも通りの薄ら笑いで訊ねられ、リークが憮然として返した。
「否定はせんが、お前に笑って言われると馬鹿にされた気分になる」
「うーん、馬鹿にしているつもりはないんだがね」
苦笑して、用は済んだと出入口のドアへと足を向けるアスベルに、すれ違いざまリークの方から声をかけた。
「あの事以来お前の副官を見ないが、体調でも崩したのか?」
「………………まぁ、色々と無理をさせてしまったからね。
しばらく休暇を取ってもらう事にしたのさ」
ドアノブを握ったまま、振り向きもせず答えた兄の声音に、リークは微かに違和感を覚えたが、それ以上詳しく聞こうとまでは思わなかった。




