395.樹竜集落地・森人の里ナヴィア
「おお、人間。今日もしぼられてるのか」
「こんばんは、オロメノさん。はい、毎日付き合ってもらってます」
「早く帰れよ。その恰好はちょいとな。日々を糧に」
「ありがとうございます。日々を糧に」
その頃カナタはというと――服をボロボロにしながら、森人に挨拶をしていた。
天まで伸びようかという樹木が並び、その樹木から伸びている太い枝の上を道としてカナタは歩く。
爽やかな風が火照った頬を撫で、歯の間から降り注ぐ橙色の光は一日の終わりを鳴らす鐘のよう。
太い枝と蔓が絡み合い、空中に架かる道となる様は未来的というべきか、それとも原始的というべきなのか。
木の上と洞には家が作られ、自然と魔術の術式が組み込まれている。夜が近くなったのを感知して、術式も光りだす。
その家々に帰っていくのは人間よりも悠久を生きる耳の長い森人達。
カナタを見るその視線には友好と嫌悪が混じる。嫌悪のほうがやや優勢か。
「人間、今日もボロボロだな」
「……ちっ」
「人間にはやはり、我らの魔術は難しいか? まぁ、気にするな。百年もあれば追いつけるさ。おっと、人間はそこまで生きられないか。失礼失礼」
自然が刻む途方もない時間の上に築かれた壮麗なる世界。
人間では決して作り上げることのできない森の都。
寿命の価値観と文化の違いはカナタに疎外感をもたらすが、森人から向けられる見知った感情にカナタは安堵する。
心配も、嫌悪も、蔑みも、どれもこれも知っている。
自分が別世界に来たのではなく、同じ世界にいるという安心がカナタの笑顔を絶やさせない。
「俺の名前はカナタですよ、皆さん」
魔界――樹竜集落地・森人の里ナヴィア。
その場所でカナタは今日も生きている。
片目を失ってなお、その目は変わらず真っ直ぐに。
「名前などどうでもいい。神聖なこの地でその恰好は人間でなくともいただけん」
「そこに関してはぐうの音も出ないな……」
上半身は裸で、かろうじて着れている焦げた腰布と蔓の靴というとんちきな恰好で。
「おかえりなさいカナタ……きゃあ!」
「ただいま、ルミナ」
カナタが帰ってきたのは、客人用に用意されている樹木の洞。
同じく竜に攫われたルミナが、すっかり慣れた森人の装いで出迎えてくれた。
人間の服でいうチュニックのような服装で、葉で織ったかのような若緑の装いもあいまって彼女が持つ銀髪の高貴さを映えさせる。
カナタの服も同様の素材のようだが、ルミナとは違って今はぼろ布にしか見えない。
上が裸のまま帰ってきたカナタを見て、ルミナは頬を赤らめて顔を覆う。
「あ、ごめん……」
「き、着替えを取ってきますね!」
「ああ、ありがとうルミナ」
葉で作られたカーテンの向こうに、ルミナはぱたぱたと小走りで走っていく。
洞の中は、外から見なければ樹木の中とは思えないほど人間の部屋と酷似している。
どんな技術か見当もつかない葉の絨毯が敷かれており、その上にはテーブルと椅子。
窓にはガラスとは違う透明な素材がはめ込まれていて、夕暮れの日差しが差し込んで夜の訪れを予告している。
壁には部屋を照らすランプが付いていて、ないのは暖炉くらいなものだった。
それよりも不思議なのは、ここまで自然を利用しているにもかかわらず虫がいない。
カナタとルミナも最初は不思議がっていたが、今では当たり前のように受け入れてしまっていた。
「おや、帰ってたんだね人間」
「よう、人間」
「ケルヴァンさん、オーロリアさん、こんばんは」
葉で作られたカーテンの向こう側から、今度は男女の森人が顔を覗かせた。
二人はカナタとルミナの見張り役として付いている森人だ。どちらも緑色の髪で、瞳は灰色に近い。他の森人もほとんど同じなので、民族としての特徴なのだろう。
人間換算で言うとカナタやルミナと同い年くらいらしいが、実年齢は当然はるか上。
それでも、体格や雰囲気が同じくらいの人物が見張り役に選ばれたのはカナタとルミナとしても、気が楽だった。
カナタが不在の時は、こうして二人がルミナを見張る……という名目でここでの文化や生活を教えている。
「はっはっは! あんたの服、かろうじて大事なとこが隠れてるだけじゃない! あはははは! 今日もやられたの?」
「ああ、ほんとに器用だよ森人達は」
カナタの格好を見たオーロリアが、噴き出すように笑う。
見張り役ではあるものの、二人は若い森人なためか人間に対して何とも思っていないようで、外の森人達の視線のような嫌味や蔑みは感じない。
「今日も、“守護者”達にあしらわれたか?」
「ああ、今日は火に水、それと風だ」
「くく、服が焦げてるのは火のせいか」
ケルヴァンはカナタの風貌を上から下まで見て、からかうように笑う。
「そうだよ、ここは森人の神聖な地じゃないのか? あやうくフルチンになるとこだぞ」
「そうなったら、むしろ斬首されるのは人間のほうさ」
「理不尽だよまったく……まぁ、俺に付き合ってくれてる手前、強くは言えないが」
「あっはっは! やめて! お腹痛いよー!」
オーロリアが涙を浮かべて笑う中、ルミナが服を持って戻ってくる。
「どうぞ、カナタ」
「ありがとう」
ルミナはカナタを直視できないのか、真っ赤になりながら視線を逸らす。
しかし、ちらちらとばれないようにカナタの胸板を見ていて好奇心を隠せてない。
カナタが服を着始めると、ようやくオーロリアの笑い声も収まっていった。
「半裸で平然とした顔をしてるんだから、笑っちゃうわ。人間の面白いとこをまた一つ知ったわね。私も人間の国に行ったら脱いでみようかしら。」
「だ、駄目ですよオーロリア! 淑女はもっと貞淑にですね……」
「えー……?」
そんな会話を聞きながら、カナタは森人の服に袖を通す。
焦げた腰布も放って、ようやく現代人らしい恰好に戻ってきた。
ルミナが着ている服とほとんど同じで、人間社会では少し女性的に見える服装だが、森人の間では性別関係のないスタンダートな家着らしい。
「人間もずいぶん俺達の格好が様になってきたな。もうここで暮らすことにしたか?」
ケルヴァンが言うと、カナタは薄く笑みを浮かべる。
「ここはいいとこだけど、それはできないよ。俺達のこと心配してくれるみんながいるところに帰らないといけないからさ」
「大切な人間のいる場所に戻ろうとする。それはとても尊く、素晴らしい意思だな。俺もそう思う。本音さ人間。だがその調子じゃ戻る前に寿命を迎えるんじゃないか」
ケルヴァンはからかうように手を振って戻っていく。
カナタは大きく息を吐きながら、天井を仰いだ。
「そこなんだよなぁ……」




