367.崩れていくバランス
「メレフィニス様、ルイさんからのお手紙があります」
スターレイ王国カレジャス領。
メレフィニスの専属使用人ソンラがいつものように手紙の山を持ってくる。
大体が茶会やパーティーの招待状で、領主代理として留守番をしている今のメレフィニスにとっては欠席の手紙を書くのが一日の始まりと言ってもいい。
だが、今日はその中にいつもとは違う一通が混ざっている。
「ルイから手紙……? カナタ達とトラウリヒに行っているはずよね?」
「はい、恐らく帰路の連絡ではないでしょうか」
「……」
メレフィニスは他の手紙を無視して、ルイからの手紙を訝しみながら手に取る。
どこから見ても上等な紙でいたずらには見えない。
メレフィニスはペーパーナイフを取り出し、急いで封蝋を剥がす。
便箋の中にあった手紙は、所々しわしわでインクが滲んでいる部分もあったが、内容を把握できないほどではなかった。
手紙を読むメレフィニスの顔が次第に強張っていくのを、専属使用人であるソンラは見逃さない。
「手紙には何と……?」
「カナタとルミナが誘拐されたらしいわ」
「え!?」
ソンラは嫌でも最悪の想像をしてしまう。
旅行の話は罠で、二人はトラウリヒの手によってはめられたのではと。
「トラウリヒとは完全に別問題みたいよ。でっかいトカゲみたいな手に攫われたって書いてあるけれど……ここはよくわからないわね。トラウリヒでも聖女ちゃんの権限で捜査しているけれど、行方不明のまま。ルイ達はこっちの領地に帰還せず、公爵領に行って顛末を説明しに行くって。大変ね、あの人達……ルミナが行方不明だなんて報告したら公爵に殺されないかしら」
「な、な、何をのん気なことを仰って……お二人が心配ではないのですか!?」
「心配よ。まさかあれだけ綿密にあなたと練ったカナタとルミナのおかえりなさいパーティーの用意が無駄になってしまうなんてね……」
「そこではございません!!」
ソンラは思わず専属使用人にあるまじき口調で声を荒らげてしまう。
しかし、ソンラが声を荒らげたいのはもっともだ。
領主と第一夫人の誘拐など、領地にとって大事件。
冷静になれというほうが無理な話と言えよう。
「落ち着きなさいなソンラ。攫われて行方不明という報告をしてきたということは、二人が死んだのを見たわけではないということ……手紙を見る限り、相手は超常の存在と捉えるしかないけれど、わざわざ攫ったということは生かす必要があるとも考えられないかしら」
「そ、そうでしょうか……?」
「そう思ったほうが冷静でいられるでしょう?」
ソンラを落ち着かせるメレフィニスだが、落ち着かせているはずのメレフィニスの表情は険しいまま。
手紙に視線を落としながら、目を細める。
「けれど、これは……まずいわね」
「そうですよね。カナタ様とルミナ様が……」
「いいえ、まずいのは私達よ。すぐに馬車を用意しなさい。アンドレイス公爵家とディーラスコ伯爵家に連絡して、私達もあちらの領地を訪問するわ」
「は、はい! 誰か! 誰かいますか! 手を貸してくださいませ! それと馬車の用意を!」
メレフィニスは立ち上がり、ソンラは近くにいる使用人を急いで集めた。
集められた使用人の中にはメレフィニスにまだ脅える者もいたが、ソンラにドレスを着替えさせてもらいながら、メレフィニスは集まった使用人達を一瞥する。
「トラウリヒにて、領主カナタと第一夫人ルミナが誘拐されました」
「え……」
「――静かに」
集まった使用人達の間に走りかけた動揺を、メレフィニスは一言で鎮める。
使用人達の本能は自分達の中にある不安よりも、メレフィニスの声に従った。
「これからする指示は、このカレジャス領の存続に関わるわ。あなた達はこの領地に来てまだ短く、まだ小さいこの場所に来たことに不満を持ち、私のような罪人に忠誠は誓いたくないかもしれない……それでも、今だけは尽くしなさい」
まるで脳髄に沁み込むような声が、有無を言わせない。
命令に反発したくなるような反抗心までも蕩けてしまったかのような。
「今だけは、このメレフィニスの言葉を全て信じなさい。異論はあって?」
そんなもの、誰からも出るはずがなかった。
何もせずとも貴族達に崇拝されていたメレフィニスが……自分自身でも嫌っていた
姿をあえて使う。
上に立つ者としての絶対的な才能を、領地を守るために振るうのだと彼女はもう決めていた。
「まず、孤児院のパセロスを呼び出して領地の警備を指揮させなさい」
「はい!」
「警備の事情は今雇っている傭兵達のほうが詳しいわ。綿密にコミュニケーションを取りなさいと強く念押ししてくれるかしら」
「承知致しました!」
ドレスに着替えながら、メレフィニスは使用人に指示を出す。
馬車の手配で一人、伝言に一人……集まった使用人は指示が一つ飛ぶ度に一人ずつその指示を遂行するために部屋を出ていく。
「公爵家と伯爵家とは別件でパレント家にも連絡を。孤児院で魔術の授業をしてもらっていたウォロー殿にはしばらくこの領地には近付かないようにと」
「はい!」
「拒絶ではなく、緊急事態のためという点を念押しなさい。ウォロー殿はカナタの友人よ。関係を悪化させるような誤解は万が一でも避けること」
「それでは、私も補助致します」
「お願いね。次に町長の家に行って、街灯着火の仕事を子供達にしばらくやらせないように言いなさい。着火の仕事は……そうね、カナタの構想では領地内のパトロールを兼ねていたから、ユージーンにやらせましょう」
「すぐに!」
「カナタの情報屋が領地に来た時は、事情を話して引き止めなさい。依頼したいことがあるわ」
「屋敷中に通達致します!」
ドレスを着終わったメレフィニスはすぐに部屋を出る。
玄関ロビーに降りる頃には、馬の鳴き声と車輪の音が聞こえてきた。
「みんな素直に動いてくれて助かるわ。私が町に出たら、不必要に住民からの支持を集めてしまう可能性があるから難しかったの……この事態が収まった暁には、あなた達に褒賞を出してあげる」
「第二夫人であり、領主代理であるメレフィニス様のご指示に従うのは当然でございます」
「ありがとう」
屋敷を出ると、馬車がこちらに向かってくるのが見えた。
御者台には馬車を呼びに行った使用人が一人、乗っている。
「ソンラ、ここを任せるわ。私が戻る間、パセロスと協力して応対を務めなさい」
「わ、私がですか!?」
「時間がないの。カナタが攫われたという情報はいずれ国中に回ってしまう。その前に私が動かないとバランスが崩れるわ。私は公爵領に寄った後、そのまま首都に向かうから、その間をお願い」
「わ、わかりました……。お客様にはどのような対応を致しましょう……?」
「領主不在の旨を伝えて全員お帰りいただいて。町に通すのは情報屋と王城からの使者だけよ。特にトラウリヒからの使者は全て追い払いなさい。聖女だとしても」
「え!?」
「この町にトラウリヒからの使者を入れたら終わりだと思いなさい」
使用人でしかないソンラにはメレフィニスの指示の意味はわからなかったが、一先ず頷く。
わからずとも、メレフィニスの指示に意味がないとは思えなかった。
メレフィニスは屋敷を出ると、馬車のほうへと一直線に走る。ドレスを着ているとは思えないほど軽快で、ソンラが追い付けないほど。
馬車に乗り込む寸前、メレフィニスは振り返る。
「言い忘れていたわ。念のため、私を切り捨てる準備もしておきなさい」
「え……?」
あまりにも言葉足らずな指示のまま、メレフィニスは馬車に乗り込む。
「カナタ、ルミナ……安心しなさい。こちらはメフィに任せなさい」
ここにはいない二人に告げて、馬車は走り始める。
向かう先は公爵領。
メレフィニスの表情は未だ険しく、現状がどれだけ切迫しているのかを表しているかのようだった。
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『無尽侵攻国家トラウリヒ』改め、第十三部『夢人信仰刻歌トラウリヒ』終了となります。
第十四部も近日更新開始予定です。少々お待ちください。




