叱咤
少し視線を上に向けると雲の渦もなくなり、そこにはただ青空と温かい日の光。
少し荒れた足下の茶色の大地。
先に見える緑の森と谷底から聞こえる川の音。
今までの事が嘘のように、平穏だった。
セリシアの眼の前でディーラとリークが起き上がる。
互いが無事なことにほっとした顔が同時に少しだけ沈んだ。
「リーク様、そのお姿はその……」
「見ての通りだ。
お前の好意を知っていながら……言えなかった」
「すまない」と言おうとした口に、ディーラが指を当てる。
「わたくしを助けるために、言えなかった事を明かして下さったのです。
まだ割り切れていませんが……また訳をお話しくださいね」
悲しそうに笑う娘に、少女は黙って頭を下げた。
「嬢――!」
「リーク様――っ!」
駆け付けてきたらしいラジムとグルムの声を遠くに聞きながら、セリシアは自分の後ろを振り返る。
「宵闇殿」
返事はない。
あの『門』らしきものからディーラを助けるのに精一杯だったリークを、黒翼の少女が放置するとは思えない。
それを阻止したのが誰なのかは明らかだ。
青年は、茫然として座り込み、少女の服の一部だったとおぼしき布を腕に引っ掻けていた。
「嬢さまーっ!……あれ?」
「嬢!リーク殿!ご無事で!」
森の奥から現れた数人の仲間の方をディーラが見る。
「皆、わたくしが戻るのを待つようにと伝えたでしょう?」
「空の不穏が消えたので参ったのです。
ケガ人も大分動けるようになって、他の群にも助けに回っとります。
嬢の足手まといはいかんが、そろそろ隠れている事に耐えられん者も出てきましたんでな」
ラジムは答えて辺りを見回す。
「それで奴はどこに?」
訊ねた大男の言葉ではっとしたディーラとリークも宵闇の方を向く。
賑やかだったのが一気に静まりかえった。
座り込んだ青年は、依然としてその姿勢のまま動かない。普通を取り戻した風景の中で、そこだけが異質だった。
「ディーラ」
眼をふせて、リークはディーラへと声をかける。
「皆をつれて先に群へ帰ってくれないか?
後で行く」
「わかりましたわ」
明るい茶髪が靡き、仲間へと向き直ったディーラの声が響く。
「詳しい事は群に残っている者達も交えて話します。先に戻りましょう」
リークや宵闇の様子を言及する者はいなかった。
グルムだけは何か言いかけたが、ディーラが少年の肩を叩いて首を振り、その場を離れるように促す。
集団から少し離れるようにしながらセリシアも獣人達について行く。
少し歩いた後で一度振り返った時には、まだ2人とも動かないままだった。
「いつまでそうしている?」
ディーラ達の姿が見えなくなった頃合いでリークの口が動く。
返事が無いことに、苛立つったようにその原因を睨んだ。
「お前がそこで行き倒れるつもりでも、私はお前を引き摺ってでも翼島に連れて帰るぞ」
言いながら青年の眼の前まで近づいた少女は、先程より軽くなった白い剣を地面に突き立てる。
間を置かずに発動された破砕は、青年ではなく少女の近くで発動した。
「な……」
眼の前で飛ぶ赤い雫に始めて宵闇が顔を上げる。
構わずにリークは下手をすれば怪我では済まない場所で白い欠片を舞わせた。
「止めろって!何やってんだよ!!」
「奴を倒した事を後悔しているのだろう?
後悔の元をたどればこう言う事だ」
跳ねるように立ち上がってリークの肩を掴んだ宵闇が、少女の言葉で再度固まった。
「悪ぃ……」
それだけ絞り出して再び座り込む。
「そんなつもりじゃなかった……」
片手で落ちた布を握りながら、わずかに顔を崖の方へと向ける。
「ここから落ちた時みたいに、必死で。
でも俺、それであいつが死ぬなんて結果も考えて無かったんだ。
殺しちまうつもりなんか……でも、すっげぇあっけなくて」
青年の肩が震えていた。立っているリークからは俯いたその表情が分からないが、涙を流さずに泣いているようにも見えた。
訥々と、言葉が続く。
「喰われてたからなのか、泥みたいに崩れて消えちまったんだ。
謝りも、出来なかった。
あいつ、すげえ俺の事恨んでてさ、俺がそうさせたのかって……だとしたらこの島が襲われたのも全部――」
「それはお前の勝手な推測だろう」
宵闇の独白を遮り、はっきりとアルトの声が響いた。
「私は今回随分とお前に世話になったと思っているのだがな。
この島でだけでも、谷に落ちた時と泉での時とさっき。三回だ。
まだ会っても一ヶ月も経たん人間を、咄嗟に助けた事は驚嘆に値する。
青毛あたりがお前の立場なら、間違いなく私は今ここで立ててはいない」
しゃがみ込んだ少女の腕が青年の胸ぐらをつかむ。
意志の強い翡翠の瞳に正面から見据えられ、月の瞳が見開かれた。
「奴に何を謝るつもりだったんだ?
私を助けようとした事を奴に謝るなら、私はお前を軽蔑する。
殺してしまった事を詫びたとしても、『そんな気は無かった』などどこまでも言い訳だ。
お前が動かず何かの奇跡で奴の凶手から助かったとしたなら、ディーラか私かセリシアか、誰かが奴と片を付けていた。あるいは奴が自滅していたかもしれん。
そうなっていてもお前は『助けられなかった』と悔やむつもりか?それともまさか自分が手を下さなかったからと安心でもするつもりだったのか?
傲慢と優柔不断も大概にしろ!!」
一気に言い放って掴んでいた青年の服から乱暴に手を離すと、リークは立ち上がって背を向けた。
「後悔が悪いとは言わん。
だがお前が何の為にここへ来たのか、何の為に動いているのか思い出せ」
去って行く背を暫く見つめ、宵闇は一度顔を伏せる。
「今動いている理由……」
(何でこうなった?)
繰り返される自問。
片手で頭をガシガシと乱暴に掻き、青年は地面から腰を浮かせた。




