06
私は仕事をやりおおせ、まんまと逃げおおせた。まだ気付かれていない。上手く行きすぎて怖いくらいだ。クレムの回収も終わって、私は何食わぬ顔をしてマリエッタのところに戻る。じつに怪盗的ではないか。見事な「盗み」だったと自画自賛する。ここまで美しい仕掛けが出来たのも初めてかもしれない。それだけ私も成長しているということなのだろうか。
「本日の『ジャックポット・ウィン』――的中票数は、1票!」
場内にそのアナウンスが響くと、おおきなどよめきが起こった。そしてどよめきは大きな怒号へと容易に変貌した。「どいつが当てたんだ!」「ヤラセだ、ヤラセだ!」「ふざけんな!」といった(主に男性の)声がそこかしこで聴こえる。私はそれを耳にしながら、澄ました顔でマリエッタを見た。彼女はすこし怯えているようだった。
「ほ、ほんとうにいいのかな」
私が不正を行ったのは当然マリエッタも知っている。もしそれがバレたら――いや、バレなくてもその夢馬券を持っているのが自分だと知れたら恐ろしいことになるのではないか。そういった心配だろう。しかし彼女は彼女で仕事を果たした。私が指定した通りの馬番をちゃんと買っていた。
「バレない? バレない?」
「大丈夫。私の隠蔽工作は完璧だわ」
とはいえ、あとから捜査される可能性はある。となると早く換金して追われる前に高飛び、といきたいところである。ちなみにこの為に私はCSAを欺くための偽装口座も作った。マリエッタ名義になっている。
ここにあるのは不幸でいたいけな少女が、奇跡の夢をつかんだ物語――それだけである。そこに私の影は見せてはいけない。
「ででで、でも、こんなお金――どうしよう、どうしよう」
やることは最初から分かっていた筈なのだが、いざそれが現実になると――そしてそこにあるのは非現実的な大金――眩暈がしてくるのだろう。それは人間的な、特にマリエッタのような純朴な少女であれば当然の反応だった。
平然としている私が狂っているのだ。それが完全自律思考型AIと言われると――確かにそうなのかもしれない。
「このお金が、私たちの未来を作るのよ。どん底の生活からはこれでおさらば、って訳」
「うーん」
〈ジャンクヤード〉に戻るとマリエッタもすこし落ち着いたようだった。元々がノンビリした性格の子だから、そういった適応も早い。
しかしながら、これからどうしようという問題もあるにはある。もう〈ジャンクヤード〉に居続ける理由もなくなる。どこか僻地――NNS世界にそういった場所があるのかどうかは疑問だが――にでも家を移して、そして左団扇でマリエッタと一緒に、ずっと――
ずっと?
ここで改めて振り返ると、どうして私はマリエッタにここまで肩入れしているのかよく分からなくなる。一生を共にしてもいい――とまで思っているのがなんだかおかしい。可哀想だから? 確かにそれはあるかもしれない。しかし私にはひとに情愛を注ぐ機能はなかった筈だ。論理的な解答が見出せない――私のようなAIにとって、それは気持ちの悪いものでもあった。
「でも本当にいいのかなあ。ズルしてみんなから巻き上げたお金なんでしょ」
「これまで虐げられてきたんだから、それくらいの仕返しはしていいの。それに巻き上げたんじゃなくて元々ドブに捨てたマネーのようなものなのだから、気に病む必要はどこにもないわ」
「うーん、うーん」
マリエッタは優しい子なのだろう。こんな境遇でも他のひとのことを考えられる。それは極めて美しい魂。こんな汚泥の底でそんな輝いた珠があったなんて、信じられないほどだった。
私はそれに惹かれているのだろうか?
「大丈夫。これからは私がマリエッタを守ってあげる。なにがあってもね」
マリエッタはぽかんとした顔を見せた。
「やっぱりベルはAIっぽくないな」
「そうかしら――そうかもしれないわね」
この世界にごくわずかしか存在せず、またその歴史もない完全自律思考型AI。その変容は誰にも分からないのだろう。私自身が推論できないのだから、誰にも出来ない筈だ。もしかしたら守矢はある程度計算していたのかもしれない。それでも私が自分の手から離れたのは想定外だったのではないか。
「ねえ、ベルはどうしてあたしにここまでよくしてくれるの?」
それは私が訊きたい――と言いたいところだが、マリエッタにそんな疑問をぶつけても仕方がない。自分で考えるべきこと――そして――
そして、私が不意に出した答えは、自分でも驚愕すべきものだった。
「……愛、かな」
言ってから、そんな馬鹿なと思った。なにか重大なバグが発生したのではないかと思った。しかし走査してもそれは見当たらない。至って正常――いや、どこかがちょっとだけ熱い。どこかがどこかは分からないのだが。
「あ、あい?」
「……うん」
マリエッタはすこしどぎまぎしているようだった。愛に、慣れていないのだろう。しかし慣れていないと言えば私のほうがそうなのだ。
その愛、とやらが、ただデジタルデータが攻勢したものに過ぎないのか、それとももっと偉大ななにかがあるのか――そして私が人間に近付いているのか、桐谷氏とアルマさんがあの時提示した課題、AIが心を持ち得るのか。持ったとして、それがこの世界にどのような変化をもたらすのか――
マリエッタは、私にとっての一つの「鍵」になるのかもしれない。




