389.一人の夜
光が途絶えた。
色が塗り潰された。
世界はそのままに。
闇が広がる。明かりのない夜が来る。
そして――夜を統べる者が君臨する。
「服が……変わって……」
人形の攻撃で破れたメレフィニスのドレスは違うものに変わっていた。
闇を纏ったかのような漆黒のドレス、着用してなかったはずの長手袋に口元を隠すフェイスヴェール、そして頭の上には黒く染まってなお存在感を放つティアラを戴いている。
それはまるで妃のようであり、支配者のようでもあった。
「“術式の解釈”を失っても、私の意思こそが道標。過去の私が第四域から落とされても、今の私が何度でもまた辿り着く。魔術で何を為すか、自らの魔術は何のために使うべきか。私は答えを出した」
「第四域に……そんな、そんな馬鹿な……」
「あなたは魔術に縋ったと言っていたけれど、縋るだけで叶う現実なんて高が知れているわ。自らの意思で求め、形作ることこそが……魔術の本質なんだから」
突如、ラティーヌの影から黒い刃が伸びる。
黒い刃はそのままラティーヌの肩に突き刺さった。
「あ……!? うぐっ!?」
「――私はあなたを許さない」
ラティーヌが逃れようとした先にある壁の影から、複数の棒が伸びる。
それはまるで牢獄の鉄格子のようにラティーヌの行く手を阻んだ。
「私を手に入れるために、カナタの居場所を穢そうとした……ルミナの家族を襲った……。私は家族を傷付ける貴族の闇を許さない」
「暗闇から……自由自在に……まさか……!」
「彼等の光が届かない場所で蠢く闇は、私が支配する。それが私の魔術を奮う理由……私の好きな夜空は奪わせない」
「光を閉ざした場所全てが……あなたの仮想領域だとでもいうの……!?」
ラティーヌの想像通り、周囲の闇全てがメレフィニスの仮想領域。
魔力が形を変えた漆黒のドレスとティアラは、闇を支配下においた証。
物ではなく、状態を魔術化させて操る離れ業。ラティーヌの操る人形など、この第四域に比べれば児戯に等しい。
メレフィニスの“術式の解釈”――“理想の守護者”。
星と月が生きる現実を守る者。
かつて現実を否定したかった少女の理想は、大切な現実を守ることに変化した。
「だから、あなたは邪魔なのよ。私の大切な場所を壊そうとするあなたは……母親であろうと許さない」
「足が……!?」
どぷ、とラティーヌの足が沼のように変質した影に取られる。
床だった場所にかかっている影も、メレフィニスの支配下。
ラティーヌの体は沈み、もがこうとするも徐々に体が飲み込まれていく。
目の前に立つメレフィニスの瞳があまりに冷たくて、ラティーヌは震え上がる。
「あなたも恐怖しなさい。この私に」
「どこ……。どこに……私は、どこに行くの……?」
「どこにも。死ぬまで暗闇にいなさい。牢獄にいるようなものよ」
「あ……ぁ……! 何で……私は、ただ……幸せに……王の母に……」
再び第四域に至ったメレフィニスを前に、ラティーヌは戦意を失う。
沈んでいくラティーヌから視線を外し、メレフィニスはその場を後にしようとした時、
「娘を、愛していただけなのに……!」
「っ……」
無意識に、足が止まった。
「お願い……私の可愛い娘……!」
「調子の……いい……ことを、言わないで……」
子供のころの記憶が、メレフィニスの足を縛っている。
母親に愛されたかった。母親と一緒に遊びたかった。母親に――。
得られなかった子供の時の執着が、鎖のように絡みついていて……メレフィニスの足は離れようとしたのに前に進まなかった。
「お母さんを、殺すの!? あなたが!?」
「……」
……心の中に残っている期待が、どれだけ甘いかわかっている。
それでも、それでも最後に……メレフィニスには聞きたいことがあった。
もしかしたら母親は本当に自分のことを見ていてくれたのかもしれない。
そう思えるかもしれない、たった一つの問い。
「ねぇ……お母様……」
「ええ! ええ! やっとお母様って呼んでくれたわね!」
自分の甘さに対する嫌気と、母に対する期待。
そんな複雑な表情を浮かべながら、メレフィニスは振り返った。
ラティーヌは期待するような目でメレフィニスを見上げる。
それは、第二王女に指定される前の母の優しい顔に似ていた。
「私が授業をサボる前に……言ったこと、覚えてる? 私が……してほしいって言ったこと……」
「ええ! ええ! もちろん覚えているわ!」
ラティーヌの懐かしむような笑顔に、メレフィニスも期待する。
「私と遊びたかったんでしょう!? お母さんと遊びましょう!」
「――」
満面の笑顔でそう言い放つラティーヌに、メレフィニスは声を失う。
――お母様……メレフィニスって呼んで……?
たった、それだけ。
幼かった彼女が望んだ母からの愛の証明は、本当にそれだけだった。
第二王女としか呼ばなくなった母にもう一度、自分の名前を呼ばれたい。
本当に、それだけだったのに。
「……そっか…………」
メレフィニスは涙をこらえながら、唇をぎゅっと噛んだ。
期待を砕かれ、失望したメレフィニスの足はもう止まることはなかった。
「ま、待ちなさい……! 私をここから……!」
――もし覚えてくれていたら、許せたかもしれないのに。
あまりにも甘い期待すら裏切られたメレフィニスは、背中越しに別れを告げる。
「さようなら、ラティーヌ」
「何で、また私を名前で呼ぶの……私は、あなたの母親よ……」
「……」
「呼んで! お母様と! 呼びなさい! 待ちな――ぉぶ……!?」
後ろでもがく声が聞こえる。
床を引っ掻こうと暴れる音が聞こえてくる。
それが母親の最後の声だとわかっても、メレフィニスはもう振り返りたくない。
「向き合った……私は、ちゃんと……」
暗くて静かなアニムス家の屋敷は、子供の頃メレフィニスが生活していた場所。
辛い思い出ばかりだが、いい思い出もあった場所。
思い出の中を歩きながら、メレフィニスは顔を上げる。
「う……っ……ぅう……!」
ラティーヌの前ではまだ耐えていた涙腺が決壊する。
ぼろぼろと大粒の涙が、廊下のカーペットに落ちた。
「うっ……! ううっ……! うわあああああん!!」
敵の計画を全て潰したとは思えない勝者の泣き顔。
泣きじゃくるその姿は幼い少女そのもので――人目などないからこそ、メレフィニスは思い切り泣いた。
「ルミナぁ……どこにいるの……。お話聞いてよ……」
行方不明になった二人は、メレフィニスにとって大切な家族。
寂しい。心配。不安。全てが終わって、隠していた感情が涙と共に溢れ出す。
「カナタぁ……! さびしいよぅ! かえってきでよぉ!!」
その涙は全てを押し殺していたメレフィニスの心そのもの。
幼い時から我慢してきた自分の弱さを目一杯……一人の夜に零し続けた。




