386.過去との対峙
「嬉しいわ! 嬉しいわ! 私の第二王女が帰ってきたなんて!」
「……」
テーブルの上に並べられるティーカップと皿に並べられる焼き菓子。
全て人形が用意したそれらは整然としていて、どこか冷たい。
ラティーヌは笑顔で、メレフィニスは無言で席についた。
「さあどうぞ。お母さんの好きなものしかないけど、あなたも私と同じものが好きだったでしょう?」
「ええ、そうね……あなたと同じものを、食べたかったもの」
メレフィニスは用意されたティーカップを口につける。
紅茶は温い。どうやら人形は温度調節が下手なようだ。
ラティーヌも同じように、優雅な所作で紅茶を飲む。
「あなたが一緒にいてくれるからかしら、いつもよりおいしいわ。昔みたいね」
「……ええ、八歳を最後にあなたとお茶会はしなくなったからね」
「わかっているわ。お母さんがいっぱいあなたを怒ってしまったからよね……ごめんなさい……」
ラティーヌは涙ぐみながら、カップを置く。
親子だけあって二人の顔立ちはとてもよく似ている。見るものが見れば姉妹にも見えるくらいだ。
(読めない……)
だが、メレフィニスにはその近しいはずの母親の考えが全く読めなかった。
この涙と謝罪がどういうつもりなのかも、一切わからない。
考えを読ませない貴族の仮面ならば、すぐにわかるが……ラティーヌが見せている顔はそれとはまた違う。
様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った結果、心と言葉を引き出しからランダムに取り出しているかのようだった。
「謝っている割には、私を捕まえようとしていたようだけど?」
「ええ……だってあなたが心配だったのよ私」
「……っ」
ラティーヌの言葉が、メレフィニスの心を揺らす。
子供の頃の記憶が、母親の言葉に反応しているようだった。
ラティーヌの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っているのなら、メレフィニスの感情は辛い記憶を詰め込んだ宝箱のよう。
あの日、あの時、欲しかった言葉に反応して蓋が開いてしまう。
――母に心配されて、嬉しい。
子供の頃、得られなかったものに対する執着が無意識に顔を覗かせる。
「私はあなたを愛しているの。本当よ。お母さんは昔、間違えてしまったと思うけど、これれだけは……本当なのよ。だって、私の娘なんだから」
「……そう」
「あなたは昔からとてもよくできた子だったけれど、貴族に向いていない性格だったから厳しくしなきゃ……厳しくしなきゃって……。その結果、あなたにそっぽを向かれてしまったから、間違っていたのよね」
有り得ない。今が叫ぶ。
母はもうわかってくれるのかも。過去が叫ぶ。
反省したように俯く姿は、昔の苛烈な母の像を薄めていく。
自分の心臓の鼓動が早くなっていく。期待と拒絶が交互に湧き上がってくるかのように。
「覚えている? あなたを庇っていた使用人のこと」
「ええ、覚えているわ。庇っていたというよりも、見て見ぬ振りをしていただけだったけれど……当時の私にはありがたい存在だったわ。それもあなたがやめさせたけど」
「ええ、私はあなたを理解できなかった……せっかく第二王女に指定されたのに、それらしく生きようとしなかったことが私には理解できなかったのよ。私は陛下の公妾になるために宮廷魔術師の座を捨てたくらいだから」
母と娘。血は繋がっていても、違う人間。
メレフィニスは一瞬、母がそのことを理解してくれたのかと期待する。
次の瞬間、期待するなと自分の心が叫ぶ。
自分の中に二人いるようで、メレフィニスは苦しそうに顔を歪めた。
真意の読めない母親に翻弄されている自分に少しの情けなさを感じる。
「あの使用人のように、少しはあなたに自由を与えてあげればと思ったけど……やっぱり私には無理だと思ったわ。この国の後継者争いは時に凄惨なものになる。陛下の時もそうだったもの……陛下の時はウィスカ様とケネス様しか生き残らなかった」
「今回も、私が第三王子を殺しているけれど」
「あれは第三王子が先に仕掛けてきたこと。それくらい私も調べているのよ。あなたのせいじゃないわ」
ラティーヌが微笑むだけで、メレフィニスの中に何かがかき乱される。
母の真意は本当に……自分を取り戻したかっただけなのでは。
今の眼差しの先には、自分が映っているのではないだろうか。
そう考えてしまうのは娘として甘いのだろうか。
「それに、後から来た第四王女は殺さなかったでしょう?」
「ええ……あの子は来ただけだから」
「そう……やっぱりあなたは……」
ラティーヌはゆっくりとメレフィニスの頬に手を伸ばそうとする。
メレフィニスは伸びる手を拒絶しようとはしなかった。
母親に撫でてもらう。それは、メレフィニスにとってあまりにも甘い夢。
「殺されかけても、王女らしくする気がなかったのね」
「――」
……夢だから、消えてしまうのだ。
泡のように目の前で。
「私は言ったはずよ。あなたは王になる女……なら、第四王女も殺さないと駄目じゃない」
「……」
「ああ、わかっているわ。私は間違っていたの。あなたに王になるように、優しく言い聞かせてはいけなかったのよね……? 怒っても意味はなかったのよね……? ごめんなさいメレフィニス。あなたを育てる私が間違っていたの。本当にそう思っているのよ」
頬に触れるラティーヌの指を、温度を、求めていたのに。
「私はあなたを愛しているわ」
求めていたのに。
「本当よ。本当に、愛していたの。私を王の母にしてくれる可愛い娘を」
触れた指は害虫が這うように気色悪く、何の温もりもない接触。
愛を語るその表情は、仮面よりも歪に浮かぶ。
「あなたが出て行ってから……私わかったの。わかったのよ。あなたを育てるんじゃなくて、あなたを洗脳しないといけなかったんだって。あなたを人間として育てちゃいけなかった。あなたを王として育てなきゃいけなかったの」
「辞めて……」
「わかっているわ! 今更こんなことを謝っても仕方ないわよね! でもね、お母さん反省したのよ……あなたをちゃんと、私の人形にしないといけなかったんだって」
ラティーヌは両手を大きく広げ、メレフィニスは俯いた。
「私の娘は誰かもわからない男と結婚したりしない。私の娘は第二夫人なんかで終わる子じゃない。私の娘は王子も王女も全て排除して、王になるの。アニムス家の失伝魔術を宿したあなたが、王にならない人生なんて有り得ない」
「馬鹿ね……私ったら……」
「だから、やり直そうと思ったのよ。私の人形はそっくりだったでしょう? あなた本人が来てくれたら、もっと人形の精度を上げられる」
期待が目の前で破り捨てられていく。
母の微笑みに自分が求めたものなんて一つもなかったと思い知る。
変わっていない。目の前の母親は何一つ。
見えているのは、王の母になるという目的だけ。
「今ならもう一度……あなたを作れるわ! 今度は、人形として!」
飛び切りの笑顔で発した、醜悪な目的。
ベルナーズ家に協力していたのは母として娘に戻ってきてほしかったのではなく、人形の娘を本物にするため。
過去と向き合うことの辛さを身に刻んで、メレフィニスは立ち上がった。
「『踊れ婀娜の夜に』!」
メレフィニスは右手に現れた夜闇のような黒剣を母の眉間向けて突く。
切っ先が突き刺さるという時、人形の手がその間に割って入った。
「こういう時、あなたは母親を殺そうとするのね。参考になったわ」
「私に似せた人形なのにあなたを庇うだなんて、ずいぶん出来が悪いのね?」




