第七十話 マリーの賭け
「皆さんにお尋ねします」
喋る内容なんてロクに考えてこなかった俺だが、自然と言葉は出てきた。
「あなた方の悲願は、神々と魔王との長きにわたる因縁に終止符を打つことですよね? でもそれは、魔王をこの儀式によって封じることで、本当に叶うんでしょうか?」
「当たり前だ。馬鹿々々しい!」
至極当然とアルヴァーが隣で吐き捨てた。
それをちらりと横目で見つつ、俺は続ける。
「じゃあ逆に伺います。もし魔王を封じたとして、その後は一体どうするつもりなんです?」
その問いに、数名の神々たちが興味をそそられたように表情を変えたのが分かった。
いい兆候だ。
「もう魔王を討伐する勇者は不要になりますね。そうなれば、それを助ける役目を担った女神たちも役目を失います。あなたたち神々たちだってそうだ。……では、対立する存在を失ったあなたたちは、何を糧にして生きていくんです? 未来永劫に続く安寧の日々を、ただ無為に、過ぎるがままに過ごしていくんでしょうか?」
「神が平穏を願って何が悪い?」
「平穏って、今のこの状態のことを言ってます?」
むすり、と拗ねたように反論したアルヴァーの子供じみた態度に、俺は思わず吹き出しそうになる。
「本当に、今の天界って理想郷なんですかね? ある人が親切に教えてくれました。今じゃ、普通の人間より神の方が数が多いんだ、って聞きましたけど。頼ったり願ったり、祈ったり信じたり。もうそんな風に、あなたたちを特別扱いしてくれる人なんていないじゃないですか。だって、もう皆平等に同じ神という立場なんですからね。そうなってしまったら、神でも人間でも変わらないんじゃないですか?」
「それでも皆、幸せになっただろうが!」
「うーん……」
とてもそうは思えないんだけど。
俺は壇上のやり取りに釘付けになっている一人の痩せ細った老神を見つめて尋ねた。
「ええと……失礼ながらお尋ねします。あなたは今、幸せなのでしょうか? 天界での日々を、どんな風に過ごしているんですか?」
その老いた神は、きょとん、と目を丸くした。
周囲の神々も思いもよらぬ展開に驚いているらしい。
「……儂かね?」
「ええ。そうです」
少し面白がっているようにも見える表情を浮かべた老神に向かって俺が頷くと、しばし言葉を選ぶような素振りを見せた後、皺枯れた声が答えてくれた。
「そうじゃな……はっきり言って、特にやることなどないのう。気が向いた時に起きて、気の向くままに散歩して、飽きたら横になる。その程度じゃな」
「それ、楽しいですか?」
「……いいや。特には」
「幸せですか?」
「……いいや。幸せとか不幸せとかではないのう」
淡々とそう答え、顎先にひょろりと伸びた白い髭をしごく。その様子を見ていたアルヴァーは露骨に不快そうな表情を浮かべたが、あえて咎めたりしなかったところを見ると、それなりに格の高い神様だったらしい。どうやら運が向いてきたようだ。
「……」
アルヴァーは、むすり、と難しい顔をしている。
彼なりに今指摘された事実を考えているようだった。
「……じゃあ、何か? 勇者・ショージとやら」
長い沈黙の後、ふてくされたように口をへの字に曲げたアルヴァーは問い返してきた。
「魔王を封印することなく、今までどうり互いを憎しみ、争い続ければ良い……そう言いたいのか?」
「そ、そうじゃないですってば!」
慌てて早計なアルヴァーの考えを否定した。
「俺はただ、《封魔の儀》なんて大層なものを持ち出してまで魔王を封じることに意味なんてないんだ、ってことを言いたかっただけで……!」
「ならば、お前の言う偽りの幸せを覆すことなぞできないんじゃないのか? 結局何も変わらない。俺にはそう思えるんだがな? 違うか?」
まずい。何人かの神々がアルヴァーの論理に同調し始めたのが壇上から見ても分かった。とりあえず、魔王が封じられてしまうことだけは避けたかった俺は、その先のことまで考えていなかったのだ。
どうすれば……!
その俺の迷いと策の無さを敏感に察知したアルヴァーは勝ち誇ったように、にやり、と口元を歪めた。
「で、あるならば、だ! この先のことは、憂いのないよう《封魔の儀》をもってこの魔王を封じ、その後にじっくりと考えればいいだろう! さあ、これに意を唱える者は!?」
ああ、くそっ!
「ま、待ってくれ! 待ってくださいよ!」
「ええい、往生際が悪いぞ、勇者・ショージ! こいつが皆の心を乱す存在だと言うことは誰もが知っているんだ! そう、あの時だってそうだった!」
「この魔王は、まだ何も――!」
……ん?
あの時も、ってどういう意味だ!?
違和感が生じたが、それよりも広場中にたちまち広がる同意の声を止めることが先だ。
「は、話を聞いて――!」
「ええい、止めるな! ここでこいつとの因縁を断ち切らねば、俺たちは前に進めないのだ! おい、そこのエセ勇者を取り押さえておけ! 邪魔だ!」
だが、アルヴァーの命に呼応するようにあっという間に舞台脇に控えていた屈強な神々が殺到し、抵抗する暇すら与えてもらえないまま俺は力ずくで捻じ伏せられてしまった。ありえない角度まで関節を捻じ曲げられた激痛で勝手に呻き声が口から漏れる。
「ぐぁっ!!」
「シ、ショージっ!! ――あっ!?」
咄嗟に駆け寄ってきたマリーまで、無理矢理跪かされたような姿勢でたやすく押さえつけられてしまう。苦痛に歪むマリーの顔がすぐ目の前にあるというのに、俺にはどうすることもできない。
「くそっ! マリーには手を出さないでくれ!」
できるのは、ただ懇願することだけだ。
「そいつは無関係だ! そいつは悪くない! お願いだ! 今すぐマリーから手を離せえええええ!」
「そんなこと……く……言ってる場合じゃ……!」
しかし、マリーの顔に浮かぶ表情には何かを予感させる決意の色がある。そして、必死の形相で俺の方へと顔を近づけてくるのを見て、ロマンチックだ、とか、ドキドキする、などとは少しも思わなかった。
そして、
その代わり、
分かった。
「ねえ、ショージ! お願い、気付いて!」
「……そうか! よし! やってやるぜ!」
何故か分かったのだ。
マリーの賭けが。
彼女の持つ《女神の加護》とは――。
互いを愛しいと思い、慈しむ、そんな純粋な心を思い出させる、そういう力。
マリー本人の意志ではコントロールできない力。
だが、それを授けられた勇者である俺ならば――。
「やれ! 授けろ! お前の《女神の加護》を!」
「もう……少し……! あと……ちょっと……!」
俺の身体から驚異的な力が湧き上がるのを感じた。三人がかりで俺を拘束している神々が、焦り始めたのが身体に添えられたごつごつした手から伝わってくる。じり、じり、と距離は縮まり、あとわずかで俺とマリーの唇が触れようかと思った瞬間――。
ぴっ。
「……そうはさせません」
暖かな感触。
しかしそれはマリーの唇のそれではなく、二人の間を分かつように横合いから差し出された女神の手のひらによるものだった。
「どうして邪魔を……んんっ――!?」
俺はその手に噛みつきそうな勢いで吐き捨て、
――絶望した。




