371.出発前夜
「第四域で最も重要なのは使い手の“術式の解釈”。私は魔術によって作り上げる世界に理想を求めたからこその解釈をしていたのだけど……」
メレフィニスの口から自身の弱体化が語られたことによって空気が張り詰める中、メレフィニスの口調に焦りはなかった。むしろその声の中には喜びが見え隠れしている。
メレフィニスの術式の解釈は“夢見る理想”。
魔術によって作り上げられる場所にしか自分の理想を見ることができなかったからこそ、メレフィニスの第四域はそのカタチを保っていた。
だが……彼女の理想を、現実にしてしまった者がいた。
「カナタが、私の理想を叶えちゃった。本人はそんな気、なかったでしょうけど」
その笑顔に他者を魅了するカリスマもなく、一瞬だけただの少女に見えた。
「カナタが私に現実で理想を見せて、新しい領地でルミナが私を受け止めてくれた……それ以来、私の“術式の解釈”は完全に不安定になったわ。価値観を変えられたに等しいのだから、自分の世界そのものである仮想領域も作れない。今の私はちょっと強い第三域でしかないわ」
「ちょっと……?」
ちょっと、に全員が引っ掛かるが、話が逸れるので追究はしない。
「だが、向こうがその情報を掴んでいるとは限らないのでは?」
シャトランが問うと、メレフィニスは首を横に振る。
「いいえ。すでに上位貴族の間では噂になっていると少し前にメリーベルが手紙で教えてくれました。十中八九、ばれているでしょう」
「なんと……一体どうやって……」
「さあ、どうしてでしょう? 密偵などいないと信じたいですけれど、今は時間がないので置いておくしかなさそうですわ」
自分の弱みが広まっているというのに、メレフィニスは余裕を崩さない。
「どんな状況であれ、メレフィニス殿が登城しなければその時間だけ公爵家とカナタの領地が不利益を被ることは間違いない。すぐにでも動く。メレフィニス殿とはすでに話はつけてある」
「ええ、ここにいるみんなに協力してほしいの。私に従うのは不満かもしれないけれど、カナタとルミナが帰ってくる場所を守るという一点において……信頼してほしいわ」
メレフィニスからの頼みに、誰も反対の意を示さない。
互いに関係も浅く、メレフィニスに至っては元凶悪な犯罪者。
それでも、カナタとルミナを大切に思っていることだけは信頼ができる。
全員の表情を見て頷くと、メレニフィニスは懐から二通の手紙と一枚の紙を取り出して後ろのエメトに向ける。
「エメト、距離だけで言えばあなたに一番動いてもらうわ。情報屋達はカレジャス領で待機してもらうよう指示してあるわ。領地に戻って情報屋達と一緒にこの手紙を届けてちょうだい」
「届けるだけすか?」
「ええ、仲間をうまく使いなさい」
「……? まぁ、了解」
エメトはメレフィニスから手紙二通を受け取るとすぐに懐にしまう。
口調の軽さとは裏腹に、仕事に真面目な性格だというのは聞いている。
「キュアモ、悪いけど公爵領に残って公爵を守ってあげて。ベルナーズ家に第四域はいないはずだけど、それでもかなりの使い手を用意するはずよ。伯爵の援護をお願いするわ」
「ラジェストラ様の護衛なら我々騎士団だけで十分……とは申せませんな。我々騎士団は町の治安にも気を配らねばなりません。魔術師として優秀な方が協力してくださるのなら心強い」
「え……えー……? ゆ、優秀……それほどでも……。了解ですです!」
シャトランの言葉に照れながらも承諾するキュアモ。
元アプレンティスなのもあって、魔術師としての実力は申し分ない。
「公爵。私が不在の間、カレジャス領の警備も強化したいの。ユージーンとパセロスは優秀だけど、数に不安があるわ」
「ならばコーレナ含め、セルドラやルミナ周りの騎士を送ろう」
「助かりますわ。夫人、コーレナがルミナの話を聞いて崩れないようフォローしてくださる?」
「お任せください」
メレフィニスからの願いに、ロザリンドは快く頷く。
そして最後に、メレフィニスはルイのほうを振り返った。
「ルイ。あなたは私と共に来なさい。私が登城するまでの間、あなたが敬愛する主の第二夫人を世話する役目を与えます」
「はい!」
ルイは一番大きな声で背筋を伸ばし、頭を下げた。
カナタからいつも話を聞かされる、家族のような気安い使用人。
メレフィニスもまた、信頼するほどここにいる人達を知らない。それでも、自分の大切な人が寄せる信頼を通じて、重要な役目をそれぞれ任せることにした。
「そして私は王都に向かうわ。公爵家の馬なら最短で二週間だけど、あえて遠回りをするので一ヶ月近くかかると思う……それまで、耐えて頂戴」
「遠回り?」
エメトの素直な疑問にメレフィニスがくすっと笑う。
「待ち伏せを回避するためよ。相手の目的は私……なら私自身で動きを攪乱させれば、人員を裂かざるを得ない。他への影響も減らせるわ」
「あー、なるほどな」
「まぁ、それだけではないけれど」
「……?」
メレフィニスの発言でラジェストラは察していたように公爵領の地図を広げる。
本来、自分の領地の地図は帳簿と並んで領地の機密といってもいい。
その機密を平民の前で広げ、正確に動きをシミュレーションしようとしているのが事態の重さを語る。
「遠回りなら北ですな。タミア公国との国境付近にも道を敷いていますので」
「流石は公爵、お金があるわね。……国境付近なら国の魔術師が巡回しているから、襲撃場所も時間も制限できそうね」
「囮の馬車を走らせるというのは?」
「どうかしら。公爵領はただでさえ馬車が多いから……ああ、でも家紋付きの馬車なら効果がありそうね」
「手配しておきます。出発は?」
「夜明けよ」
「そのように」
手早く方針を決め終わると、ラジェストラは地図を畳む。
カナタとルミナが攫われたことについて、すぐにでも調べたい気持ちはある。
しかし、今はそれを抑え込んで国内の問題を片付けるほうが先決――。
「方針も決まったし……エメトとキュアモに当時の情報が聞きたいのだけど」
――なのはわかっているのだが……やはり気になるのか、話がまとまるとメレフィニスは即座に切り出す。
まさか話を手早く終えたのは、早くそれを聞くためだったのでは?
そんな疑いが全員の心に浮かび上がったが……無理もない。
先程までと違って少しそわそわしているのも、目を瞑っておくのが大人の対応だ。
説明を求められたエメトとキュアモは険しい表情で顔を見合わせる。
「報告にはでっかいトカゲみたいな手って書いてあったけれど、どういうこと? 二人を攫うということは相当な力を持つはずだけど……魔物?」
「いや、俺達にもわかんないんすよ」
「急に空を割ったと思ったら、カナタくんとルミナ様を……目の前で……」
「空を……割るですって?」
エメトは頷く。
「明らかに異常というか異様っつうか……本当に空を割ってその手が伸びてきたんですよ。俺でもあれがやばすぎるってのはわかる。けど、そのやばすぎる手が俺達を殺そうとするんじゃなくて……ただ攫ったんだ」
「無秩序な現象ではなく、個体としての意思があると推測したわけね」
「ああ……だから殺す目的で攫ったんじゃないと思うんだよな……。けど、トラウリヒで少し調べてもらった結果が……あんま信じられなくてよ」
「トラウリヒは正体を推測できていると?」
「はい……その……」
正体が判明していることは朗報のはずだが、妙にキュアモの歯切れが悪い。
自然と視線がキュアモに集まって、意を決したように口を開く。
「その、トラウリヒの人達が言うには……“竜”の可能性が高いと」
「竜……!?」
「竜……スターレイ王国の国章に描かれますが、想像上の生き物では?」
ロザリンドの言う通り、竜はスターレイ王国の国章に描かれている。
だが実在の生き物として認識はされていない。童話などの物語の中に出てくる存在という認識だ。
ラジェストラもシャトランも、信じ難いと言いたげな目でキュアモを見ている。
キュアモもわかっているのか、居心地が悪そうだった。
「……竜…………」
一方で、メレフィニスは真剣な表情で呟く。
「公爵、お名前をお借りしても? 私と連名で連絡を取りたい相手がいます」
「もちろんですが、誰宛でしょう?」
「学院長ヘルメス。この一件が終わった後、力を借りる可能性が高いですわ」
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