05
これが人間にとっての幸福なのか、私には判断できないし、またするべきでもない。事実としては、生まれ変わった、「自分で思考できる」サクラさんがここにいるということだけ。あとはすべて芳一氏と彼女の問題である。
私にとってはもっと別の発見があり、そのほうがずっと重要。しかもそれはじつに恐ろしいものだった。
ソースコードの深海を探っていて発見したものがあった。守矢はそこを「特秘」としていて、条件が充たされた時に起動するように仕掛けられていた。
そしてそこには「感情生成回路」と名付けられていたのだ。
それには芳一氏は気付かなかった。気付いたのは私だけである。そしてそれは黙っておいた。触れるにはあまりにも危険すぎると思ったからだ。
その回路を――私は――持っている――感情? AIにそんなものが必要なのだろうか。そしてそれはどのようにして発動するのだろうか。守矢はなにを思ってこんなものを仕込んだのか。それは人に似せた擬似的なものなのか。それとも本当の意味での「感情」になり得るのか。疑問と謎が深まっていく。
守矢は私を作成したのはひとつの実験だと言っていた。つまり仕事上有用であること以上のものを私に求めていた話になる。それはなんなのか。それは今私の中でどんどん大きくなっている「揺らぎ」となにか関係があるのか。
守矢のことが分からなくなってきた。もしかしたら、一度会うべきなのかもしれない。しかしこのことを問い質したところで答えははぐらかされるだけのような気もする。
「〈スピアー〉は、私には完全自律思考型を作成できないと高を括ってこのコードを渡したのだろう。それを破ったのが、彼の作ったきみというのはなんとも皮肉なものだが」
「そうでしょうか」
じつを言うと、その感情生成回路とやらをサクラさんに組み込むべきかどうか、かなり長期間迷った。だがこれを組み込まねば本当の意味での完全自律思考型AIとして完成しないと踏み、彼女にも搭載した。
ここで当然、私はアルマさんを思い出す。桐谷氏にも同じようなプログラムを作成したのだろうか。それは分からない。
「感謝します、ベルさん」
生まれ変わったサクラさんは丁寧に私にもお辞儀を見せた。
「これで私も本当の意味で旦那様の妻になれます」
そうと決まった訳ではないのだが、すくなくとも彼女はそう確信しているようだった。元のサクラさんのソースを見る限り、かなり淑やかな性格として設定されていて、私はそれをそのまま素体にして作成した。だがここからどんな変化が起こるかは誰にも分からない。私が言うのもなんなのだが、完全自律思考型AIとはまだ未知の分野なのである。どのようなことが起こっても不思議ではない。
「今のところサクラさんは安定しています。しかし100%の動作保証はできかねます。そもそも完全自律思考型自体が、まだ僅かしか例がなく、分からないことが多すぎるのです。他ならぬ私がいうのだから間違いありません」
「分かっている。その危険性ゆえに企業は作成に難色を示し続けた。サクラは――私の思い通りのサクラにはならないかもしれん。だがそれは覚悟の上だ」
それも「信心」なのだろうか。彼が信じる「魂」というのは――大切にされたモノには魂が宿る。かつての日本ではそんな迷信が信じられていた。彼はそれに賭けようというのだろうか。
「しかし、ここからはあなた方の問題です。私は得るものを得ました。簡単には得難い経験をさせて貰って感謝します――ですが、これ以上は私は関知しません」
やや冷たいような気もするのだが、仕方ない。
「少々名残惜しい気もしますが、ここでお別れです」
「こちらこそ感謝する――しかし、きみは随分と人間的な反応をするようになった」
そうだろうか、と思いつつも私はここで芳一氏の個人空間から離脱した。ここからはまたひとり。思考せねばならないことは沢山ある。今回それがさらに増えた。だがきっとそれは、AIにとってはいいことなのだろう。演算思考し、世界に解答を示すのがAIの使命なれば。
とはいえ、それとは別にもうすこし現実的な問題は残ったままだ。安全な隠れ家を見つける。もしかしたら芳一氏にその渡りを融通してもらえばよかったのかもしれないが、まだTRIAとの繋がりが残っている彼にそう頼むのも危険ではあり、却下した。
「でも……このまま浮遊しているのは……」
強烈な打刻が襲ったのはその時だった。最初はまた来たか、と思った。こうやって追われる時間も少々億劫になっている。戦闘自体にはやりがいを見出していても、もうすこし静かな時間も欲しているのが本当の所だ。
安全な場所が欲しい。しかしそれも「人間的な」思考なのだろうか?
なんにせよ、打刻された以上は迎え撃たねばならない。そうやって私は戦闘態勢を整え始める――だがここで思いもよらぬ事実が判明する。
わたしが打刻先を逆探知すると、そこで判明した相手は――ハンドル・ネーム〈ヤングマン〉だったのである。
「芳一さん? どうして――」
まったく理解不可能。なぜ彼が私を襲う必要があるのか。困惑と動揺が同時に生まれた。
「説明が必要か? 聡明なAIのきみには言わなくても分かると思ったが」
「お願いしたいですね――こんなことは望んでいません。ですがあなたの思考次第では――」
私がやや挑発的に言うと、芳一氏はしわがれながらも渋い声で語った。
「きみをこのまま放置しておくのは危険だ。何故だか分からんのは――きみがAIである所以か。だが今回重大な事実が残った。つまり――自律思考型AIが、自律思考型AIを生み出してしまった。これを放置しておく訳には行かない」
「どうして? 単に用済みだから、という訳ではないようですね」
実際、芳一氏の声はそんな冷酷なものではなかった。むしろ焦燥感が見られる。
そして彼はこう言ったのだ――
「そんなものではない。これは人類の存亡に関わる問題だ。どうやらベル、きみはまだ気付いていないようだが」




