第六十九話 《封魔の儀》
がんがんっ!
と硬い物で鉄格子を激しく打ち付ける音と共に、
ししっ!
と、不吉な予兆を感じさせる笑い声が響き渡った。
「騒がしい野郎どもデスね、お前らときたら。こっちは構わないんデスよ? この場でお前らの首を胴体と泣き別れさせようが……ま、お前らにでキルことは、無様に泣き喚くことくらいデスけどね」
その声、その顔。
確かに俺の息はその時止まった。
だが、声の主であり、この牢獄の主らしき人物は、にやり、と意味ありげに笑い返しただけで、素早く俺が口を開くのを制してしまう。
「……あー。でもデスよ? 今日くらいは目を瞑ってやることにしますデス。どうせもうじき全ては終わりなんデスから。せいぜい泣き喚けばいいデス」
そう言い残し、ざっくりとしたパーカーの猫耳フードを目深に被り直した女神はあっさりと背を向けてしまった。
と、しばし足を止める。
「一応デス。その牢屋の鍵は特注の奴なんで、鍵開けスキルなんて無意味デスよ? 開けるには――」
彼女はパーカーのポケットから取り出した物を、背中越しに俺たちに向けてこれ見よがしに振ってみせた。
「こいつが必要デスからね……ししっ!」
猫耳フードの女神はそれを無造作に口の中に放り込むと、悲痛な面持ちで一言も発することのできない面々を残して去って行く。
いや――俺だけは違った。
満面の笑みを浮かべ噛み締めるように小さく呟く。
「さんきゅーな……ぼーぱるさん!」
その日、天界のほぼ中央に位置する円形広場《カンピドーリ》は、たくさんの神々たちでひしめき合っていた。
一際高くなった中央の舞台に、数名の精白な儀式衣装に身を包んだ荘厳な神々の姿がある。そしてそれとはあまりに対照的で黒々しくみすぼらしくすら思えてしまう一人の少年の姿もまた見えた。その一団の中から、たやすく目を奪う雄々しい男神の姿が歩み出て、その右手が厳かに天空を一文字に指し示し、空気を震わせて告げる。
「ここに集いし神々よ、天に目を向けよ!」
おお……。
刹那の沈黙の後、たちまち広がったさっきまでとは明らかに異質のざわめきには、驚嘆の念と幾許かの恐れが混じっていた。男神の指さす先、何処までも広がる天空にあった眩いばかりの光を放つ太陽は次第にその輝きを失い、翳りゆき、やがては禍々しき漆黒に塗り潰された異様な様相を呈した。
「そう! 時は来たのだ!」
男神――英雄神・アルヴァーは、十分な時間をかけてざわめきが静まるのを待ってから続けた。
「太陽と月が交わる、昼でもなく夜でもない今日この日――我らの悲願は遂に叶うのだ! 長きにわたる神々と魔王との因縁に終止符を打ってやろう!」
ごうん。
ごうん。
アルヴァーの宣言に呼応するように、何処からか重々しい鐘の音が響き渡り、彼は力強く頷いた。
「我、これより《封魔の儀》を始める!」
アルヴァーがそう宣言すると、壇上の神々の一団に隠れるように侍していた女神たち――いずれも劣らぬ究極の美を具現化したかのごとき面々だ――がしずしずと歩み出て道を作った。その即席の花道の奥から、ただ白で統一されていた調和の世界を乱す一点の染みのごとき違和感を放っていた少年が自らの意志で進み出てくる。
「あれが――?」
「由々しきことじゃ」
「ああ、何という――」
広場に集まった神々の口々から呟きが漏れ出る。
穢れや呪いを恐れてか、顔を背けてしまう者すらいた。
一方。
「……はぁ」
少年の方はというと、むしろそんな反応を示すことしかできない彼らを侮蔑するかのように一瞥しただけで、密かに溜息を吐くだけだった。
実際、その少年――魔王は天界に連れてこられてからというもの、ここに数多集う神々から向けられる一方的な粗雑な感情に飽き飽きしていた。誰一人として彼とまともな会話を交わそうとする者などいない。試みることすらしなかった。ただ、彼が《魔王》と呼ばれているその事実にだけ目を向け、大して変わり映えのしないまるで判を押したような嫌悪の表情を浮かべては、あからさまな態度で距離を置いた。理解しよう、そういう者はいなかったのだ。
それとは違う感情なのかもしれないが――。
ただ一人だけ、魔王である彼に対して感情を露わにする者がいた。それが今まさに目の前に立っている男神、英雄神・アルヴァーであった。
アルヴァーは口元を歪め、囁くように告げる。
「いよいよだな……覚悟はできてるか?」
「別に」
壇上から眼下に居並ぶ神々を無感動な眼差しで見つめたまま、魔王はアルヴァーの方を見もしない。
「こんな命、早く終わってしまえばいい――そう思ってたんだから、今更覚悟も何もないでしょ。その運命を変えてくれようとしたのはあの勇者・ショージだけど……そう、元通りになっただけさ」
「勇者・ショージ……」
表情を曇らせ、アルヴァーはその名を口にする。
「おいおいおい。あいつには何もできない。できなかっただろ? いい加減認めろよ。な?」
「かもね」
魔王が躊躇いがちに小さな呟きを漏らすと、アルヴァーは満足したようだった。晴れやかな笑みを湛えて魔王の正面へと回り込むと、彼の背丈に合わせるように身を屈めて陰鬱とした表情を覗き込んだ。
「ほら、言えよ。お前の願いを言ってみろ。俺ならば、この天界を統べる唯一絶対の英雄神たるこの俺ならば、お前のちっぽけな願いを叶えてやれるかもしれないんだぜ? ほら――」
その言葉に、伏し目がちに下げられていた魔王の視線が上向き、嘲るような微笑みを浮かべるアルヴァーを睨み付けた。そして尋ねる。
「君はどうしたいんだよ?」
「……おい、どういう意味だ?」
「言葉どおりの意味だけどね」
魔王はわずかにたじろぐ素振りを見せたアルヴァーの表情の変化を見逃してはいなかった。
「こんな大層な儀式なんかをわざわざ準備したのは、魔王である僕を封じるためじゃないのかよ? なのに今頃になって『望みを言え』だなんて、一体どういうつもり? この僕に、神様らしく情けでもかけてやっているつもりなの?」
「そうじゃない! お、俺は、ただ……」
「ただ――何なの?」
「………………くそっ!」
癇癪を起した子供のようにアルヴァーはそう吐き捨てるとさっさと立ち上がってしまった。
どうにも様子がおかしい。
しかし、心当たりなぞまるでない魔王は、今まで顰めていた表情を緩め、何事もなかったかのようにただぼんやりと正面に視線を戻し、記憶を辿る。
(生きていたい――)
そう口にしたのは自分だ。
(分かった。俺が、お前のその望み、叶えてやる)
続けて聴こえた気のする声に、魔王は苦笑する。
(無理なんだよ――)
(だって、僕、魔王なんだから)
この世に生を受け、そして滅せられるのが宿命。
それは当たり前のことだと思っていたし、他に道なんてないと思っていた。
そうじゃない――そう言ってくれた、自分を友と呼んでくれる存在が現れた時、しばし少年の心は高揚した。だが、現実は残酷だ。
何も変わらない。何も――。
天空に目を向けると、そこには漆黒の太陽がある。
太陽と月が交わる瞬間。昼でもなく夜でもない逢魔の時。
間もなくそれも終わる――少年の短い人生もまた。
「では、始めよう、《封魔の儀》を」
「ち――ちょっと待ってくれ!」
いずこからともなく響き渡った頼りなげな叫びに、広場に集まった神々の間にざわめきが広がった。
「俺に話をさせてください! お願いします!」
もう一度声が響き、舞台の袖の方から二人の人影が現れると、壇上に集められていた神々たちは身構えるような素振りを見せる。その中で一人、驚いたような顔つきで逆に一歩踏み出したのはアルヴァーだった。
「お前ら……一体どうやって……!?」
「それを説明するつもりなんてないですよ。それよりも、とにかく俺の話を聞いて欲しいんです!」
「な、何を馬鹿な!?」
アルヴァーはかぶりを振った。
「そんな必要なんかないだろうが!」
「そうですか? ここに集まっている皆さんの顔はそうは言ってませんよ?」
「戯言を――」
だが、怒り狂うアルヴァーが周囲に目を向けると、彼の感情に水を差すような醒めた視線がそこここにあるのに気付く。むしろ、そんな彼の態度に怪訝そうに眉を顰めている者すらいるようだ。
「ち――」
渋々アルヴァーは認めるしかない。
「……いいだろう。だが、この時、この瞬間は長くは続かない。あまり時間はやれないからな?」
「分かってます」
俺は頷いた。
そして息を吸う。




