105 同刻・翼島
同時刻、翼島・カザ地方。
「大部隊を動かせる移動塔が必要だと、こう言う時に常々思うのだが?」
部下達が待っている予定の小さな村にほど近い林の泉、白い愛馬から降りたリークが愚痴をこぼす。
カザは翼島南部の中ではまだフェルガリアから近い方だが、それでも馬だとほぼ無休でも半日かかる。
近くのリベラまで移動塔で動ければいいのだが、個人から数人を一度の移動容量として設計されている移動塔に、二個中隊とその乗用馬を短時間で運べる程の機能は無い。
今回ぐらいの移動距離なら、人々の移動塔使用を制限し、容量ごとに人と馬と物資をちまちまと転移させるよりは、馬に人が乗って物資を牽引した方が早いし効率的だ。
騎士長を兼務しているリークにとって、少々頭の痛い問題だった。
言葉の向けた相手、後ろで同じように焦げ茶色の馬から降りた男は手綱を握ったまま苦笑する。
いつもの法衣ではなく、動きやすさを重視して、白鋼の軽装鎧に短い布と防御術を込めた銀の鎖を組み合わせたような、騎士団の術士用装備をしている。
「私もその意見に異論はないし上申もしているんだが、費用が問題でね。
陛下はそこまでの必要性を感じておられないらしい」
「陛下、か……」
いつもと変わらぬ態度の、しかし本当ならこの場に居ることが非常に珍しい兄の言葉に、リークは少々複雑な気分になった。
昨晩の事を思い出す。
「カザに現れたその妙な石が危険な物かもしれんと、そう言うのだな?」
「はい。
私はキャスグローブでアレと似た物に危うく呑み込まれかけました。
早急に壊さねば、周囲に大規模な被害が出かねません」
フェルガリア城、グレオールの執務室に一家が揃っていた。
机に座った初老の、この部屋の主の口がへの字に歪む。
「エレーナ、お前は何か解るか?」
机の横に控えるように立っていた、類稀な月術素養を持つ年配の女性は首を振る。
「遠いのではっきりとは……ですが少し読みにくくはありますので何も無い事もないのではと思います」
「わかった」
グレオールはゆっくりと瞬きをし、リークを真っ直ぐに見た。
「それがフラグメントに関わる物ならばお前が行かぬ訳にはいくまい。
急ぎその害になりうる物を消して来なさい」
「はい」
青年は父に深く頭を下げる。
「それから、アスベルも連れて行け」
「!」
その言葉に思わず自分の方を見た妹に少し視線を向けた後、すぐに前を向きアスベルは黙って頷いた。
「お言葉ですが父上、兄はこの島の守護結界を維持して……」
アスベルは普段滅多にフェルガリアから出る事がない。
文官としての仕事が多忙だと言うこともあるが、最たる理由はこの男が島を囲む様に大規模に編んでいる『守護』の維持が一つ所に留まっていないと難しいからだった。
それをワザワザ外に出す事は無いのではと言う娘の意見をグレオールは一蹴する。
「それはエレーナでも出来る事だ。
お前の部下どもでも盾にはなるだろうが、こやつの方が術は使えよう?」
リークの言を遮り、グレオールはアスベルへと顔を向ける。
「わかっているな?
お前はリークが無事に戻ってくる為の盾だ。
それ以下の働きは許さん」
「はい」
いつもと変わらない微笑で父に頭を下げる兄を、リークは黙って見つめた。
馬に泉の水を飲ませていたアスベルが、自分を凝視する視線に不思議そうに首を傾げる。
「私の顔に何か付いているかい?」
「いつも通りの胡散臭い顔が貼りついている」
妹の言葉に兄は「酷いね」と笑った。それがまたリークの勘に触る。
「お前がそんな態度だから、父上もああなのではないか?」
グレオールは娘にも厳しいが、幻将の役目を「責務」だとは言っても、リークを「その為の道具」呼ばわりした事は無かった。少なくとも本人を前にして言ったことは無い。
だがアスベルに対しては、人を人とも思わないようなあの言葉。
相手が性格の合わない兄にであっても、言い方には納得いかなかった。
苛立ち紛れ、八つ当たりの様に少し離れた場所に立つ男を睨みつけ吐き捨てた。
「お前はずっと、父の言う道具でいるつもりか?
もう少しプライドを持ったらどうだ」
「ああ、プライドか」
さもたった今その事に思い至ったかの如く、男はしれっと宙を見上げる。
「そんなものに必要性を感じないだけさ。
他人の物言い、他人の感情など、基本的にどうでも良い物だからね。
無闇に父の気分を害しても私の得になる事は一つもない。
むしろ今回は命令のお陰で堂々と首都の外へと出歩けているんだ。
こんな機会はあまり無いから嬉しいよ」
「…………」
(父を「他人」、物言いや感情などどうでもいい、か。こちらもこちらだな)
同じような環境で育った筈のこの男が、なぜこのような神経を持つに至ったのかリークには甚だ疑問だった。
八つも歳が離れているため本当に幼かった頃など解らないが、リークが物心ついた頃にはすでにこうだった様に思う。
うっすら笑いながら平然と他者を脅迫し追い込んだり、幻将に就いていた時など結果の為に部下何人に無理を強いろうが表情一つ変えなかった。
冷徹さの半面、怒りを顕にした所など見たことがなく、言葉使いや素行等には驚くほど寛容だ。
リーク自身が父やたまに会う貴族より、身分差などに頓着しないのにも少なからず影響しているだろう。
無理矢理良い方に捉えるならば、やたらと気が長いと言う事になるのだろうが、ここまで極端だと感情が無いのかと疑いたくなる。そのくせどうでもいい筈の他人の機微に妙に鋭い。
不機嫌そうなリークを見て、アスベルは少しだけ苦笑いした。
「父が私を君の盾だと指した事に怒ってくれているのは解ったが、気にする様な事じゃないよ」
「お前が毎日ヘラヘラしている理由が解らない。
複雑怪奇な兄を持った私の身にもなれ!」
自分の口から出たのも充分暴言だったがリークは言葉を選ぶ気にはなれず、口から出たのはいつも通りの刺々しい言葉。
八つ当たりにも、その兄は「複雑怪奇は初めて言われたね」と変わらぬ微笑で返した。
その顔がふと変化する。
視線をこれから向かう方へと向け、数秒そうした後わずかに目を細めてアスベルは低く「リーク」と名を呼んだ。
「そろそろ出発しよう。
どうやら、急いだ方が良さそうだ」




