368.魔界
トラウリヒに侵攻してくる魔物達の生存圏とされる“魔界”。
名前の通り魔物が生息している、人間の生存圏の外。
トラウリヒの魔界は海と大穴の間にある陸地で地続きになっていて、魔物はそこから侵攻を繰り返している。
この侵攻は最低でも二百年以上昔から続いていているとされ、トラウリヒ以外でも出現する魔物の存在も多く確認されている。
……一方で、魔界という呼称ではあるものの、陸で地続きになっている向こう側が全くに異世界なはずもない。
そこには魔物独自の生態系があり、人間社会とは違う社会構造があるはずだが……それらを調べられた者は現代に存在しない。
「ん……」
ひんやりとした空気にカナタは目を覚ます。
目覚めて早々、頭の中がかき回されるような眩暈に恐れ我ながらも、振るえた手で体を支えた。手をついて地面はすべすべとした岩肌のようで冷たい。
肌寒いのはクヴィリスとの戦いで服がボロボロになったせいかと一瞬思ったが、カナタの服は寝ている間に着替えさせられたようで、今は貫頭衣のようなものを着ている。
「何で……うっ……」
目を開けて、遅れて走る痛みで右目を押さえた。
前よりも視界が狭く、遠近感も把握しにくい。
カナタは意識を失う直前の記憶を思い出す。
失伝魔術を使おうとした時、咆哮と共に右目に痛みが走ったことを。
「右目……潰されたのか……」
狭い視界で周囲を見ようとすると、隣にはルミナが寝かされていた。
ルミナの服も着替えさせられていて、カナタと同じような貫頭衣になっている。
一瞬、囚人服かと思ったが、よく見ればしっかりとした作りで肌触りもよく、裾の辺りには手縫いの装飾まで編まれている。
捕虜や囚人に着させるのなら、もう少し簡素で安価なものを選ぶだろう。
スターレイ王国と文化の違いこそ感じるものの、使われている素材の上等さはカナタでもわかる。
あまりにルミナが静かなので少し心配になったが、ゆっくりと胸の辺りが上下しているので寝ているだけのようだ。
「ルミナ……よかった……」
まずは生きていること。これが何よりも大切だ。
空を割って現れるような超常の生き物相手に命があるのだから幸運と言える。
『眼球を破壊されても動揺しないとはな』
「!!」
後ろから聞こえてくる声に、カナタは臓器全てが跳ね上がったかのような錯覚に陥るほど驚く。
恐る恐る振り向くと、背後の空間はカナタ達を攫った腕が現れた時と同じように割れており、その向こう側から巨大な眼がカナタ達を見つめていた。
『ずいぶんと、死地に慣れている』
「……戦争の時に欠損するのは、珍しいことじゃないので」
『我が眼に捉えられていることもか?』
巨大な眼が、カナタを捉える。
瞳に映っている自分の姿は、何とも生きた心地がしない。
生き物としての本能が、小水を漏らしながらでも逃げ出せと叫んでいるせいで汗が止まらない……だが、それ以上に逃げられる気がしなかった。
ならば対話して何とか逃げ出す機会を窺うしかない、とカナタは生唾を飲み込む。
「そこは無理矢理にでも受け入れるようにのみこんでます」
『ほう……』
空間の向こう側から聞こえてくる声から、敵意が和らいだのを感じた。
そのおかげか、カナタも少しだけ呼吸がしやすくなる。
『起きてすぐに周囲の観察……魔術王にしては泥臭すぎる……。生き汚さも感じない……醜悪さもない……無垢ではないが精神が穢れているわけでもない……。しかし眼は同じ。どうなっている?』
『人間。貴様、魔術王の子か?』
「魔術王……?」
ユージーンにそんな風に呼ばれたことがあるのを思い出す。同時に、記憶の端で一体何なのかを教わったことがあることも。
魔術王とはスターレイ王国の建国説話の登場人物であり、今は建国説話が童話にもなっているので貴族の子供達ならばほとんどが知っている。魔術によって国を発展させるも、王様隠しという悪者によって囚われ、今の王族の先祖達によって救われたとされる存在だ。
「ん……?」
カナタは今の状況が似通っていることに気付く。
自分のことを魔術王と呼ぶ正体不明。
空間を割って攫われた自分達。
これではまるで――。
「王様隠しって……これのこと……か……?」
突然、過去に触れたかのような現実が鼓動を大きくさせる。
割れた空間の向こう側から覗く瞳が、カナタの様子を訝しんだ。
『問いに答える気がないということか?』
「いえ、混乱してしまって……。その、魔術王とは関係ないと思います……。聞いた限り父は異国の人間ですし、俺の母は平民だったのでそんな偉い人と結婚できるとも思えません……。そもそも時代が全く違うんです。スターレイ王国は千年以上前からあるので、その魔術王とかいう人はとっくの昔に死んでますし……」
その瞬間、視線の中に怒気が混じったのを感じ取る。
心臓が握られたような感覚に、カナタの全身に鳥肌が立った。
『まさか、質問しているからといって命が保証されていると思っておるのか?』
「そんなことはありません。命がかかってるので、慎重です。」
『ならば、くだらぬ嘘で誤魔化そうとする理由はなにか』
「嘘? 嘘なんて――」
カナタが弁明しようとする前に、空間の向こう側から咆哮が轟く。
種族的な咆哮の意味はわからずとも、今の咆哮が何を意味するかはわかる。
怒号だ。カナタの返答にこの存在は憤っている。
『魔術王が死んでいるなどと。まるで人の寿命が数百年にも満たないような虚偽を並べおって。この状況での選択としては最悪だと考えよ。鍵を壊す以上のことなど、いつでもできるのだぞ』
「嘘なんてついてません! 人間の寿命は七十年もあれば長いほうで……」
現状、カナタにできるのは誠実に答えることだけ。
怒りを帯びた声が、カナタの声をかき消すように再び遮る。
『黙れ。竜が何も知らぬと思ったか。我が地に暮らす森人や人魚と似通った特徴を持つ貴様ら人間が、そのような短命な生き物なわけがあるまい』
「……今、何て言いました?」
いつもありがとうございます。
ここからは十四部『闇を踏む夜天』となります。
そしていつも応援してくれている皆様にご報告兼宣伝がございます。
『魔術漁りは選び取る』三巻の発売が決定しました。発売日は5月25日です。
三巻からWeb版と内容が変わりますので、Web版を読んでいる読者さんにも楽しんでいただけるかと思います。そしてラストにはなんと……ぜひ読者さんの目で確かめてください。
すでに予約が始まっているのですが、予約していただけると出版社の人達が四巻に乗り気になる可能性が高くなるので、予約してくださると嬉しいです。
これからもらむなべと魔術漁りをよろしくお願いします。




