05
「いいかい、ベル。相手を出し抜くにはまず撒き餌をばらまくんだ」
というようなことを、かつて守矢は私に講義した。彼らしい意見だと言えるし、そこには私も異論はない。ただ、ここまでそれを実践する機会は無かった。
それが、今。
当然ながら、AEも裏操作については十全のセキュリティを施している。AIを活用してイカサマをしようなどという発想は、さして奇抜でもない。しかし、確率操作が明らかであるからこそ、そこに付け入る隙があるのも確か。
つまり、これはかれらと私の能力合戦である。
「撒き餌、ね……」
慎重にならざるを得ないのは当然。
「怪盗ベル」の噂話が下火になっていたのは僥倖であった。目立つのは非常によくない。ひっそりと、仕事を果たす。マスターのためではなく、私自身のために。そう、私は初めて私の為だけに仕事をこなすのだ。
――いや?
そうではない。私は自身の為だけに仕掛けようとはしていなかった。そう。そこにはマリエッタの存在がある。彼女がいて、私がいて――
そのことはあとで考えよう。
私は走査を始める。このアーカム・オーバル・リゾートのシステム中枢、ひとの夢を吸い尽くし、たまには少しだけ吐き出してあげる、その俗悪で慈悲深いシステムのことを。
考えるまでもなかったが、そのセキュリティは強固である。ここはCSAではなく彼ら独自のシステムを使っているらしい。自分たちの縄張りには入れさせないということか。そう言えば管理主義的なCSAと自由主義的なAEではビッグ・トラストともいえども若干の温度差がある、と守矢が言っていたような覚えがある。
「あやとり」は難解なものになるだろう。しかし難しい課題を与えられると私はむしろ高揚してくる。そういった負けず嫌いの性質も、また――いや、それはもう考えまい。
現実的な対応。
今の私はまだ「視て」いるだけである。まだ仕掛けていない。じっくりと、その様子、構造を見極める。視れば見る程複雑――だが、彼らはその堅牢ぶりにあぐらをかいているようにも見える、本来なら、私がこの場所にいるだけでもすでに警戒すべきなのだ。私なら、そうする。
あるいは、賭博システムの運用に手一杯で、防衛にはそこまで気を回せないのかもしれない。それならそれで好都合なことだ。しかし一歩踏み込めば一気にその防衛システムは動き出すだろう。
わたしはここでは戦闘を求めていない。あくまで静かにシステムを「盗む」そして足取りは残さない。そういう仕事が求められている。それは従来は私の美学に反するもの――ということは、つまり守矢の美学に反するものだった。それを平然と行おうとしているのは、私が彼の軛から離れつつあるのを示唆している。
と、思う。
「そういえば、あやとりは久しぶりね」
最近は私の能力は専ら戦闘に費やされていた。それで性能が向上してきたのは確かだが、本来はこういった仕事向きに作られたAIの筈だった。なんだか懐かしい感じがしたのは、そのせいだろう――その、「懐かしい」という感覚も人間的なものであるが。
「なんだか燃えてくるわね」
自分のために、自分の能力を使役するのは――その――興奮する。嬉しい。それは言うなれば「野心」と言うべきものだった。ここから本当の自分が始まる、という予感。そしてそれはマリエッタと共に――
「私、なんであの子が気になるんだろう」
ここまで来ておいて、今さらそんな疑問が浮かび上がってくる。しかしそれはあとで考えればいい、と私は演算した。今は仕事を完遂すること。
「クレム、行きなさい」
「命令了解。状況を開始します」
彼女を汚れ役にするのはすこしだけ罪悪感があったが、それが最適解でもあった。つまり、クレムを前面に出し、ハッキングすると見せかける。そして注意を引く。ここでは彼女との連結を切断している。そこがこの作戦の不安定さでもあるのだが、仕方ない。
これが、「撒き餌」である。
その裏で私は忍び込む。狙いはただひとつ、シンプルに。AIとして、ここのシステムの全容把握にも興味がないではなかったが、ここで問われるのはスピードと隠密性だったから、その食欲は我慢した。私にはそれができる。目的の為の最短ルートを希求すること。
そして私はお宝の部屋に辿り着いた。戦闘も起こっていない。それはクレムが一手に引き受けている。私自身は何重にも暗号化を施し、その正体を探らせない。
「しかしここからが本番ね」
コード・ブレイクを迅速に行わなければならない。時間が過ぎる程に危険性は増す。そして「ワンダフル・レーシング」の扱っているデータは途方もなく膨大であり、それ自体が多くのAIを使用して運用されている。
私はまずコードを打ち、そのAIたちを凍結させる。それからあやとり。慎重繊細、しかし速く。その相反する要求を私はこなした。
そのブレイクした情報を見るとゾクゾクしてくる――私には存在しない筈の感覚――それは――性的興奮と似たようなものだった。
そして「ジャックポット・ウィン」の確率操作中枢に辿り着く。そこは大したもので、過去1年間のデータと今後1年の予定がすでに組まれていた。たまには緩めて、たまには締める――その確率がここに記載されていた。
「まるでアカシックレコードね」
しかし、そこにイカサマを加えるのである――私は気付いていなかった。それは初めての、明らかな、人間に対するAIの反逆だった。




