374.傅け
「一つお聞きしても?」
「本当に一つ?」
「いえ、申し訳ありません。いくつかお聞きしたいです」
「ええ、どうぞ」
出発から九日。王都までは後三週間ほどかかるだろうか。
今日泊まる宿で出された食事をルイが毒見している間、セルドラはメレフィニスに質問を投げかけた。
決して栄えているとは言えない村の宿備え付けの酒場が、メレフィニスが座っているせいかまるで貴族が知る穴場のような雰囲気になってしまっている。
「何だあれ……」
「外からの客だよ……な……?」
「貴族様か……? 何でこんな辺鄙な村に……」
酒場は騒がしくはあったが、全員がいつもの雑談に集中できず、ちらちらとメレフィニスに視線をやっていた。少しでも顔を隠すためにフードを被っているが、気品が隠しきれていない。
「北からのルートは一番遠回り……しかし、この様子なら他のルートでも大丈夫だったのではと思ってしまうのですが、どうでしょう?」
「いいえ、このルートではないと駄目ね」
メレフィニスが短く答えると同時にルイが皿を二人に戻す。
「問題ありません」
「ありがとうルイ」
「お酒はいかがされますか?」
「いらないわ」
ルイは頭を下げて、メレフィニスの後ろにつく。
使用人として相応しい、綺麗な立ち方のまま視線は周囲を警戒している。
(この使用人……カナタがいないほうがまともなんじゃなかろうか……む?)
セルドラはそんなことを考えながらスープを口にする。
普段、公爵家で食べているものを考えれば当然セルドラの口には合わない。
野菜の妙なえぐみが残っていて、食べられなくはないが、おいしいとは思えなかった。
「あら、おいしい。シャキシャキとした触感は何て野菜かしら?」
「昔、タミア公国から入ってきた野菜でタケノコというものとか」
「へぇ、初めて食べるわね」
セルドラの口に合わないスープを、メレフィニスはどんどん口に運んでいく。
食べ方は綺麗なのに、スプーンを運ぶ動きは速い。
そのせいか、周りの客も雰囲気が少し和らいで雑談の声が大きくなった。
先程まで空気を支配していたような雰囲気から、突然馴染んだような雰囲気に変わったような気がした。
「それで? 質問は終わりかしら?」
「あ、いえ……」
セルドラが驚きで固まっていたところを、メレフィニスは引き戻す。
ここまでの道のりで気になった点をセルドラは聞いてみる。
「その、出発した当日は馬車の速度も速かったのですが……今はそうでもありませんよね?」
「ええ、そうね」
「わざと、ペースを落としていると?」
「ええ、そうよ」
「馬の疲労を心配してのこと、でしょうか?」
「それは違うわ」
「……それでは、元から急ぐ気はなかったと考えても?」
今は急いで王都に行かなければならない状況。
カナタとルミナが誘拐された件についてメレフィニスの疑いを晴らし、ベルナーズ家が好き勝手に動けないようにするのが、公爵家やカナタの領地を守るために先決だという認識だった。
しかし、一週間ほどで進みが遅いことにセルドラは気付いた。
次期領主として、領地の地図は頭に入れている。出発から九日経ったにしては大して進んでいない。
「ええ、出発前はともかく、出発してからは到着を急ぐ気はなかったわ」
「……」
一瞬だけ、セルドラの感情がざわつく。
自分達はベルナーズ家から公爵家への凶行を止めるべく王都に向かっている最中ではなかったのか。時間がなかったのではなかったのか。
自分の中でいくらでも湧き上がる文句の言葉を、セルドラは深呼吸で鎮める。
「理由をお聞きしても?」
「冷静ね。人の話を聞こうとする姿勢は、公爵家の教えがいいからなのかしら」
「……?」
「カナタとルミナも、私の話をちゃんと聞いてくれるから」
そう言いながら、メレフィニスはにこっと笑う。
あまりにも毒気のない笑顔だった。
「急いでいるのは本当だけど、ただ急いでも意味がないの。私が王都に辿り着いて冤罪を晴らし、都合のいい犯人でなくなっても……カナタという動きの読めない狂犬がいないのをいいことに、ベルナーズ家は色々と妨害をしてくるに違いないわ。それでカナタ達の捜索が妨害されたなんてことがあったら最悪でしょう?」
「この遅れはベルナーズ家から公爵家を守るために必要だと?」
「ええ、そういうことよ。遠いルートを選んだのも、ある意味で時間稼ぎというわけね。それまで公爵家には耐えてもらわないといけないのは申し訳ないけど、私にとってはこの後のカナタ達の捜索のほうが大切だから……そこは公爵にも了承してもらっているわ」
そう言ってメレフィニスが最後のタケノコを口に運ぼうとした時、
「あら、二人共伏せなさい」
「え?」
「はい」
スプーンを持つ手を止めて、一言忠告をする。
セルドラは反応できなかったが、ルイはすぐさま地面に伏せた。
その瞬間、メレフィニスの後ろにある酒場の窓から黒い影が飛び込んでくる。
「うおあああ!?」
「酒がああぁ!?」
村に似つかわしくない侵入者に酒場の客が狼狽える中、木製の窓は砕け散り、黒い影は一直線でメレフィニスの背中を狙う。
「『踊れ婀娜の夜に』」
その背中に何かが届く前に、メレフィニスの全身を黒い魔力が纏った。
衝撃でフードが外れたところに、はためく魔力が黒いヴェールとドレスに変わる。同時に、メレフィニスの手の中には柄から剣先まで夜闇のような剣が落ちた。
「うぶ……」
「んもう……迷惑な人ね」
心地よい騒がしさを穢した刺客の鮮血が舞った。
黒いローブの中に隠した鉄の切っ先は、メレフィニスに届くことなく床に落ちる。
メレフィニスの左手にある黒い剣には刺客の血がべったりとつき、右手ではスプーンを口に運んで、しゃくしゃく、とタケノコを食べていた。
刺客の体がメレフィニス達の横の地面に倒れて、ようやく酒場の客達も何が起こったのかを理解する。
「うあああああ!? なんだ!?」
「あ、あ、あ、あんたら何を……!?」
「迷惑をかけてごめんなさいね、この場は私が奢るから許してちょうだい」
そう言って、メレフィニスは財布をルイに投げ渡す。
「ルイ、説明を頼んだわ。」
「メレフィニス様は?」
「決まっているでしょう?」
メレフィニスの目が、外に広がる闇を捉えた。
「失敗した! あの馬鹿! 何が速度には自信があるだ役立たずが!!」
村から離れた森の中、ベルナーズ家配下の魔術師が心からの罵倒を吐く。
冷たい夜風も、噴き上がるように流れる汗の前では意味がない。
村を見る魔術師は三人いて、全員が夜に紛れられる恰好をしている。
このまま全員でメレフィニスに仕掛けるのかと思えば、指揮をしている魔術師の男は声を荒げた。
「仕切り直しだ撤退する! 全速力で離れるぞ!!」
「撤退!? ここまで――」
「反論するな! 今ので確保できなかった時点で失敗だ! 次の機を狙う!!」
「ここまで来てですか!?」
――逃げろ。
指揮をする魔術師の脳内に防衛本能がこだまする。
今、目が合った。こちらを見ていた。
そんなわけがないという常識的な理性を頭の中で殴り飛ばし、魔術師は即撤退の命令を仲間に降す。
反論されている時間も惜しいと部下を押しのけて森の中に入ろうすると、
「こんばんは」
「ぁっ――」
その玲瓏な声に、魔術師達の体は固まった。
まるで呪詛のように、三人をその場に縛り付ける。
村から二百メートルほど離れた場所にいた自分達を見つけ、もうここまで来ている。その現実を受け入れられなくて。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。
心の中でこだますその声は悲鳴に近い。
「今日は、いい夜ね」
「あ……ぁ……」
「こ、こ、この……ひっ……」
一人は生唾を飲み込み、一人は股から小水を漏らし、一人はその美しさに固まる。
その瞳が自分達を映してることそのものが恐怖そのものだった。
この場を指揮していた男が、ゆっくりと口を開く。
「ず、ずいぶんと……油断をしてくれるじゃないか……。第二、王女……。第四域を使えない……私達と、かわ、かわ、変わらない第三域になったというのに……」
それが最低限の抵抗だったのかもしれない。
それとも、噂が本当だったと本人の口から聞いて少しでも安心したかったのか。
メレフィニスは男の質問にあっさりと答えた。
「ええ、確かに今の私は王都での噂通り、第四域が使えなくなった第三域よ」
「なら状況が見えないか? 三対一の状況――」
「けれど」
メレフィニスの魔力が噴き上がる。
刺客の魔術師達が一瞬だけ見た希望が、その魔力に呑み込まれた。
「千が百になったところで、一や二が百より大きくなるわけでもないでしょう?」
「――」
「念のため擦り合わせがしたいから情報が欲しいの。誰か……私とお喋りしたい人はいるかしら?」
子供に言うかのような口調で、メレフィニスは手を挙げる。
それはお願いのようでいて、実際は拒否を許さぬ命令。
三人が三人共、助かりたい一心で必死に手を挙げていた。
まるで、生きるために餌をねだる雛鳥のように。




