365.夢人信仰刻歌トラウリヒ
「唱えるための魔力」
エイミーが一歩前に歩を進めると、光の枝が砕け散る。
先程までこの場に鮮血を散らす光の刃が、薄氷のようにあっけなく。
同時に、空間そのものが揺れた。
「馬鹿な……我の仮想領域はまだ機能しているはず……」
「唱えるための時間……」
エイミーはまた一歩前に。
今度はクヴィリスの魔術そのものが砕け散った。
ガラスが割れたような音が響き、揺れはもっと大きくなる。
血に塗れ、服は裂かれ、魔力もない。
聖女とはかけ離れた姿になっているボロボロのエイミー。
しかしその歩みは力強く、無傷であるクヴィリスは後退った。
「そしてこの場を作ってくれた友人。全部が、私をここまで届けてくれた」
「ああ、そうだ。貴様は一人では何もできない。たまたま失伝魔術を持って生まれただけの、何も持っていない女なのだから」
「そう……でも、この国はそんな私を選んだ。あんたじゃなく、私を」
空間が揺れ、教皇宮殿の壁がひび割れていく。
「むっ……!?」
途端、クヴィリスが膝をつく。
「何だ……重……おおおおおおおおおおっ!?」
そのまま地面に叩きつけられるクヴィリス。
動けない。動かせない。顔すら上げることができない。
不可視の何かがクヴィリスを地面に縛り付ける。
横を見れば、この戦いを見ているカナタやルミナには何の影響もない。
クヴィリスが疑問に思う前に、どこかで建物が崩れる音がした。
凄まじい勢いで地面に叩きつけられるのは、教皇宮殿の一部。
「重い、だけではない……! 我の仮想領域が……崩れていくだとぉ!?」
「ええ、それが私の失伝魔術。わかっているはずよ、あんただろうとねじ伏せる」
エイミーの失伝魔術【愛よここに、星の抱擁を】は重力を操る。
第四域の仮想領域は魔術世界では別格。だが、失伝魔術はさらにその上を行く。
仮想領域は空間を司るが、失伝魔術は星の力を司るもの。
エイミーの失伝魔術の前では、クヴィリスの仮想領域といえど耐えきれない。
あまりに局所的な重力崩壊がクヴィリスの魔力を砕いていく。
クヴィリスの仮想領域だけでなく、教皇宮殿も。
「貴様……まさか……」
「ええ、あんたの話を聞いて、こうするべきだと思ったわ。ここをぶっ壊してもう一度、この国は始まるの。デルフィ神に祈る大聖堂より大きい教皇の宮殿なんて作るべきじゃなかった」
崩れる瓦礫さえもエイミーの支配下にあるのか、瓦礫は中庭に倒れるアンダースやダンティーニに降り注ぐこともない。
建物が崩れ落ちる轟音が鳴り響き、地面に突っ伏しているクヴィリスの骨も悲鳴を上げた。
「やめろ! やめろ!! ここは我々の――我の意を示す場所だ!!」
「だからぶっ壊すって言ってんのよ!! この国の信仰を蔑ろにする教皇の意なんていらない!!」
「何が信仰……! 我の意がこの国を目に進める最善だと何故わからん!!」
「最善! 聞こえのいい言葉を使うのだけは得意ね! 私達が! 信仰を捨てることが最善であるもんか!!」
「このまま国が滅んでもいいというのか! 魔物や隣国に殺されながら!! 我こそがトラウリヒを次に進める神の代理人だと――!!」
「あんたが本当に神の代理人なら……」
耳に届く歌が、エイミーを迷わせない。
「この歌が、聞こえたはずよ」
「何が――歌――か、はっ――!」
クヴィリスの肉体が潰れる。そして自身の失伝魔術で再生する。
失伝魔術がクヴィリスに死を許さず、魔力が続く限り再生を繰り返す。
何度も、何度も繰り返す。魔力が尽きるまで。
それは皮肉にも、魔物に侵攻され続けても再興するトラウリヒという国の姿に似ていた。
そう……クヴィリスの失伝魔術は偽りの奇跡を見せるためのものではなく、この国の逞しさを示す希望だったのではないだろうか。
「あんたの言う通り、私は一人じゃ何もできない。計画性はないし、魔力も咄嗟に使っちゃうし、ちょっと煽られたら熱くなっちゃうし、頭だって魔術以外のことはそんなにわかるわけでもない」
「ぐっ――か――!」
「だから支えてもらうの。人と、信仰に。私はそうやって歩いていく。あんたとは別の道を」
偽の奇跡で魔力を集めた教皇。本物の奇跡で人々の信仰を集めた聖女。
デルフィ神のいる場所を夢見る人々は、自らの信仰を以て、この国に歌を刻む。
ここはトラウリヒ神国。
民が一丸となって日々を生き、魔物と戦い続ける神に見守られた国。
多くの犠牲に祈りを捧げ、感謝を示し、今日という日を生きる国。
――信仰なくして、この国の民はこの国の民足り得ない。
であれば、どちらがこの国に相応しいかは言うまでもない。
響き渡る歌声は国を包み、刻む歌は聖女の背中を押す。
それはデルフィ教の聖典に記される新たなる1ページ。
作られた象徴が本物の象徴となった瞬間がここに。
「私は、私の道を選んでいいんだって――教えてくれた人達がいるから」
母と呼びたい人に教えてもらった。友人にこの場所を用意してもらった。
……これはきっと、他の人から見ればくだらない消化試合。
無意味な仕切り直しで、無駄な時間で、無価値な茶番なのでしょう。
カナタなら全て自分の手で終わらせることもできたはずなのに。
――それでも、カナタは拾ってくれた。
私がこれから生きるための選択肢を、捨てないでいてくれた。
私という友人の生きる道を、大切に思ってくれた。
彼は自分にとって大事だと思ったものを決して捨てない。そういう人だから。
だから――この戦いでついた傷は、私にとって何よりも輝かしい冠。
死んじゃいそうな傷も痛みも全部、私が道を選んだ証そのもの。
「つまりは、魔術滓と同じってことじゃない」
つい緊張感の欠片もない笑みを浮かべてしまった。
そうこれは魔術滓と同じ、余分なお話。
けれど、その余分なお話こそがトラウリヒにとっては新しい道を歩むための――
「ともかく、もう詐欺師の時間は終わったの。魔力がなくなるまで潰れなさい」
「せ……せいじょぉおおおお!!」
――空間が歪み、教皇宮殿が崩れ落ちていく。
私の家でもあった教皇宮殿が、クヴィリスの欲望と一緒に。
更地に変わるその姿は、ゼロにして始まるこの国の一歩のようで、もう私の中に躊躇いなんてものは欠片もなかった。
「凄い……私達には何も起きてないのに宮殿だけを……」
「失伝魔術を完全にコントロールしたんだろうな」
宮殿が崩れ、砂煙が辺りに舞ったが……カナタとルミナは不自然なほど無事に中庭に出てきた。
先程まで二人が座っていた場所はひしゃげて、宮殿ごと重力の奔流に巻き込まれたせいか、原型が残っている場所はどこにもない。
教皇宮殿は砕け散って、瓦礫どころか砂に近い状態になっていた。
他の場所でも砂状になったところから、無傷の司教や司祭、騎士達が這い出てくる。クヴィリス以外の人間が不自然に無事だという点が、失伝魔術のでたらめさを逆に示しているかのようだ。
「はぁっ……はぁっ……」
「う……ぁ……」
中庭にはどちらも魔力切れとなっているエイミーとクヴィリスがいた。
エイミーは血をぽたぽたと垂らしながら肩で息をして、クヴィリスはまだ生きてはいるようだが、地面から動けないままだった。
「エイミー!」
「ルミナ……へへ……勝ったわ……」
「っ……!」
ルミナは両手を広げて抱き着こうとしたが、直前になってぴたっと止まる。
「危ない。エイミーが傷だらけなのに勢いのまま抱き着くところでした……」
「な、なによう。別にいいじゃない?」
「いいのですか……? このまま私が抱き着いたら破壊された宮殿の砂利や砂が傷口にそのまま……」
「ちょっと! リアルな痛み想像させないでよ! いっづぅ! さっきまで平気だったのに何か想像したら痛くなってきた!!」
エイミーが身を捩っていると、ルミナの後ろからカナタが顔を出す。
「エイミー」
「カナタ……」
カナタはそのままヴンダーの杖をエイミーの肩に触れさせる。
底をついた魔力が杖から流れ込んでいくのがわかった。
安堵からか、エイミーの口からため息が零れる。
「あんたからもらったチャンス……私なりに活かせた、と思うわ」
「ああ、見てたよ。まずは治そう。それに、アンダースさんも」
「あ、そうだ……私よりやばそうだもんね……」
「ああ、まだ生きてはいるけどな」
「『治癒の祝福』」
魔力が回復したエイミーは自分自身に治癒魔術をかける。
カナタと同じく服が血塗れなため、見た目はそこまで変わらない。
エイミーは自分を治し終わったかと思うと、倒れるアンダースにも治癒魔法をかけるためしゃがみ込む。
「うー……ふらふらするぅ……。『治癒の祝福』」
「治癒魔法は失った血までは戻せないんだな」
「そりゃそうよ……失伝魔術とは違――」
その時、しゃがむエイミーの体に影がかかった。
横目に見えたその姿に、エイミーの喉から声が一瞬消える。
完全に無力化したはずのクヴィリスが白目を剥きながら立っていて。
「われは……まだ――!!」
「!!」
「え!?」
クヴィリスはその腕をカナタの持つヴンダーの杖に伸ばそうとする。
それはまるで執念だけで動く本能かのようで、カナタですら予想していなかったのか目を剥いた。
だが……その執念虚しく、クヴィリスの腕がヴンダーの杖に届くことはなかった。
「がぼ……」
「ダン……ティーニさん……」
腕を伸ばすクヴィリスの胸は、後ろから騎士の剣が貫いていた。
クヴィリスの背後には先程まで中庭で倒れていたダンティーニが立っていて、その手には騎士の剣を握られている。
クヴィリスが血を吐き、最後の執念で伸ばした腕も……少し震えたかと思うと、そのまま力なく落ちた。
「先に逝っていろクヴィリス。私と同じく、デルフィ神の下に行けない憐れな男よ」
「ダン……ティーニ……」
クヴィリスは血を吐きながら崩れ落ちる。
人や信仰の支えを必要としなかった教皇の最期は皮肉にも、教皇を支えるはずだった元側近の手によって終わりを告げた。
まだ朝日も昇らない深夜のこと。
宮殿が崩壊し、どこまでも広がる夜空の中。
トラウリヒという国は明日からもまた一歩ずつ進んでいく。
偽の奇跡に踊らされることのない信仰の日々を。
こことは遠い場所で泳ぐ、信じる神に見守られながら。




