第十六話:後日談と理想論。
◇16◆
一週間が過ぎ、十月下旬になった。
鶏鳴学園の火災事件は、井筒礼司の単独犯ということでしばらくニュースを賑わせていた。
高校にマスコミが押し寄せ、生徒間でも話題になるほどだった。
当然、SNSにも書き込まれ、あれやこれやと話題に上がり、当事者でもない生徒の承認欲求を満たしている。
旧校舎は全焼、危うく山火事にまで至りそうだったが、消火活動が早かったこと、森までの距離があったことで、それは免れたが――。
焼け跡から二人の死体が、旧校舎の裏庭から五人の死体が発見された。警察ではそれらの身元を、調べているらしい。
けれど、あたしにはある程度、予想がついている。鏑木と、虎田、そして家出をしたとされている生徒たちだろう。人数も、それで合うはずだ。
綾瀬友里は今も学校に来ていない。あたしは彼女に乱暴はしていない。なんとか思いとどまらせるよう説得したが、心はそう簡単なものではないだろう。
これから、彼女がなにを選ぶのか、どう折り合いをつけるのかは、彼女にしか分からないし、生きていくかどうか、その人生の決定権は彼女にしかない。
もう、あたしの出番は終わっているのだ。しかしそれでも彼女が"生きていく"ことを選択し、助けを必要とするのなら、もう一度、あたしは彼女に手を貸そう。そう考えている。
「――あれから、痛みはある?」
「ああ、少しだけ」
「まあ、折れてないし、ひびも入ってないから、一過性のものね。まったく、バカは死なないと治らないとは言うけど、本当みたいね」
春日井綾音は、そう言うと、パソコンに入力していく。
春日井医院――春日井一家が運営している病院で、外科と内科、小児科が入っている。
綾音は春日井家の三女であり、彼女だけ、もうひとつの顔を持っていて――俗に、表沙汰には出来ない傷を治療する、黒に限りなく近いグレーの仕事をしている。
当然、保険適用外である。
あたしが無茶をしてここに来るたび、彼女の小言を聞くことになる。
「仕方ないだろ。こんな生き方しか出来ないんだから。それよりさ、前に言ってた彼氏、どうなったんだよ」
あたしと彼女は世間話をすることも多々ある。というよりも、黙っていれば延々と嫌味を垂れ流すものだから、そうやって話を逸らしているのだが。
「別れたわよ。自分の母親のことをママなんて呼ぶのよ。勘弁してほしいわ」
「でも、先生だってもう二十九だろ。選り好みしてる場合かよ」
「うるさいわね。別に理想が高いわけじゃないの。ちゃんと自分を持っている人が良いだけ」
「だったらうちの助手はどうだよ。あいつは強いぜ」
「子供には興味がないわ。さ、診察が終わったら、帰った、帰った」
あたしはスマートフォンで時間を確認すると、二十三時を過ぎていた。基本、春日井医院の裏側の営業時間は、必然的に深夜帯になる。
「また面倒たけたね。ありがと」
「殊勝なことを言うのなら、いい加減、危険なことから足を洗いなさい」
あたしは金の入った封筒を彼女に渡し、その皮肉を聞き流しながら手を振って、診察室をあとにした。
出入り口には竜胆がスーパーカブに背を預けて、スマートフォンを眺めていた。
「終わったのか」
「ああ。痛みは一過性だって。あと彼氏とは別れたってさ」
「綾音ちゃん、厳しいもんなあ。相手にも、自分にも」
そんなことを言いながら、バイクにまたがり、あたしもヘルメットをかぶって後ろに乗る。
エンジンをかけて、そのまま探偵事務所へと向かった。
十分ほど走ると、事務所が見えてきて、その入り口に人影を見て、あたしは驚いた。
「水玖……なにしてるんだ、こんな時間に」
そこにいたのは童顔の少女――水玖翡翠だった。
バイクから降りて、事務所の鍵を開け、水玖を招き入れるやいなや、「危ないことしないでって言ったでしょ!」と怒鳴られた。
「危ないことって」
「あの火事。あなたが絡んでいるんでしょ?」
水玖の目はうるんでいて、あたしは髪をわしわしと掻いて、視線を逸らした。
「まあまあ、とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着いてくれよ」
キッチンに立った竜胆が、ドリップコーヒーとミルクココアを淹れ、盆に乗せて、ローテーブルの上に乗せた。
とりあえず、水玖をソファーに座らせ、あたしも対面するように腰を下ろした。
「ずっと、話したかった。あの火事のこと。でも、学校じゃ周りの目もあるし、瑠香は試験のときだけ来て、すぐ帰っちゃうし。タイミングがなかったのよ」
「そういえば、蓮実の中間テストは何位だったんだ?」
鶏鳴学園では、テストの結果を、学年別に順位が貼り出される。聞かれた水玖はますます不機嫌な表情になった。
「一位よ。学校にもろくに来ないのに。わたしはまた二位だった」
「おいたわしや、だな。水玖先生」
「うるさいわね。あと、先生って呼ぶの禁止!」
「あー、はいはい」
「そういや、あんたはどうだったんだ? テストの時期は同じだろ?」
「おれは下から数えたほうが早かったな。ぎりぎり赤点は回避したけど」
「教え甲斐のないやつだよ、あんたは」
実のところ、事件のない時期は、あたしが竜胆に勉強を教えている。分かりやすく噛み砕いてみても、この男には通用しないらしい。
「そんなことより、火事の件。あれ、瑠香も絡んでるんでしょ?」
「まあ、少しだけな」
「井筒、って人が犯人らしいけど……本当に?」
「どういう意味だよ」
「七人の死体が見つかってるのよ。ひとりで行うには、多すぎるわ。それに――井筒さんがファントム・ボマーとは思えないの」
「根拠はあるのか?」
「……ないわ。でも、なんとなく」
水玖の直感は鋭い。結局、ニュースでは死体の数しか報道されていないが、ひとりだけ、鏑木だけは――首を切り落とされている。
それがこの一連の事件を起こした、ファントム・ボマーの、死体だ。
「水玖。今回の事件は終わった。それで良しとしないか。もう、家出人は出ない」
「ごまかすつもり?」
「そうじゃない。あんたが首を突っ込んでも、どれだけ調べても、見つけられないものがあるんだよ。いや――見つけてはいけない真実が」
「見つけてはいけない、真実……」
「あんたは、あたしの心配をしてくれる。それはありがたいと思ってるよ。でも、あたしだって、あんたのことを心配してるんだ」
「……そのわりには、危険なことばかりするのね」
「人間には役割ってやつがある。あたしだって、むざむざ死んでやるつもりはないよ。ただ、解き明かすのが探偵だ。親父から引き継いだ性みたいなもんだ」
あたしはこれで水玖が納得するとは思えなかった。けれど同時に、それ以上、踏み込んでこないとも。
――我ながら、卑怯なやり方だけどな。
親友を言いくるめるのは、良い気分ではない。けれど、そうでもしなければ、彼女はこちら側へ来てしまう危険性がある。
耐性のないものが入り込めば、壊れてしまう。
「……分かった。でも、極力、控えてよね。危なっかしいんだから」
そう言って、鞄の中から、正方形の箱を取り出した。
「ん?」
「誕生日プレゼント。この前、渡しそびれたから」
「ああ――ありがとう。開けて良いか?」
「うん」
開けてみると、そこには色とりどりのマカロンが並んでいて、竜胆が吹き出す。
「……これは」
「付き合いも長いからね。不良のくせに、甘いものと可愛いものが好きなの、知ってるよ。外では無理してブラックを飲んでるのもね。本当は、こういうのが好きなくせに、カッコつけちゃってさ」
「……まいったな」
「この間、三人でカフェに行ったときもマカロン、チラチラ見てたでしょ。それに雑貨屋ではマスコットキャラクターのキーホルダーにも目をやってたし。バレバレだよ」
あたしは気恥ずかしくなり、苦笑した。竜胆にも、水玖にも、バレていたのかと思えば、あたしもまだまだだな、と思わされる。
「ははあ、閃光の乙女の、乙女の部分はそういう意味か」
不意に、隣りでコーヒーを飲んでいた竜胆がつぶやいて、「閃光?」と水玖が首をかしげるのを見て、やつのわき腹をひじで突いた。
「気にするな。いつものからかいだよ。まったく、腹立たしい。それで――食べて良いか?」
「もちろん」
あたしはマカロンをつまみ、包みを開けると、水玖を見た。彼女も、あたしのほうを見ていた。
「遅れちゃったけど、ハッピーバースデー。瑠香」
「ありがとな、水玖」
◇◆
ぼくの隠れ家が、全焼した。
元々旧校舎だった場所は、黄色い規制線が張られ、焼け朽ちた木材が散在していた。
三日ほど前までは警官が行ったり来たりしていたが、早朝の今は、誰も立っていない。
ああ、これで、ぼくの居場所は無くなってしまった。
いつか、ぼくはここの一階の教室で眠ってしまっていた。ちょうど中間テストを控えた時期だった。
今回、ぼくのテストの結果は、九位。学年の中では高いほうで、両親はそれに対し、もう少し頑張れ、と厳しい評価を下した。
今でも口うるさく大学受験や進路に関して言ってきているが、不思議と今までのような、悲観的な思いはしなくなっていた。
おそらく、旧校舎の一階で眠っていたあたりから、ぼくはぼくとして生きることが、どういう意味を持つのかを、感覚的にだが、理解しはじめている。
その理由までは、思い出せないけれど。
「きっと」
びゅう、と生ぬるい風が、髪を揺らした。
「ぼくは、こうやって生きていくんだろう。毒にも薬にもなれないけど、それなりに悲しくて、少しだけ楽しくて、影響を受けても、影響を与えることもなく――」
いいや、と、ぼくは考え直す。そうじゃない。きっと、人間は、それで終わることは出来ないのだ。
「影響を与えずに生きることは、出来ない、んだろうな」
ぼくは独白する。
「誰かとの繋がりは、それだけで多かれ少なかれ影響し合っているんだろう。そうやって世界は回っていくんだ。歴史は、紡がれていくんだ」
――そして、世界を回すものは。
「世界を回すものは――ぼくみたいな、凡人なんだ。天才が造った世界を、延々と回していくのが、ぼくの役割なんだろうな」
そして、それこそが、この世界にとって、もっとも重要なことなのだ。独楽のように安定のないものを支え、回し続けていくのは、簡単なものじゃない。
だからといって、それを放棄することは許されない。
天才の手で作られた、いくら精巧で、美しく作られた時計でも、ねじを回すものがいなければ、時は止まってしまう。
さすれば風は止み、この世界を構成するすべてのバランスが揺らいでしまう。
そうならないように、そうさせないように――ぼくのような存在が不可欠なのだろう。
『それが、君の導き出した答えかい?』
どこからか、中性的な声が聞こえた。だから、ぼくはうなづく。
「これが、ぼくの生き方、なんだと思う」
返答は期待しなかった。どうせ幻聴だ、隠れ家が燃えて、少しもの淋しさが、ぼくの耳朶を優しく揺らしただけ。
『この世界の均衡を保つのは、いつだって、君のような人間だ。だから――』
――その答えもまた、ぼくの理想になるんだよ、立花くん。
遠くで、ちりん、と涼やかな音が聞こえた――気がした。
《麒麟組/Killing me》
《了》




