第零話:感情という病。
むろん、迷信ですよ。
しかし迷信だからいっそう怖い。
理屈では説き伏せられない頑冥さですからね。
――――――横溝正史『八つ墓村』
◇0◆
大きな洋館が、燃えている。
何度も何度も爆発を繰り返しながら、盛る炎は獣の咆哮のような音を立てて、館を飲みこみ、崩れてゆく。
さあさあと、みぞれの混じった雨が、頬に打ち付け、あごから滴が落ちる。
病に侵されたわたしは、ついに手にかけてしまった。ということなのだろう。
あの場所で教わったことは、人を殺すこと。この奇妙な力の使い方だった。それをして、わたしは病を発症し、処分されるはずだったのだ。
『感情は悪い病気です』
そう、感情は悪い病気なのだと、物心ついたときから教えられてきたことだ。
しかし死を拒んでしまったのもわたしだ。怖かったわけではない、と思う。しかし、明確な意思があったかと問われれば、答えあぐねるものだった。
人の死に触れて、その感覚が血液に混ざり循環し、それはそれは不思議なことに、わたしの気持ちを、ひどく昂らせるものだった。
楽園と呼ばれたその施設にいた子供たち、白衣を着た教師たちの身体が粉みじんになるのを見て、わたしは、たまらない気持ちになった。
この手の中に、他者の命がある。握りつぶすも、手を開いて逃がすも、自分次第だということに気付いて、たまらなくなった。
――これは、なに?
わたしはその気持ちを、どんな名前で呼べば良いのか、分からなかった。このどうしようもない、持て余した名もなき感情が、どういう類のものか、分からなかった。
しかし、これで、わたしをこんな目に遭わせた人間はもういなくなった。
目的は果たされたのだろうか。
これが目的だったのだろうか。
あの教師の怯えた顔。生徒たちの身体がはじけ飛ぶ瞬間。濃紺の血。散る臓物。そういったものばかりが、まぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
不意に、ざざざ、と、頭にノイズが走り、あの顔を思い出す。あの、微笑みを。
そんな残影に、少し尾を引かれながら――燃える洋館を背に、わたしは歩き出す。背の高い草の中を、小さなわたしが、かき分けながら進んで行く。
「これをやったのは、君かい?」
すると目の前に、ひとりの男が立っていた。教師のように白衣を着ていない、精悍な顔つきの男だった。年齢は、分からない。
「素晴らしい能力だ。まさかエデンの教育塔をひとりで壊滅させるとは」
「……誰ですか」
「まあ、関係者さ。とは言っても、もうこんなに破壊されているが――おっと、私を殺すんじゃないぞ。君の世話が出来なくなる」
「……世話?」
「知らせを聞いて飛んできたんだ。本当は君を処分するべきだと考えていたのだが、気が変わった。これほどまでの能力、育てたほうが有用だ」
男は難しいことを、簡単そうな顔で言う。わたしにはよく理解が出来なかった。
「まずは衣食住だな。君は何歳だい?」
「分かりません」
「君のクラス――教室はなんと呼ばれていた?」
「キリン」
「麒麟組か。なるほど、今年で十歳だな。戸籍と一緒に、小学校への編入手続きも手配しよう」
「……あなたは、誰?」
「ああ、そうだな。名前、名前だ。私は草薙祥太郎だ。独断で悪いが、君の保護者になろう。施設の生活より良い環境を用意できる」
「草薙……」
「君の名前はまだIDしかないだろう。そこも追い追い、決めていこうじゃないか」
「わたしは病気持ちですよ」
「いいや――君はこの施設においての、イレギュラーとなった。それも、ファシリティEを、崩壊させるほどの力だ、ゆくゆくはこの世界さえ、覆すだろう」
「せかい?」
「ああ、今はまだ暴走したに過ぎない。もっと自由に、君の好きなように、力を使いこなせるようになれば――世界の均衡さえ壊すことが出来る」
「……よく分からないです」
「いわば、産まれたばかりなんだよ、君の能力は。その産声が、あの館を燃やしただけだ。これから育てていけば良いんだ」
わたしはその男に対して、どう言ったものか、分からなかった。突然現れて、そうまくしたてられても、わたしには依然として、なにを言っているのか理解が出来ない。
だが――。
「とりあえず、私の家に行こう。あたたかい食事を用意しよう。腹が減っているだろう」
「……」
「……まさか、君は――」
草薙はわたしを見て、怪訝そうな表情になった。
「君に発露した感情というのは」
「……行きます。連れて行ってください」
彼の視線から外して、わたしは言った。
どこにも行く宛てもなかったから、わたしは彼について行くことに決めた。
よもや、そのずっと後――わたしが、十六歳になったころに、エデンの使者からの襲撃で相打ちになるとも知らないで、草薙は意気揚々と車に乗り込み、わたしを受け入れたのだ。




